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佐崎傑
株式会社Goals  
代表取締役CEO
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or使い古されたアイディアではなく、自分だけの新しいアイディアを本気で探そう。
SNSが普及し、近くもあり遠くもある存在となった同級生。ときに数十年ぶりの再会の場となる同窓会をプロデュースする笑屋株式会社は、過去のコミュニティに新たな価値を再創造する。同社が地方自治体と共催する大型同窓会イベント『三十会(みとえ)』では、「交流人口増加」「地域活性化」「雇用創出」「地産地消」をテーマに、行政・地元メディア・地元企業を巻き込むなど、社会へのインパクトも大きい。起業家という生き方に惚れ込んだ同社代表取締役の真田幸次が、常に大切にする「オリジナリティの価値」について語る。
目次
同窓会の幹事は楽じゃない。年を重ねてから再会する旧友たちと、昔話に花を咲かせる。楽しみである一方、幹事の苦労というものを経験したことがある人は少なくないはずだ。酔いつぶれた人を責任もって介抱したり、ドタキャンした人の参加費を立て替えたり、そんなときは「二度とやらない」と思いたくもなる。
同窓会運営代行サービスにおいては他社の追随を許さず、業界内1位のシェアを誇る笑屋株式会社。同社は、同窓会をきっかけにコミュニティの価値をリメイクしようとしている。ただ一過性のイベントとして同窓会を終わらせず、そのコミュニティ専用の永続的なSNSを提供する。そのほか、西武鉄道株式会社と共同で『同窓会電車』、プロ野球チーム日本ハムファイターズと共同で『同窓会シート』を開催するなど、新しい同窓会で参加者を楽しませてやまない。多くの上場企業などから資金調達している同社は、ネットとリアルを駆使し、これまで日本全国2000校以上、日本で一番同窓会を手がけてきた。
代表取締役の真田氏は、学生時代から、0から1を生み出す起業家になることを志してきた。新卒で東証一部上場の人材サービス企業に入社すると、子会社の立ち上げに奔走。その後、独立系ベンチャーキャピタルにて起業・独立支援ビジネススクールの新規立ち上げを担い、2009年笑屋株式会社を創業した。
「やっぱり世の中にないものを作り出すことはすごくワクワクするし、せっかくやるんだったら新しい価値を世の中に提供するとか、一番やりがいの大きい仕事をしたいなと思って」
オリジナルなアイディアでいつも人を驚かせ、楽しませてきた、真田氏の生きる道とは。
幹事がいなければ同窓会は成立しない。笑屋株式会社が手がけるのは、当日会費のみで幹事のリスクを丸ごと負ってくれる日本最大の同窓会プロデュースサービスだ。しかしそれは、ただ同窓会を成功に導くだけでは終わらない。
招待状の受発送や会場手配、当日の運営・演出から思い出を形にするクリエイティブ制作まで、すべてワンストップで引き受ける。年代や職種など、参加者の特性に合わせたスポンサーがつくことで、記念品のプレゼントがあったり、通常よりも会費を安くできる場合もある。
「同窓会をきっかけに結婚する人も多いですし、地元へのUターンとか転職や独立のきっかけになるとか、意外と同窓会って人生の起点になるイベントだと思っていて。通常の同窓会って一回の打ち上げ花火というか、『懐かしかったな〜』だけで終わるんですけど。いろいろコミュニケーションを取れるコミュニティにすると、実はすごくいろいろ生まれることが分かってきたんです」
笑屋オリジナルの同窓会専用SNS『同窓会グラフ』は、同窓生といつまでも繋がれる場所だ。同社では、今後スマートフォン用アプリのローンチも予定している。
同窓会は当日だけでなく、開催前後のコミュニケーションも重要だ。笑屋が提供する専用コミュニティサイトでは開催数ヶ月前から会話が盛り上がり、結果的に同窓会の平均参加率は30%と、通常の同窓会よりも10%ほど高くなっているという。そこから新しい友人、新しいコミュニティが生まれていくこともある。
