Focus On
中山俊
アンター株式会社  
代表取締役
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or愚直に努力できないからこそ考える。どうしたら楽にできるのか。どうしたら効率的にできるのか。それは、一つの能力だった。
「ワークライフバランス」「働き方改革」といったテーマが、しばしば語られる現代。スタートアップでありながら、「家庭と仕事の両立」を実現している企業がある。会社設立から運営に関わる煩雑な諸手続をより分かりやすく、簡単に。Bizer株式会社が提供するのは、総務・労務・経理などの幅広い業務をまとめて管理する、バックオフィスのクラウドプラットフォームだ。時間的金銭的コストを削減し、中小企業の業務を効率化する。リクルートからGREE子会社社長を経て起業した、代表取締役の畠山友一が大切にする思いについて語る。
目次
キャンピングカーに子どもを乗せ、幼稚園の送迎をしたら朝の海へ。潮風を感じながら仕事を片付け、サーフボードを出して波に乗る。必要なときには会社に出社し、子どもを迎えに行ったら、夜は家族で食卓を囲む。仕事は隙間時間で。家族も仕事も趣味も大切に、自分が自分でいられるように無理はせず、自分らしく大切にしたいものを守りつづける。
中小企業のバックオフィス業務にかかる労力を最小化するクラウド型プラットフォーム「Bizer」を提供するBizer株式会社。2015年、セールスフォース・ベンチャーズとインキュベイトファンドより1億円の資金調達を完了して以来、国内1000社以上に導入され、提携外部サービスは30を超えた。スタートアップ企業にはめずらしく法律事務所と資本業務提携しており、会社設立・運営に必要とされる専門的な士業領域のサービス提供も手厚い。
かつては、リクルートでFAX一斉同報サービス(現在は株式会社ネクスウェイにて事業運営)などの営業を通じて、8000社の中小企業の業務効率化を支援していた畠山氏。GREEで広告事業、海外進出支援事業に携わったのち、同社子会社社長を経て、Bizerを創業。学生時代には、水上スキーで日本一に輝いたという経歴をもつ。
「社会的な欲とかはもうだいぶ無いですね。自分の自由度の方が優先順位高くて、体験とか時間とかに欲はあるけど、金銭的なものではなくなってる気がしますね」
上昇志向で「欲」のあった若手時代から年齢を重ね、いま大切にする「本質思考」とは。
社会の役に立つサービスの本質とはなんだろうか。
中小企業のバックオフィス業務を支援するクラウドサービス「Bizer」。明朗な価格設定で、誰もが使いやすい。それをシンプルに提供するからこそ、高い技術力や、高度な営業戦略は必要ない。そのサービスは、会社設立時の手続きがあまりにも煩雑で苦労したという、畠山氏自身の体験から生まれた。
「もともとBizerって、中小企業のバックオフィスをわかりやすく簡単にしたいってことでやっているので、普通の話なんですよ。役所の手続きとかすごい小難しく書いてあるけど、やってみれば簡単なことなんですよね」
難しく見える会社の登記申請書も、よくよく読んでみると、社名と住所、代表の名前程度しか書かれていない。要は、普通の話を複雑化しているだけなのだ。もっとわかりやすく、簡単に。そのために必要なことは何か、同社では本質を考え、シンプルに実行する。それこそがお客様に喜ばれ、社会にとって意味のあるものとなる。
事業だけではなく、会社のあり方や、社員一人一人の働き方もそうだ。働く人が本質的に求めているものは何か。それは仕事だけに存在するものでもない。「子どもとの時間を大切にする」――Bizerでは、それを実現できる働き方を創造してきた。
「社内は一人だけ20代がいるんですけど、残りは30半ばから後半なんですよね。それぞれ家族がいて、それぞれ子どもとの時間を大切にするっていう考えで皆集まってるので。だから、効率化とかって、ある意味当たり前になってるところがあって」
