Focus On
星野雄三
株式会社ふんどし部  
代表取締役CEO
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or悩む時間はない。決めたものがあるのなら、すぐに走り出そう。
日本と世界で活躍する歯科医師が集まる株式会社Dental Prediction。医療現場に5G・IoTやXR、AI、メタバース、デジタルツインなど先端技術の恩恵をもたらすプラットフォームを構築する同社は、歯科界が抱えるさまざまな課題解決、改善やイノベーション創出を推進している。2022年3月には、日本とシンガポールやサウジアラビア間を5GによるVR空間上で繋いだ世界初の国際遠隔医療カンファレンスの実証実験を行うなど、歯科界とテクノロジーの可能性を探求。患者、学生、歯科医療従事者をサポートする。
代表取締役の宇野澤元春は、千葉大学医学部大学院で口腔癌遺伝子の研究に従事したのち、ニューヨーク大学歯学部Advanced Program in Implant Dentistryに入学。在学中、同大学歯学部卒後研修同時通訳や海外学会・NYU School Researchでの多数の受賞を経て、日本に帰国後、2020年に株式会社Dental Predictionを設立した。同氏が語る「行動の源泉」とは。
目次
2022年、歯科界におけるパラダイムシフトは既に始まっていると語る人がいる。
「歯科だけではなくどの産業もそうだと思いますが、従来の方法に則って漫然的に行うビジネスの時代はもう終わりだと思っているんです」
現実に目の前にある治療だけにフォーカスする時代から、事前に情報・データを活用する予測の時代へ。先の先の未来を読み、まだ誰もやっていない領域に仕掛けて待つのがDental Predictionだ。
起業前には14個の事業アイデアを生み出し、そのうち3個を現在の出発点としたと宇野澤は語る。それらアイデアの基となっているのは、実は歯科医なら誰もが学生時代から感じる課題感ばかりだという。
「実際、練習する時ってマネキンなんです。マネキンと自分の患者さんって明らかに違うじゃないですか。それを3Dデータでデジタル空間上に再現する。そして、次に思うことはその患者さんと同じ模型があったらいいなと、歯科学生・歯科医師の方なら一度は思ったことのあることを弊社ではやっています」
同社の「DenPre 3D Lab」は、実際の患者のCT・口腔内スキャンデータを基にした3Dデータを解析・構築し、3DモデルまたはVR/ARに変換するサービスである。
VR/AR空間上で内外の構造を立体的に把握し、3Dモデリングで出力された模型で位置や感触をたしかめながら練習、技術を磨いたうえで実際の施術ができる。これにより、患者とのコミュニケーションや診断の正確性向上に資するほか、治療の効率化にも繋がる。
たとえば、なかなか遭遇できないような症例や難症例でも、経験豊富な状態で初めての手術に臨める。診療と教育指導、両面において革新をもたらすサービスと言えるほか、同社では歯科医師の集団である特徴を生かし、オンライン相談サービスや出張手術まで包括的なサポートシステムを構築している。
「若手歯科医師の知識・技術習得は、勤務する病院やクリニック、その地域など環境に依存したものになりがちです。このテクノロジーを使うことで全国の症例を体験できたり、国境を超えて海外の先生と一緒にセッションできたりと、必然的に歯科界全体の医療サービス向上と患者さんの安心に繋がると思っています」
現実世界から収集したデータをデジタル空間上で再現するデータ解析力。解析データを活かしたシュミレーション。そしてシュミレーションで得た情報(インプット)をアウトプットする3D模型でのトレーニング。いわゆる「デジタルツイン」を、歯科界のスタンダードにしていきたいと同社は考えているという。
同社が開催するクリニックでの「DenPre 3D Lab」体験の様子
追い風となる背景には、高速通信網5Gの普及がある。超低遅延のデータ通信により、リアルタイムかつ大容量のデータのやり取りが可能になった。