「LINEのグループで200人300人の同窓会を管理するのは、きついイメージ湧きますよね。誰かが抜けたらみんな抜けはじめるとか幹事以外が投稿しづらかったり、Facebookグループだとやってる人とやってない人がいたり。あと若い成人式の子たちでよくあるのは、LINEやFacebookでやると繋がりたくない人と繋がっちゃう問題っていうのがありますね。あの人と繋がらないようにしてたのに、なんかグループ作られて繋がっちゃったみたいな」
Facebookなどの一般的なSNSは、登録した瞬間に世界とつながるというコンセプトで楽しくもある。一方で、中学高校の同級生から仕事、距離の近い友人のつながりまで、すべてのコミュニティが混ざってしまい、居心地が悪くなってしまう側面もある。
「コミュニティって、それぞれ適切な頻度とか見せたい自分も違うはずなので。そういうSNSは需要あるなって当時も思っていましたし、いまは確信に変わってきています」
さらに同社では地方自治体とも連携し、30歳の節目に生まれ育った地元に一同に集まり、交流を楽しむ同窓会イベント『三十会(みとえ)』を開催している。同サービスは「ふるさと納税」とも連携しており、行政が三十会の参加チケットをふるさと納税の「お礼の品」に登録することで、参加者はお得に参加でき、行政は税収入アップや地域活性化にも繋げることができる場合もある。
笑屋が織りなす新しい同窓会のストーリー、そしてそこから永続する新しいコミュニティの価値。モノやお金には替えられない、人の感情や思い出に寄り添うコミュニティビジネス・人の繋がりの真髄が、そこにはある。
感動をプロデュースする笑屋の同窓会。
幼いころから友達と遊ぶときは、アイディアを出して遊び方のルールを変え、新しいものを生み出してきた。誰もが驚くアイディアや、楽しい遊びで人を喜ばせることが好きだった。
「もともと人を驚かせることが好きで、楽しいこと、新しいことをやった方がより驚かれるので、達成感とかもでてくる。そういう実体験で、人格が形成されたのかもしれないですね」
新しいアイディアは人を驚かせる。反応が大きければ大きいほど、達成感は大きい。新しさに驚いてくれたからこそ、「ほかにないもっと新しいものへ」とオリジナリティは高まっていく。学生時代は個性的な髪形や服装で注目を集めていたという真田氏。目立ちたがりのような側面もあったのかもしれないと語る。
「高校で文化祭をやるとか、修学旅行でプランを考えるとか、学校生活でいろいろあったじゃないですか。そういうものに率先して手を上げて、できれば今までやったことないものをやってみるとか、そういうことをよく考えていたかもしれないですね。さらにモテたかったとか、自分を特別視してもらいたいとか、そういう承認欲求も多くあったかと思います」
何かと何かを組み合わせたりして、いろいろなアイディアを生み出す。それにより周囲を楽しませていくうちに、自分への自信もついてくる。オリジナリティのあるアイディアには価値がある。
「僕は自分でコードも書かないですし、絵が描けたり、楽器ができたりするタイプではないですが、アイディアを出すのは得意で、それは昔も今も変わってないんじゃないですかね。小中高とも何か生み出すとか、何かやってみようとするときは、いつもなんとなくアイディアを口にして、周りの人に意見をもらいながらやってみようぜ、みたいな。その延長を今もただやっているだけなのかもしれませんね」
何かものをつくることはできなくても、ゼロからアイディアを生み出し、人を楽しませることができる。新しい世界をひらき、そこにいる仲間を楽しませることができる。次第にそれは、真田氏の心に刻まれ、自信となっていった。
好奇心旺盛で、次から次へと新しいことに挑戦してきた。中学で野球部に所属したこともあれば、高校はテニス部、一方でバンドやダンスに明け暮れた時期もある。熱中しても長くはつづかない。自分から動きつづけなければ、新しい世界はやってこない。