守りたい家族、守りたいものがあるからこそ、人生の時間は仕事だけに使うものではない。たとえば、同社のコアタイムは10時~16時のみ。残りは各自の裁量に任される。エンジニアも取締役も、保育園などに預けた子どもの送り迎えがあり16時に会社を出る。
だからといって、その分の仕事量が減るわけではない。家庭を一番に考えるからこそ、効率化しなければ回らない。それぞれの「本来あるべき姿」への共通の認識と、それを実現できるという組織の信頼関係があるからこそ成り立っている。
「本音言うと、もっと仕事のことを考えて欲しいっていうのはありますけど、そういう風に集まった集団で、(私自身子どもとの時間を大事にしているので)なかなか自分たちが仕事一辺倒になることもできない。子どもの送り迎えとかあるからこういう時間で働いてるし、子ども寝てから夜とかになって仕事もして、なんとかギリギリ回してるのが実態ですよ」
働き方に正解はない。あるのは、「どういう働き方をするか」という選択肢だけだ。それぞれの会社が大切にするものによって、最適な働き方も変わる。
Bizerは、本質的な価値を考えるからこそ、お客様に喜ばれつづける価値をつくることができる。そして、本質的な生き方を考えるからこそ、お客様への価値と自分たちにとっての価値、両者を成り立たせるための組織になっていく。だから、一人一人が本来の姿を失わないまま、高い生産性を実現できる。もっと言えば、子どもがいるからこそ、目の前の仕事への責任感も強くなっていく。
1000人、1000億の会社をただつくるよりも、着実に世の中の役に立つサービスをつくり、それが役に立つと感じる人に広がっていくこと。その結果として、ビジネスが大きくなり、きちんと成長していく。それがBizerの目指す会社のあり方であり、大切にする思いだ。
かけっこで一番になりたい。兄弟でケーキを食べるなら、一番大きいものを食べたい。昔は欲が強い方だったと、畠山氏は語る。大学の部活で水上スキーをはじめたときも、日本一になりたいという欲があった。
「たとえば、高校でバスケをやっていて、バスケで日本一になろうとしたらすごく大変ですけど、大学から皆が始めるマイナースポーツで一番になろうとしたら、何百人に勝てば一位になれるんです」
競技人口が少なく、大会に出場する大学も少ない水上スキーは、一番になるチャンスが大きい。範囲を狭くすれば日本一を狙いやすい。畠山氏は、結果への最短ルートを歩みたかった。無心になって愚直に練習し疲れてしまうよりも、少しの時間で効率的にやりたい。練習量は同期の中で一番少なかった。
「私みたいなタイプは結構めずらしくて。皆一本でも滑りたいからって、一年生のころから手を挙げてジャンケンして、練習量確保するんです。でも、私はちょっと寒いと、『ジャンケン負けたいなぁ』とか、ほんとそんなタイプで。逆に、滑らなくても、どうやったらうまくなるんだとか、試合で勝つためにはどうするんだとかを考えてたんです」
一番になりたいという欲があったからこそ、そして徹底的に効率的でシンプルな道を求めていたからこそ、それを人にも求める自分がいた。練習場所が限られていれば、他大学を追い出してまで、一番いい時期に練習場所を独占したこともあった。(「関係者の皆さま、その節は申し訳ありませんでした」)
「それくらい欲に対してコミットしてましたよね。それは別に社会貢献でも何でもなくて、自分のチームが一番になりたいだけ。出る選手のスコアをどう上げるかとかをずっと考えて、同級生にも後輩にも厳しくしていました。後輩もむちゃむちゃ怖かったと思いますよ」
畠山氏の行動はチームを日本3位に導いた。それだけでなく、畠山氏個人ではインカレ記録を出して日本一となり、5年間それを保持した。そこには、誰よりも没頭し、チームとして勝つためのシンプルな最短距離を追求していた畠山氏がいたのである。
大学4年間を水上スキーに捧げ没頭していたからこそ、就職活動やキャリアプランなど頭にあるはずもなかった。学校にはあまり行っていなかったが、部活の成績が良かったので単位をもらうことができ、なんとか卒業することができた。