大手通信会社と連携する同社では、来たる2025年の大阪万博に向け、歯科医療関係者以外の一般層をも対象とする歯科万博を企画しているという。
「一般の人にもこうした歯科技術の進化を知ってもらいたいですし、今年は歯科XR、メタバースの元年になると思っているんです。そのときにヘッドマウントディスプレイみたいなものに抵抗感を持つ人は絶対に出てくるので、携帯やタブレットでもARで3Dモデルを動かせるトレーニングプラットフォームを作っていて」
同社が開発中のプラットフォームがあれば、自分の症例データを3Dデータとして確認・共有・患者説明にも利用できるようになる。
さらに、患者向けにはIBM WatsonのAIを搭載したオンライン相談アプリも開発されており、自分の症例を正確にシミュレーション・トレーニングしてくれるクリニックを地図上から簡単に選ぶことができるようになる。同アプリは、病院やクリニックの集客面における効果が期待されているという。
「AppleもGoogleもAmazonもそうだと思うのですが、今まで眠っていたデータを収集・蓄積・加工共有して、AIを使ったさまざまな予測ができる。そうしたデジタルプラットフォーマーになることが、Dental Predictionの目指す姿です」
起こるべくして起こる未来、同社はそれを「デンタル情報革命」と呼ぶ。仮に大半の人が懐疑的だとしても、信じて進む勇気を持った限られた人の手により当たり前は創られる。
人類が繰り返してきたその革命、いや、もしかしたら人類が始まって以来の大革命となる可能性を秘めたその次なる担い手として、Dental Predictionは未来を見据えている。
同社が開催するクリニックでの「DenPre 3D Lab」体験の様子
大正時代に造られ、80年の歳月を経てもなおカルチャーの発信地として機能しつづけた稀有な建物。それが、ほんの10年前まで東京の中心地に存在した。
緑のツタに覆われたコンクリートの壁面に、歴史を刻んだ気配。古き良きレトロな佇まいには、当時モダンとされたであろう装飾が施されていた。宇野澤にとっては、懐かしくも特別な記憶の眠る場所である。
「父の実家が表参道で、同潤会青山アパートってご存じですか?今は表参道ヒルズに変わっているんですが」
建築家・安藤忠雄の手により、現代の複合施設へと生まれ変わったその場所に、もとは最新鋭の設備を備えた生活空間が存在した。宇野澤の父の生家である。戦時中、一度は東京が空襲により焼け野原となっても焼け残り、1960年代以降はブティックやギャラリーとしても利用されるようになる。長く街に愛されたシンボルのような建物だった。
立地の良さも相まって、テナントから人気を博すようになったスペースをただ眠らせておくのは惜しい。そう言って店を開いたのは、母自らのアイデアだった。
「うちの母はもともと薬剤師だったんですけれども、その空間をただ寝かすのはもったいないからと、駄菓子屋さんと海外のインテリア雑貨を売るお店をやっていたんです。自分で海外に行っていろいろ買ってきて、思いついたらすぐ行動してしまう性格で、僕もそれを受け継いでいますね」
良いと思ったことがあれば、居ても立っても居られない。せっかちとも言えるが、先へ先へと意識を向けている。世の中の「今」ではなく「これから来そう」なものに目を向け、自分の考えを貫き実行してしまう。
生き方として、どこか1つに縛られないところがある。
そんな性格は母親だけではなく、父親からも受け継いでいるという。
「父はIT系の会社を経営していて。それ以前は大手電機メーカーやノベルという当時米国シェア1位だったOS開発会社の日本法人で副代表をしていたり、官民でインターネット事業をつくる第三セクターの社長になったり。当時普通のサラリーマンのお父さんといえば1つの会社に長くいるイメージだったので、今思えば先進的でしたね」
いわゆるタイムマシン経営の全盛期。まさにこれからインターネットの時代が来るというタイミング。1990年、父が副代表を務めたノベル日本法人は、そんな時代に米国で一世を風靡したOSを日本に上陸させた。