「いろんなところに参加して、ほんとにのらりくらりと生きてました。部活なら部活とか、趣味なら趣味とか、良くも悪くも一つにのめり込むことができなかったですね」
好奇心旺盛だったからこそ、一つの所に留まり熱中することはなかった。それぞれのコミュニティで一番偉い「リーダー」にもなりたくなかった。リーダーになると、責任が発生し、身動きが取りづらくなってしまうからだ。どこかのリーダーになるのではなく、いろいろなところに入っていける立場でありたかった。生徒会長や部活のキャプテンなどは、誘われても断っていたという真田氏。
「リーダーになりたくないタイプだったんですよ。裏のリーダーみたいなところのポジショニングが好きでしたね」
あらゆるコミュニティが、真田氏に多様な世界を見せてくれた。いろいろなコミュニティに所属しながら生きていくことが、ますます好きになっていく。
「派閥とかカーストとかありましたけど、僕はけっこうどこにでも所属できるタイプだったので、無所属みたいな感じ。だから、真面目な人たちとも仲が良かったし、一方で学校にあんまり来ないアウトローな人とも仲は良かったですね」
アルバイトを通じて、学校の友達とは別に、20代30代という年上の人と交流する機会もあった。話題も興味関心もまったく異なる、さまざまなコミュニティ。真田氏はどのコミュニティでも楽しく話すことができた。性格が違うからといって、線引きはしない。
「昔は自分の予定表がすごいギッシリ詰まってることに満足感を得たりしていて。アルバイトの先輩たちの付き合いもあれば、中学とか高校の人とも仲良かったですし、もちろん彼女や家族との時間も大事にする。休みのときは旅行を計画するとか。そういう生活の充実感をすごく意識していたと思いますね」
さまざまな世界を選択して生きていくこととなる真田氏。2日に一回しか寝ない生活を試してみたこともある。寝る間も惜しんで、それぞれのコミュニティを大切にしながら充実した日々を送っていた。
常に新しいもの、楽しいものを求め行動してきた。いつしか、新しい環境やコミュニティに飛び込む不安なんて麻痺していく。一歩踏み込む少しの勇気、それさえあれば意外となんとかなってしまう。新しいコミュニティは、真田氏に常に新しい世界を見せてくれていた。
家庭では、飲食店の経営に失敗した父の借金があった。3兄弟の末っ子だった真田氏も、高校からは自らアルバイトで学費を稼いでいた。
「そんなかっこいいものでもなく、なんとなく金がないからやらなきゃと思って。昔は全然よく考えて動くタイプじゃなかったですね。だからこそ、行動力があったかもしれないです」
接客から電話回線の飛び込み営業、窓ガラス拭きから日雇いまで、学業の傍ら数え切れないほどのアルバイトを経験した。コミュニティに価値を置いていたからこそ、家の事情を理由にやりたいことを諦めたり、遊びを断ることもしない。足りないお金は自分で稼いでなんとか工面する、昔からそれは当たり前の感覚だった。
大学一年生のとき所属した水上スキー部でもそうだった。競技としては楽しかったが、とにかくお金がかかる。部活が休みの日には、アルバイトを大量にこなして賄っていた。家族のようなコミュニティがあり楽しんでいたが、世界を目にしたとき辞めようと思った真田氏がいた。
「辞めたきっかけは、お金の面とか時間の拘束が長すぎることもあったんですけど、最後に追い打ちになったのは、大学1年の3月くらいに海外遠征に1か月行ったとき。そのときに上手すぎたんですよね、世界の選手たちが」
そこにあったのは、圧倒的な実力差だった。日本と海外では、競技を練習するための環境が違いすぎたのだ。
「水上スキーって、水面が鏡みたいにフラットで波が立ってないところが一番いい環境なんですけど、日本だとそういう湖や川はほとんどないんです。停泊代やガソリン代などの維持費も高いですしね。でも、海外に行くと家の庭にそういう湖があったりする家が普通にあって、学校から帰ってきた子どもを、お父さんがモーターボート引っ張ってやってる。そういう子どもが20歳前後になると、めちゃくちゃ上手い。こりゃあ勝てるわけないって思いますよね(笑)」