就職先は、たまたま最初に受けた、富士通グループ子会社のシステムエンジニアリング企業。最後の大会以降すっかり燃え尽きていた畠山氏は、仕事へのやる気もなく、SEとしてひたすらコードを書く日々を送っていた。
「私は新卒3日目くらいにもう遅刻するわで、結構問題もあって。査定は同期の中で悪かったんですけど、同期と給料が月3000円くらいしか違わなかったんですよ。それで頑張った先に何も見いだせなくなってしまって」
頑張っても頑張らなくても、差は広がらない。何年後に課長職になるか、給与テーブルがどうなっているか、すべて明確だった。15年、20年働いたとしても、この会社での先のキャリアには、決まった未来しかない。ふと、畠山氏の頭に将来についての不安がよぎる。
「本当に朝から夜までビルの中に籠もってるんですよ。2年くらいやったときに、世の中で何が動いてて、何が起ってるかほとんど入ってこなくて。怖くなっちゃったんですよ、『俺このままいたらどうなっちゃうんだろう?』みたいな」
久しぶりに大学の同期に会うと、それぞれ営業として華々しく活躍しているように見えた。将来に不安を覚えたからこそ、その姿は輝いて見えた。自分も営業がしたい。すぐに上司に辞職を申し出て、転職活動をはじめる。本を買うなら本屋だろうというような感覚で、営業といえばリクルートだろうと考えた。営業経験はゼロ、名刺交換もろくにしたことがなかったが、水上スキーで日本一になったことがあると言うと、「おもしろそうな奴がいる」と採用してくれた。
年齢にかかわらず、努力すれば実力で評価される環境に、ふたたび強い上昇志向が胸に湧きあがる。水上スキーに明け暮れていたころの「欲」。出世していく。そのための、最短ルートがリクルートだった。
慣れない営業の仕事は、予想以上に高い壁として立ちはだかった。初月の売上達成率は4%。愚直に死ぬ気でやるのがリクルートの営業マンの流儀であったが、畠山氏はどうしても無心になれなかった。隣で愚直に電話営業している同僚を見ても、理解ができない。
「今はもう笑い話ですけど、とにかく売れない営業マンでしたよ。行き先もないのに営業だからとにかく外に出るわけなのですが、その辺のカフェで読書したりして時間をつぶして、適当な時間になったら『ただいま帰りました!』とか言って戻るわけです。そりゃ売れるわけないんですよ」
最初の仕事は、個人宅向けにFAX市場を開拓する営業。法人顧客と比べると、明らかにマーケットは小さかったが、課せられる目標は法人顧客の目標と同じくらいだった。
「もう自分なりにいろいろと考えた結果、これは無理だって踏んじゃってるんですよね。そのときに何を思ったかというと、行動するのをやめたかわりに、誰がどうやって自分の売上目標を決めてるんだろうって、すごい興味を持ちました。そこから結構口を出すようになったんですよ」
結果的にそれがマネージャーへの近道だったと、畠山氏は語る。営業から企画部門への異動、そこで目標設計をやらせてもらえるようになり、数字を分析して自分なりに立てた戦略が評価されたのだ。営業マンとしての時期は腐っていたが、数字を作るための最短ルートを考えつづけていた。愚直にできなかったこともまた、一つの能力へとつながった。
ある日、リスティング広告の新規事業がつくられることになり、畠山氏を含む4人が抜擢された。
8000社ほどの中小企業の顧客を抱え、その業務改善に尽力していた当時。ツールを導入すると、わかりやすくお客様の業務の効率が良くなる。手に取るようにそれがわかり、「あぁこれは役に立っている」という肌感覚があった。