その立役者こそ、ソフトバンクの孫正義氏であるという話は父から聞いていた。父は「すごい人だよ」と孫さんの話やITについて、ことあるごとに聞かせてくれた。
「そういった話も今となっては分かるんですけれど、子どもに言われてもまぁよく分からない。ただ、それがなんとなく面白いとは思っていて。分からないことが面白そうだなと感じていました」
幼少期、祖父と
思い思いに仕事する両親。2人とも「好きなことをやりなさい」と言ってくれていた。しかし、宇野澤自身は目立たない普通の子だったと学生時代を振り返る。
「兄たちの方が目立っていたので、(それに比べると)僕自身は面白いエピソードがあまりないんです。三男坊で、親戚でも1番年下だったので可愛い可愛いで育てられて、部活を一生懸命やっていたとかもないですし、むしろサボっていたくらい。それに少し言葉が悪いんですけど、おそらくどこか冷めて見ていたんですよね」
3兄弟の末っ子で、年の離れた兄が2人いる。一番上の兄は勉強を、真ん中の兄はスポーツを頑張っていて、優秀な成績も残していた。そんな兄たちの背中を見ていたからこそ、それぞれ頑張るとどうなるのかおおよそ結果が分かっていた。
たとえば、野球がうまかった兄の影響で、自分も深く考えず中学で野球部に入ったが、兄ほどの情熱もない自分が甲子園を目指せるとも思えない。ましてプロ野球選手になるつもりもない。にもかかわらず、坊主にしてまで頑張る理由が見つけられなくて早々に辞めてしまった。
こんな話は野球だけに限らない。本気の力を注いでやりたいことや、なりたい姿が見つからなかったのかもしれない。当時はそこまで興味をそそられる対象がなかったという。
「熱中するものがあまりなかったんですよね。たぶん結果が見えてしまうことに対して、つまらないというか、ちょっとやりがいを感じなくなってしまうのかもしれないです。ただ、だからといって、よくいるちょっとツンとしている子だったかというと全くそんなことはなくて」
自発的に何かに熱中した記憶はない。一方で、文化祭や体育祭は好きだったし、友達づきあいを楽しみながら、勉強も受験に足りるくらいには普通にした。日々を普通に生きているだけで、決して大きな夢もなかった。
「おそらく僕だけではないと思うんですが、何かをすごく頑張ったりしなくても、『普通にやっていればなんとかなるよね』という感覚ですかね。突拍子もないことをやらなければ、まぁ普通に勤めて普通に稼いで普通に生きることが1つの幸せの形みたいな」
兄たちのように頑張るにしても、結果が分かってしまうゴールには面白みを感じない。このまま行けば、特別野心のない普通の人生を送ることになりそうだった。
中学時代、2人の兄と
いつのことだったか、ある日、兄が「これからインターネットの時代が来るんだよ」と教えてくれた。それが不思議な実感とともに記憶に残っている。
1990年代後半から2000年初期、米国を中心に巻き起こったITバブル。10代のはじまりから世の中はインターネットに沸いていて、大学受験で進路を考えだす頃にはバブルが弾けたあとだった。
「それこそ孫さんとか堀江貴文さんの時代だと思うんですけれど、僕たちの学生時代それがちょうど終わった時期だったんです。絶頂期も終わりも知っていて、どちらかというと手に職をつけた方が安心だよねと、社会風潮的に資格系の仕事がたぶん人気だったんですよね」
変わることは不安。まだそんな時代だったのかもしれない。変わらなくていいものを早くに見つけ、長く続けていくことが善とされていた。職業で言えば、薬剤師や医師、歯科医、獣医師などがそれにあたる。
「言葉は悪いのですが、流されてですね。兄が附属高校だったので、何も疑わず同じ附属高校に入って、大学の推薦が取れたので日本大学松戸歯学部に入りました」
歯科医は社会的な資格が持てるし、患者さんを助けられるという点もシンプルにやりがいがありそうだった。なおかつ、周りに歯科医が誰もいなかったことも影響している。
「歯科医はうちの家系の中でも未知の領域だったというところがあったかもしれないですね。分からなくて、すごく面白そうだなと思って」