世界は想像を超えるくらい広かった。誰かが通った道ではなく、新しい道を行きたい。世界であったとしても通用する新しい何かを生み出したい。だから、辞めることを決意した。真田氏にとって、世界は最大のコミュニティだった。
「たぶん僕がいま学生だったとしたら、Twitterとかすごい好きだったと思いますね。当時ってどんなに目立っても学校止まり、せいぜい先輩後輩くらいじゃないですか。あれって投稿したら全世界ですよね。そういうのがすごく好き、多少炎上してもいいからもうやってやるみたいなタイプだったと思います」
真田氏の目には世界が見えていた。新しいものを、自分だけのオリジナリティを形にしていく。それによりコミュにティを盛り上げる。それが、真田氏のやりたいことだった。
2016年11月13日・14日と2日間運行された、西武鉄道株式会社との共同企画『同窓会電車』。当日は6同窓会、計約250名の参加があった。旧友との再会に加え、懐かしい地元の景色・電車を味わうことができると好評を博した。
壮大な目標に向かって、ハードな仕事に取り組む。アルバイト先の同僚の紹介で国連のインターンを経験し、NGOでのボランティア活動などに参加するようになる真田氏。世界的な問題解決ができる仕事が魅力的だと思った。しかし、世界に向けて仕事をする彼ら全員が目を輝かせて仕事をしているかというと、そうではなかった。
「まず自分がちゃんと一人前になってから、自己実現できてから、そういう恵まれない国や人のために貢献できるのかなって、考え方がちょっと変わったんですよね」
早くから自立し、やりたいことのためには自分でお金を稼いできた真田氏だからこそ、理想を現実にするためのお金の大切さを痛感していたからかもしれない。
世界を見据え、世の中に新しいものを創り出す。それにはお金も必要だ。
「大学3年のときに、初めて『起業家』という人たちがいることを知ったんです。調べていったら、これはまさしく自分に合うなと思って。そういう生き方をしようと思ったんですよね」
著名な起業家についてインターネットで調べていくと、彼らが唯一無二のブランドを築きあげていると同時に、長者番付にも載るほどの資産家であることを知った。世の中を大きく動かす要素はいろいろあるが、それを実現する確率が最も高いのは、多くの資産をもつ起業家だと考えた。
「もともと自分の原体験的なものを踏まえても、やっぱり世の中にないものを作り出すことはすごくワクワクするし、せっかくやるんだったら新しい価値を世の中に提供するとか、一番やりがいの大きい仕事をしたいなと思って」
今だけでなく未来に向かって、世の中にないものを何十年も創り出しつづけるためにも、事業という仕組みが必要だ。
「ずっと生きていくなかで、いかに自分が動かなくてもお金を作り出せるかとか、資産を作り出せるか。そう考えると体動かして稼ぐ仕事というよりは、価値を提供して、それが自分が死んだ後もずっと、さらに大きくなるようなことを生みだす方が、やりがいあるなと思ったんです」
自分だけのオリジナリティのある事業を起こし、社会から大きな反応が返ってくるようなことを成し遂げたい。真田氏は「起業を25歳のとき」と決意した。
「(その時点で)うまくいく自信とか、やりたいこととかまったくなかったので、なんとなく25歳と決めて。就職して三年間、25歳で起業するのに役に立つ会社に入ろうと思って、就活してました」
新卒として入社した人材サービス企業。真田氏のミッションは、そこで修行したのち子会社を立ち上げることだった。新しい価値を、自分たちの手で生み出す。思いに共鳴してくれる同期(現在、笑屋株式会社で取締役を務める八木氏)との出会いもあり、未来へとつながる一歩となった。
人材サービス会社での仕事は忙しかった。毎日の業務に追われながら、そのまま自分の経験の延長線上、つまり人材領域で起業する未来をなんとなく想像していた。