営業リーダーから、営業マネージャーへ。新規事業を無事軌道に乗せ、成績も出すようになると、急に立場が変わっていった。社会の役に立っているという実感を持ちながらも、自分の職位が上がるにつれ、不安も生まれつつあった。自分の成長が止まってしまったような感覚ももっていた。畠山氏の出世「欲」は、ただただ職位が上がることを許さなかった。求めていたのは、力をつけ、本質的に成長してこそ得られる出世の実感であり、職位が証明するものではなかったのだ。出張の承認をしたり、勤怠の承認をしたり、自分がそこにいなくても変わらない仕事の数々。一方で、給与はどんどん上がっていく。「何もやっていないのに、このまま俺はどこにいくんだろう」若手の後輩にもいつか追い抜かれるかもしれない。売れるのは結局、周りの人や、ビジネスモデルがすごいだけだということにも気づいてしまった。不安を胸に、自分に強引に火をつけるため、畠山氏は退職を決意した。
新天地として選んだGREEは、当時誰から見てもわかりやすく急成長を遂げていた。昨対比200%の成長を遂げるような組織で24時間働く体力があるのは、30代前半までではないか。当時32歳だった畠山氏は、そんな環境に身を置きたいという思いをもっていた。同時に、ネクスウェイ(2004年リクルートより分社独立)にはない海外事業も、自らを「実感をもって」成長させてくれる環境として、挑戦してみたかったものだった。
「海外事業やるとか、ゲーム一切やらないのにゲーム会社行くとか、まわりの年齢は皆若いとか、全然違う異業種異分野で、しかも別にネットワークもなく知り合いもいないようなところにポンッと入ったので、最初はめちゃめちゃ大変でした」
結果的に、2年間在籍し、GREE子会社の社長を任されることになる。
「30人くらいいる子会社で、グローバルの仕事で9割英語なのに、英語喋れないの社長(=畠山氏)だけですよ。それでも何とかなるんだったら、別に何とでもなるじゃないですか。その辺から、野心とかハングリーさもなくなったというか、もうちょっと余裕ができたんでしょうね。何やってもそこそこやれんじゃないのっていう、ポジティブさですかね」
あらゆることへの挑戦をさせてくれたGREEだからこそ、得られたものも大きかった。出世欲の先に控えていたものは「余裕」であり、目の前の景色を変えるものだった。
一方で、ゲームを仕事としていること自体には、コミットしきれない部分があることも事実だった。世の中にそのゲームが広まったとき、ゲーム好きな人を幸せにすることはできたとしても、それ以外の誰をどう幸せにできるのか。
「GREEに入って、確かに稼げるし、派手だけど、感じるものがあんまりないなと気持ちが落ちたんです。そのときに、もし起業するなら前やっていたような、自分の手応えとして返ってくる事業がやりたいと思いました。それが、中小企業の業務効率化だったんですよね」
最初から現在のBizerの構想があったわけではなかった。当時は、畠山氏自身、税理士や会計士など専門家にはほぼ会ったことないような状態だった。ただ、中小企業の業務効率化というテーマだけは決まっていた。
そんなとき、友人が紹介してくれたベンチャーキャピタリストに会う機会があり思いを伝えると、その場で投資が決まった。それが、起業のきっかけとなる。リクルート時代の先輩も次々に起業していたので、起業家は比較的身近な存在だった。
お客様が喜び、社会に必要とされるサービス。困ってる人がいて、それを助けることができれば、人の役に立っていることが手に取るように分かる。正しいと思える状態に社会がなっていくこと。正しいと思える方向に世の中が動いているといえること。本質を追究するからこそ、自らが社会に提供していく「仕事の価値」にも、それを手にする人にとっての喜びが何であるのかを考え、あるべき姿を求めることができた。そんな畠山氏の姿勢からBizerは生まれた。
中小企業の業務効率化事業。それがお客様に求められることであり、社会に対する価値の姿であった。しかし、自らの本来の姿を歪めてしまっては、社会への価値提供を継続することは難しい。「めんどくさい」という思いだって自分が素直に思うことなのだ。
仕事をしていれば、面倒なこともたくさん発生する。「めんどくさい」という不満や愚痴があるからこそ、より良い方法を模索する。そう畠山氏は考えてきた。