家族にとっても全く新しいジャンルに進むことになる。当然ながら両親や兄からは心配されたし、反対されもした。けれど、未知だからこそ魅力を感じるものがある。それに全く採算のない挑戦というわけでもなく、自分なりによく考えた結論だった。
意を決し、入学した歯学部。しかし、早々に違和感と直面したという。
「最初に思ったことなのですが、歯科医って勤務医か開業医か、この二択しかないというところにすごく疑問を持ったんですね。皆さん開業して経営をどううまくやるかとか、卒業したらお父さんのところを継ぐみたいな前提で入学してきている」
結果が分からないからこそ選んだ歯学部という進路だが、実際その先の選択肢は2つしかないのだと、入学してから知ったことになる。もちろん歯科医という職業は素晴らしいものだと思えたが、心の中の違和感は拭えなかった。
6年間の課程を終えると、いよいよ研修医として働く病院を決めなければならない。その段階である程度歯科医としての方向性が決まってくることもあり、真剣に自分の未来を考えだした。
「右ならえ右精神ではなくなってくるのは、やっぱり大学が終わる頃からですね。卒業して歯科医になるとなったときに、いよいよちょっと自分で歩かなきゃいけないなと思って」
やはり勤務医か開業医かという二択に縛られるのは性に合わない。めずらしい選択ではあるが、宇野澤が選んだのは口腔外科だった。歯科医でありながら、ガンの手術や顎の手術にも携わる、医師と歯科医の中間にあるような領域だ。当時、自分は歯学部よりも医学部で学んだ方がいいのではないかと考えていた。
「千葉大学医学部の口腔外科に入って、千葉大学病院の研修医を2年間やりました。そのとき僕は少しずうずうしいというかですね、知らない先生にいろいろ電話して、どうやって入ったらいいのかとか見学とか結構聞いていました。やっぱりこれだと思ったら居ても立っても居られない性格があるんだと思います」
社会で決まりきった歯科医という職業の未来への違和感や、物足りなさのようなもの。その思いを持ちつづけたからこそ、ようやく自分の足で歩きだせたのかもしれない。
ガンといえば、日本人の死亡率上位3位に必ず入る病気である。千葉県はその広さから、ガン患者の症例数も多い。研修医としてその手術アシストなどに入りながら、目の前の患者さんのために懸命に働いた。だが、人生は予期せぬ方向へ進む。
「研修医時代に病気になったんです。10万人に1人といわれるめずらしい病気で、脊髄に腫瘍ができていて。僕も最初はヘルニアだと思ったので、おじいちゃんおばあちゃんと一緒にリハビリをしていたんですが、どんどん痛くなってしまって。MRIを撮ったら腫瘍があると。これは手術しなきゃいけないとなって」
背骨の中にある細い神経は、脳から繋がり馬のしっぽのような筆状になっている。そこに腫瘍ができると絡んでしまい、きれいに切除できない場合がある。脊髄と脳とは脊髄液で繋がっているため、そこから小さな細胞が飛んでしまうと脳に腫瘍ができてしまうかもしれない。そうなれば、頭の先から腰まで放射線療法をしなくてはならなくなるという話になった。
幸いにも腫瘍は良性でありガンではないと診断されたものの、手術は12時間にも及ぶ大掛かりなものとなった。文字通り生死をさまよう時間。20年以上健康に暮らしてきて、まさかそんな経験をすることになるとは誰も思わない。
「病気にかかって手術をして、自分を客観的に見たときに、人の人生ってすごく儚いというか、短いんだなと感じました。しかも、突拍子もないことをやっていたわけでもない、普通に生きていてもそういう病気になってしまうんだと。だったら何か良いと決めたものがあったなら、それはもう一生懸命やれるうちにやった方がいいんじゃないかと思いましたね」
無事手術は成功し、心配されていた後遺症もなく復帰することができた。病気を通じて得られた、さまざまな気づき。それまでの人生、歯学部に入るまでほとんど熱中するものもなく、流されたりしながら生きてきた。
けれど、思った以上に人の人生は短い。それを身をもって実感したことは大きかった。