転機は突然訪れた。2007年前後、国による法改正の流れのなかで、業界最大手の派遣会社が立て続けに倒産した。真田氏の働いていた会社も業務停止命令を受け、一ヶ月ほどで支店の数が10分の1に減った。
人材領域で事業を立ち上げようと奔走していたが、立ち止まって考えてみると新しいアイディアも浮かばなかった。会社を辞めた真田氏は、1年間知り合いのビジネススクール事業を手伝いながら、起業の準備を進めていった。新卒の人材会社同期で仲が良かった5人で週末集まり、「0→1」の事業を生み出すべくアイディアを出し合った。
「最初のころに、5人でやる前提で会社の名前も決めて、誰が社長やって誰が専務やってっていう担当も決めていったんです。5人の名前の頭文字(SYOYA)を取って、とりあえず名前は『笑屋』にしておこうと」
2009年、デスクが一つしかない新橋のレンタルオフィスにて、笑屋の事業ははじまった。
「まだ市場ができていないフロンティアを探していました」
世界から情報収集し、未知の領域を探し続けていた真田氏には、ある確信があった。
「物の時代がだんだん終わりつつあるというか。これからはネットのサービスが当たり前になっていくなかで、どこが一番強い力を持っているかというと、コミュニティを持っているとこだなと」
時代はSNSやコミュニティサービスの黎明期だった。FacebookかMyspaceどちらが世界をとるかと言われ、Twitterやmixi、2チャンネルなどもそれぞれのコミュニティを形成していた。それは、世の中を動かすような大きな事業を生み出したいと願う真田氏を駆り立てるのに、十分なほどホットな領域であった。
いまや世界の時価総額ランキングのなかでも、Facebookやテンセントなどコミュニティをもつ企業が存在感を示している。当時の真田氏も、なんとかコミュニティを構築する領域に入っていきたいと考えていた。
オーダーメイドで注文できるシリアルのECなど、3つの事業をはじめに立ち上げた。そのなかに、同窓会コミュニティのビジネスがあった。
「新しいことだからこそあきらめたくないというか、その可能性があるので、続けなきゃいけないですよね」
真田氏は「起業家」となり、新しい世界に踏み込んだ。新しいことだからこそ、あきらめたくない。可能性があるからこそ、続けなければならない。「飽きたから辞める」なんて選択肢はない。起業とは、人生において最もエキサイティングで、最も楽しい挑戦だった。
「0→1」での起業とはどのようなものであるのか。人材サービス会社での経験をもとに人材業界での起業を検討していた真田氏であるからこそ辿りつく「起業」の真実がある。
「起業したい人が世の中にたくさんいて、社会人経験積んでから起業する人もいっぱいいると思うんですけど、やっぱり前職の経験とかノウハウだったりを活かそうと思うし、普通に考えて、その延長線上の発想が出てくると思います。それは良いことでもあると思うんですけど、落とし穴でもあると思うんですね」
「0→1」を志した起業、社会への思いをもった起業、組織人としての前職経験を活かした起業。起業にも様々な思いや形があるが、起業を決意したときの思いに立ち返ることができたからこそ、真田氏は経験に盲目にならず、真に自らが求める起業の形に辿りついた。起業が手段ではなく、目的へ変わってしまう落とし穴に気づくことができた。
「やっぱり視野が狭くなりますよね。どんな人もそうだと思うんですけど、その仕事だけを2年間死に物狂いでやると、いわゆるビジネスっていうとその業界しか知らないですし、そういう繋がりばっかりできるので。でも、よくよく考えると本当にやりたかった『0→1』とは全然関係ない。起業としてはうまくいくかもしれないけど、本当にやりたかったこととは違う」
先行きが不透明になった人材サービス会社で真田氏は立ち止まり、自分がなりたかった「起業家」像について考えていた。人材領域で起業することを考えていたが、それは真田氏にとって真の「0→1」ではなかった。「世の中にないものを何十年も創り出しつづける、そのための事業という仕組み」それを生み出す手段としての起業こそ、本当にやりたかったことだった。