「たとえば、言いっぱなしは駄目ですけど、愚痴って課題発見能力なので。『課題を発見してるから、ふんだんに愚痴を言え。ただし、それを書いておいて、翌日その愚痴をどうやったら直せるのか考えろ』と言ってきました。課題を発見してるんだから、直すのが仕事。愚痴で止まってるんだったら仕事してないっていうことですよね」
面倒だからこそ効率化を考えるし、無理はしない。だから、Bizerにとって、効率化は当たり前になっている。
「本来の自分の姿」には、さらに他の側面もある。一人の経営者である以前に、子どもをもつ一人の親であることも本来の自分である。
「仕事は自己実現で自分のものだけど、子どもがいるなら、やっぱり家庭が一番です。親だから子どものことをちゃんと考える。そういう考えに共感して皆集まっているので。組織に集まってる人がそうなんで、余計に仕事だけを考えさせることはできないです」
同じ思いのもとに集うからこそ、それぞれの時間を尊重する働き方が成立している。同社で働く20代のとあるエンジニアは、平日は毎日18時まで会社で働く傍ら、夜間の大学に通っているという。退社後はもちろん仕事はしない。それでも、結果を出しつづけている。
「それはやっぱりこういう組織だからできることですよね。仮に、彼が24時間働くようなスタートアップに行ったら、仕事を諦めるか大学の勉強を諦めるか、どちらかを諦めることになると思うんです。それはもったいないですよね。大切なものを両立させるために業務を効率化することは、もう皆のスタンダードになっちゃってますね」
お客様に価値を届けつづけるためにも、自分たちの正しい姿を守っていかなければならない。それぞれの社員が無理をしたら、少しずつ歪みが生まれてきて続かない。Bizerの社員は皆、ご飯は家で食べる。畠山氏自身、週3で夕飯を担当しているという。一人一人本来の自分の姿を大切にするからこそ、効率化が進み、結果も自然とついてくるのである。
スタートアップが抱える問題は多岐にわたる。特に、創業期の組織作りは永遠のテーマである。結局、ほとんどのスタートアップが抱えている問題は、事業よりも人の問題の方が多いのではないかと、畠山氏は語る。
「一番大事なのは、『Bizer』っていうサービスは難しいサービスじゃないということです。簡単なサービスなので、すごいスキルのあるエンジニアとか、すごいテクニカルな何かとか、すごい事業戦略立てるではなく、人がよければいいんだなと、ここに行き着きました。だから組織は、人がいい人が集まって組織、以上!って感じですね」
人に気遣いができて、普通に生きている人でいい。かつてリクルートやGREEで採用していたときは、何かができる優秀なエンジニアが欲しいと考えていた。
「優秀なエンジニアって定義ないじゃないですか。GREEにいたから優秀だって思い込むとかね。今だとRailsもそんなにやったことなくても別にいいと思ってます。人がよければいいんです。難しいことやってないですから、2、3ヶ月で覚えますよ」
前職でのスキルがハマるかどうかは、同社の採用において重要ではない。人で成り立つのが組織であり、事業である。人の問題だからこそ、1回2回会っただけでは決めることができない。何度か、何人かと会ってもらい、飲みの場もなるべくセッティングする。手間はかかるが、必要なことだ。
「今2600社くらい使ってもらってるなかで、ほとんどの会社はITに詳しいわけじゃない、普通の会社さんじゃないですか。そういう人たちにとっては、『Bizer』の中の技術なんかどうでもいいわけですよ。ビジネスモデルもどうでもよくて、こうやって相談したらこうやって返ってきて、『いやぁ助かったよ』ってこれに尽きる」
ビジネスの本質は、お客様に喜ばれることにある。
高い技術はいらない。それを正しく提供しつづけるためにも、シンプルであることが大切だ。そのためにも、「いい人」で成り立たせる組織であることは前提条件となる。最新のものでなくとも、安心・安全なもので、シンプルに作る。だからこそ、Bizerはこれからも長く、広く社会に必要とされつづけるのだ。