「そのあと千葉大学医学部の大学院でガンの研究をやらせてもらって。もちろん僕は研究自体が得意なわけではないので、周りの先生方や後輩先輩に助けてもらいながら、なんとか卒業して。1年間千葉大の関連病院で勤務医として働いたんですが、やはり相変わらず勤務医か開業医かという二択には引っ掛かっていたんです」
もっと選択肢があってもいいのではないか。そんな思いが拭えず、悩んだ。
両親に目を向けると、2人とも海外に行っていたことがある。それなら歯科医として、海外留学に行くのはどうかという選択が浮かんだ。自分にとってまだ未知の世界、世界トップクラスの歯学部を擁することで有名なニューヨーク大学で学びたいと考えた。
準備のために米国に渡る。まだ大学に入れるかも決まっていないのに、気持ちは先へ先へと体を動かす。気づけばこの道に本気で向きあい、熱中していたようだ。
人生は儚く短い。今この瞬間、心が望む選択をきちんと見極めること。これだと決めたものに挑戦できる時間は限られている。全力を傾けるなら、今すぐにだ。
留学中、ニューヨーク大学歯学部の同級生と
無事にニューヨーク大学に合格し、学びはじめる。まず驚いたことといえば日米の歯科医をとりまく環境の違いだった。
日本であれば2、3件しか見られないような症例が、米国では100症例ほどあって、しかも実際に自分で携わることができる。その圧倒的な差に衝撃を受けながら、さらなる驚きと出会う。
「インプラント科の教授はもちろん歯科医なんですけど、自分で会社も持っていたんですよね。それって僕の中では勤務医か開業医かというところに、単純にもう1つ会社経営というオプションができたと。そういう選択肢があるんだなという、新たな発見ですよね。あ、それありなんだと思いました」
教授が経営する会社は、歯科医が使う器具を作ったり、新しい術式を考えたりする事業を展開していた。大学での研究のかたわら、事業としても社会に価値を生み出す。純粋に理にかなっている。
加えて面白いと感じたのは、数年後には教授がその会社を売却していたことだった。当時はまだ会社を売るイコール経営悪化というイメージがあった。イグジットという文化にも初めて触れた。
歯科医としての起業という選択肢は面白い。3年間の留学生活を経て帰国する頃には、かなり現実的に考えはじめていた。
留学中、ニューヨーク大学歯学部の同級生と
「帰国して歯科医として働きながらも、企業活動をするなら何をやったらいいのかと考えていました。何をやるかってすごく大事だと、ただ会社を作りたいから起業するというのは僕はあまりよくないと思っていて」
1年半、歯科界における新しい事業を考えた。誰もやっていないこと。こんなものがあればいいんじゃないかと思えること。それが見つからなければ、起業しても意味がなくなってしまう。本気で走り出すつもりだからこそ、向かう先はしっかりと考えたかった。
「最終的に14個の事業アイデアを考えたんです。歯科界ってかなり閉鎖的で、まだまだヘルスケア業界のスタートアップ企業も入ってきていない。5GやAI、メタバース、デジタルツイン、VRといった言葉はあっても、それを歯科界に落とし込むツールがこれまで全くなかったんです」
まさにブルーオーシャンどころか、湖すらそこに無いような状態だ。そこにスコップを持ってきて掘りはじめてみると、たしかに水が出てきそうな兆しがあった。
14個の事業プランのうち土台を作れそうな3つの事業を選んで、挑戦することを決意。2020年、株式会社Dental Predictionを設立した。
「当初AIを担当してくれるエンジニアを探したんですが、2000万円かかると言われてしまったんです。これはプロには頼めないということで、プロになる前のエンジニアを獲得しようと考えてですね、プログラミングオリンピックってあるじゃないですか。それに出場している人を探して、日本全国の大学に連絡して。そこで連絡が返ってきたのが、早稲田と東工大のエンジニア、そのうちの1人が今のCTOなんです」
やろうとしていることを語ってみると、興味を持ってくれた歯科医の仲間やエンジニアがいた。たくさんの仲間のおかげでプロトタイプができあがり、プロトタイプのおかげでVCから投資を受けることができた。