夢を追いかけ、脇目も振らず走ってきた。しかし、ふと立ち止まって考える。自分が進むべき道は、自分が望んだ場所につながっているのかどうか。自分だからこそ生み出せる新しい価値とは何なのか。真の「0→1」を成し遂げる真田氏の姿は、「起業」のあり方を教えてくれる。
2017.11.27
文・引田有佳/Focus On編集部
2013年6月、第二次安倍内閣が掲げた成長戦略「日本再興戦略」の中で、開業率を米国・英国レベルである10%台にするという目標が掲げられた。日本に事業や起業家を増やすことで、産業を生み、新たな雇用を生み、日本を豊かにしていくという政策である。以来、数年が経った今でも、開業率は10%に届かず5%前後と低迷している。
日本における「起業環境」は、リスクが高く安定しないという印象や、起業家という身分への社会的信用や評価が高くないことが挙げられることがある。世界的に見ても、日本は起業しにくい国なのである。世界銀行が毎年世界190カ国を対象にビジネスのしやすさを調査しているレポート「Doing Business」では、2018年、「起業のしやすさ」の項目で日本は世界106位と大きく遅れを取った。
しかし、事業をゼロから創り上げ、世の中へ発信していく「起業」という行為は、いつの時代も世の中を創り、人々を救ってきた。今では世界中の人々の交通手段として欠かせない自動車。その産業のトップを走るトヨタ自動車も、豊田佐吉という一人の起業家が創業し日本と世界を豊かにしてきた。
現在、「起業」は依然として新たな産業が生まれる一つの手段であることに変わりはないが、どのようなパーソナリティを持ち合わせていれば、起業家として成功し世の中を変えていくことができるのだろうか。
成功した起業家は、どのような性格や生活信条、あるいは価値観を有しているのだろうか。(中略)そこでは、市場機会の発見と開拓にかかわる企業家精神の5つの要素、すなわち①セレンディピティ、②逆境に打ち勝つマインドセット、③高次の目標の設定、④不断の創意工夫・試行錯誤、そして⑤コンピテンシーが抽出された。―関西学院大学専門職大学院経営戦略研究科教授 佐藤 善信
当メディアにおいても、(ありがたいことに)上記の性格特性をもつ起業家たちと数多く出会う機会に恵まれてきた。どんな困難が待ち受けていたとしても、それらを持ちうる精神でもって乗り越えてきた人々が、世の中を変えている姿を目にしている。
真田氏は幼少期より、誰かを驚かすために新たなアイディアを出しつづけてきた。起業にあたっては、真の「0→1」を生み出すために、自ら経験してきたことに足を止めてさえもいる。それは、起業家としてより意義のあるものへ挑戦するために、そして世の中を変えていくための精神なのである。
真田氏は、高次の目標設定をし、不断の創意工夫を続けている。生来の精神としてそれを持つ姿は、まさに世の中を変えていく起業家であると言えよう。
文・石川翔太/Focus On編集部
※参考
佐藤善信(2006)「企業家精神の心理学的分析」,『ビジネス&アカウンティングレビュー』1(1),関西学院大学,< http://www.kwansei-ac.jp/iba/assets/pdf/journal/BandA_review_2006_p29-44.pdf>(参照2017-11-26).
笑屋株式会社 真田幸次
代表取締役
1984年生まれ。東京都出身。学習院大学経済学部卒業後、2006年4月より株式会社フルキャストにて子会社立ち上げに従事。入社2年目で支店長・営業マネージャーと歴任し、支店管理・マーケティング・組織マネジメントを担当。その後、独立系ベンチャーキャピタルにて「ビジネススクール事業部」にてカリキュラム策定やメンタリング、起業家と投資家のマッチングイベントでは総責任者を担当。2009年1月に笑屋株式会社を設立、同年5月より創業。