2017.09.19
文・引田有佳/Focus On編集部
1991年バブルが崩壊し、経済成長に歯止めがかかった日本。それまで成長を続けていた経済は鳴りを潜め、同時に、働く人の価値観に変化をもたらした。「これまで信じ進んでいた道で良いのか?」「何を得ることが人生の正解と言えるのか?」。人々が信じて疑わなかった生き方は土台から崩れ去ることとなった。
ほどなくして、成長著しい日本を知らない世代が社会へ参画するようになり、「働くこと」について新たな価値観が生まれている。
「ワークライフバランス」―仕事と生活の調和を目指し、働き方の改革を国家単位で推し進めることを意図して生まれた言葉。それは、私たちが個人の時間・家庭の時間を確保するために、働く時間の抑制を進めてくれるものであった。
いまでは「ワークライフバランス」という言葉は一人歩きし、さまざまな意味と価値を持ちはじめている。
特に、「仕事」と「私生活(家庭や個人の時間)」を分離したものとしてとらえ、相互に相いれないものとする論調も多いようにも思える。仕事と生活は相互に時間を奪い合うものであるという前提のもと、切り離した2つの人の営みのバランスを、幸福にむけてどうにか調整していくことを求めている。そして、生活で得られる幸福が少なければ、その原因を仕事に求め、仕事を糾弾する。
しかし、畠山氏の働き方は、仕事と家庭、仕事と個人の生活は相互に良い影響を与え合うものであるという一つの真理を示唆している。
ワークライフバランスの研究を進める同志社大学教授・藤本哲史氏は、仕事と私生活のポジティブな関係や相互作用の2つの効果について、以下のとおり整理している。
ひとつは「道具的エンリッチメント」と呼ばれるもので,ある役割領域で獲得した能力やスキルが別の役割領域に持ち込まれ,有効に活用される場合である。例えば,職場で身につけた問題解決のスキルを家庭生活の中で活用することにより,家庭での問題がより効果的に解決される場合がこれにあたる。もうひとつは「情緒的エンリッチメント」と呼ばれるもので,喜びや嬉しさなど,肯定的な感情や気分がひとつの役割領域からもう一方の領域へと伝達される場合である。
―同志社大学大学院総合政策科学研究科教授 藤本 哲史
仕事は私生活に良き影響を与え、私生活は仕事に良き影響を与えてくれるのである。
私たちは一概に仕事をぞんざいに扱うべきではないし、私的な生活もぞんざいに扱うべきではない。双方の価値を共存させ高めあう状態を創り出し、人生を歩んでいくことは夢物語ではないのだ。
畠山氏の創るBizerは、私たちの「働くこと」「生活すること」という価値観に、新たな真実を与えてくれる進化の姿であるといえよう。
文・石川翔太/Focus On編集部
※参考
藤本哲史(2011)「論文Today-仕事と私的生活のポジティブな関係性」,『日本労働研究雑誌』53(606),p.117-118,労働政策研究・研修機構,< http://www.jil.go.jp/institute/zassi/backnumber/2011/01/pdf/117-118.pdf >(参照2017-9-18).
Bizer株式会社 畠山友一
代表取締役
1978年東京都出身。2001年富士通アドバンストエンジニアリング入社。2004年に株式会社リクルートに転職し、FNX(FAX一斉同報サービス)を中心に営業を担当し8千社あまりの法人へ提供する過程で、中小企業が自社の本業に集中できる環境を作るため、業務効率化、マーケティング支援の業務に従事。2011年グリー株式会社入社。グリーアドバタイジング株式会社の代表取締役を経て、2013年10月に独立。株式会社ビズグラウンド(現・Bizer株式会社)を設立し、代表取締役社長に就任。自身が小規模事業者として苦労したことや工夫したことなどをサービス化した「Bizer」を2014年5月にリリース。