事業が軌道に乗りはじめる。その源は、シンプルに行動力だった。
「今まで一生懸命になれなかった分、余力があるんだと思います。かなりまだまだやれるなという感覚なんです」
人より長く模索してきた人生がある。学生を続けながら、自分が一生懸命になれるものを探してきた。だからこそ、チャレンジするにもまだまだ余力がある。何より、自分で決めてチャレンジした方が面白いと知ることができた。
待っていても、チャンスの方から来てくれるなんてことはほとんどない。十分に考え決めたなら、あとはできるだけ早く動き出すだけ。それが早ければ早いほど、本気の思いは伝わっていくのだろう。
2022年現在、同社は歯科界に来たるべき未来を見据えながら、着実に成長を遂げている。そこでは新たな発見があったという。
「弊社の強みは、起業前はどちらかと言うと新しいことにあるだろうと思っていたんです。歯科界にとって新しいことや、ほかの歯科医の方々がやられていないことを選んでやったので。だけど、今こうやって会社がシード、次はポストシードというフェーズに入る中で、僕たちのプロダクトって実は歯科医の方や歯科学生だったら必ず一度は『あったらいいのに』と思うことなんだと感じるようになって」
こんなツールやシステムがあったらきっといい。こんな教材が欲しかった。こうなれば患者さんにとって格段に便利になる。安心安全に手術が行える。
そんな風に歯科に関わる人なら誰もが思いつくアイデアの種を、同社が新しく生み出したのではなく純粋にピックアップしているだけなのだと宇野澤は語る。
気づきのきっかけとなったのは、ほかでもない共感してくれる仲間の存在だった。
「僕が『こういったものを作ったので、ちょっとやりませんか』と相談すると、皆さんすごく協力してくれるんです。つまり、アイデアはあったけれど時間的、金銭的な部分を費やせなかった人のためのプラットフォーム、土台をうちが作ったことにより、そこに参加してくれて助けてくれる人が多くいることが、すごく弊社の強みだなと思うようになったんです」
共感し、助けてくれる人が大勢いる。その存在が、同社の挑戦が決して突拍子もないものなどではなく、現実的に歯科界に必要とされている価値なのだと教えてくれた。
その事実と仲間たちに大いに感謝しつつ、宇野澤はこれからも忘れずにいたい精神性があるという。
「皆さんに協力していただく分、やっぱりきちんと継続していかないといけないと思っています。そうしたときに何が弊社の原動力なんだろうと考えると、学生時代に浮かんだ素朴な疑問とか、時間が経つにつれ薄れてしまいがちなピュアなところが原動力になっている。だから、初心を忘れないということがすごく大事なのかなと思うんです」
勤務医か開業医という選択肢しかないことへの疑問から始まり、場所や環境による格差、アナログな教材のもどかしさなど、数え上げればきりがない。
そうしたピュアな疑問をどれだけ抱いても、人は目の前の現実をしっかり生きようとすればするほど初心を忘れてしまいがちになる。特に不安定になりつつある社会情勢下では、余計にそうなのかもしれない。
ただ、「初心」というと仰々しく聞こえるが、何もそんなに大層なものである必要はないと宇野澤は考えているという。ずっと疑問に思いつづけてきたこと。あれば良いのに感じたこと。今の当たり前に流されず、それらをアイデアに変えていく。
年数を重ねても、出発点にあった思いを忘れないこと。誰かが諦めてしまったり忘れてしまった夢があるならば、同社はその実現を大切に支援していきたいと考えている。
VR空間に再現された患者の症例をもとに、
遠隔地にいる歯科医師たちがセッションしている様子(実際の画面より)
非現実的な1人のアイデアも、それを実現しうる十分なリソースと組み合わせれば現実的なソリューションとなり得る。Dental Predictionでは、そんな価値創出を加速させていくべくさまざまな取り組みを行っている。
そこでは経験豊かな歯科医師のみならず、志ある若手歯科医師にも門戸が開かれているという。
「たとえば、『DenPre Crew(デンプレクルー)』という仲間を募集しています。ここでは無料で僕たちのツールやAIエンジニアの力をどんどん使っていただけますし、今までなかったものを一緒に叶えましょうという思いでやっています」
多くの歯科医師にとっていきなり臨床現場の仕事を辞め、会社に就職するという選択肢はなかなか取りづらい。けれど、そことは少し違った世界があり、その世界は実はとてつもなく広いのだということは伝えていきたいと宇野澤は語る。
「歯科領域のヘルスケアスタートアップとして弊社が成長していくことができれば、それだけ入りたいと来てくれる人も増えるし、自分で会社を作るという人もたぶん出てくると思うんですよね。勤務医か開業医かじゃなくて、起業やベンチャー企業に入るという選択肢を1つ作るという意味でも、大きな意義がある挑戦だと思っています」
近年、医療・ヘルスケア市場の成長は世界的にもめざましい。商社や自動車など異業種からの参入も活発化しつつある一方で、外からだけでなく内からの変革も起こりうる。
「内部からやった方が早いこともあるし、仲間も集めやすいしというところで、今後は歯科医から起業家になる人が増えてくるんじゃないかと思っていて」
最初はささやかな変化に過ぎないかもしれない。しかし、成功例が増えるほどあとに続く人は確実に増えていく。やがてそれがムーブメントとなり、業界全体を活性化させていく新しい奔流となるのだろう。
「最初から自分でやろうとするとリスクもありますし、誰もがリスクを取れるわけじゃない。であれば、ぜひ一緒にやりましょうと。それで企画が結果的にうまくいかなくても、新しい視点が加わったということであって。そういうアイデアがある方はぜひ弊社に遊びに来てほしいですね」
既存の歯科界には良いところもあれば、悪いところもある。そこには同時に多くの才能とアイデアが眠っている。さまざまな知見を持った人々の英知と技術が集まることで、今までにない発想や価値が生まれてくる。多くの人の手による連鎖的なイノベーションが、歯科界のより良い未来を創るだろう。
Dental Predictionは、その最初の一石を投じる存在となる。
2022.6.23
文・引田有佳/Focus On編集部
医師から起業する人も少なくない時代。けれどそこに今、デジタルツインやメタバースといった技術を取り入れ、浸透させようとする人は間違いなく先駆者と呼べるだろう。
しかも宇野澤氏はその道に精通した技術者ではない。概念として知ってはいても、誰もがそこに踏み込めるわけではないだろう。しかし、幼少期から孫正義氏の影響を受けていたと聞くと不思議と納得できる部分もある。
患者の症例を3Dで確認できたらいい、実際の症例通りの模型で練習してから手術に臨みたい。そんな風に誰もが一度は想像したことのあることを、現実に変えていくDental Prediction。あれば確実に便利だが、どうせ無理だろうと普通は思ってしまう。そんな道をストレートに歩もうとする。
未踏の領域でありながら、そこにはイノベーションの担い手たる歯科医師たちが集まりつつある。実際、先の読めない領域に率先して進む誰かの姿こそ、多くの人の心を動かすのかもしれない。
一度は抱いたことがあるけれど、目の前の仕事に忙殺されるうちに忘れてしまった夢や理想。本当はもっと多くの人が、そこにチャレンジできるのだと同社の挑戦は教えてくれる。
文・Focus On編集部
株式会社Dental Prediction 宇野澤元春
代表取締役CEO
1985年生まれ。東京都出身。千葉大学医学部大学院で口腔癌遺伝子の研究に従事した後、ニューヨーク大学歯学部Advanced Program in Implant Dentistryに入学。在学中に同大学歯学部卒後研修同時通訳や海外学会・NYU School Researchで多数のAwardを受賞。同大学歯学部修了時、Outstanding Student Award(Class President)を受賞。帰国後2020年 株式会社Dental Predictionを設立。3D Printing Model事業を展開し、5G・VRとの連携を推進。