Focus On
野呂寛之
X Mile株式会社  
代表取締役CEO
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or夢中で究めるほどの熱量は、知らない誰かの情熱に火をつける。
「個人の可能性を最大化する」というビジョンを掲げ、英語学習領域にイノベーションを創出していく株式会社Globee。同社のAI英語学習アプリ「abceed(エービーシード)」では、TOEIC®︎など資格テスト対策の定番教材をはじめ700タイトル以上をデジタル化。ほかにも映画・ドラマなど人気コンテンツを教材として利用可能にするなど、唯一無二の学習体験を提供している。利用者数は300万人を超え、2023年6月には東証グロース市場へと上場した。
代表取締役の幾嶋研三郎は、慶應義塾大学法学部在学中に株式会社Globeeを創業。新卒でソフトバンクに入社し、社内の新規事業創出を促進する部署に従事したのち、「abceed」事業を本格的に展開すべく、2017年1月に独立した。同氏が語る「エネルギーの源泉」とは。
目次
名だたる起業家や成功者たちが、第一線を退いたあと私財をなげうち投資する分野に「教育」がある。たとえば、ソフトバンク創業者である孫正義氏は孫正義育英財団に、日本電産創業者である永守重信氏が京都先端科学大学に。彼らが真の社会貢献だと考える分野が教育であるならば、事業としてもそれをやることが最善なのではないか。
Globeeが生まれた背景には、そんな思いがあったと幾嶋は語る。
「『個人の可能性を最大化する』というビジョンは、まさに人への投資という本来の教育の意義であり、役割だと思っています」
昨今EdTechと呼ばれる分野でも、さまざまなサービスが生まれている。そんななか同社展開の英語学習アプリ「abceed(エービーシード)」が実現した価値とは、シンプルに言えば紙の教材をデジタル化した点にある。従来そこには英語教材特有の課題があったという。
「サービス開発当時、2016年頃のことですが、Amazon Kindleの売り上げが紙を上回ったという時代だったんですよね。紙の本が売れなくなりつつあったのですが、こと英語教材について言うと電子版が全く売れていなかったんです。紙とデジタルの比率が10対1くらいで、比較にならないくらいデジタル化に失敗していたんですよ」
デジタル上でページをめくるだけでは効果的な学習は難しい。英語教材に求められていることといえば、やはり音声を聞いたり、問題の解答を書き込んだり、採点したりできることであるからだ。
一方で、出版社が人気教材をアプリ化する動きもあった。しかし、英語教材市場の規模は400億にも満たない。教材自体は五万とあるなかで、どんなに売れる1冊をアプリ化しても、売り上げは1億行けばいいほうだ。それではアプリ開発のコストに見合うだけの収益が上がらないことが課題とされていた。
「要は英語教材をアプリ化するということは、かなり複雑な機能が求められ、かつ教材1冊ではなく教材のプラットフォームである必要があったんです」
2023年現在、700タイトル以上の人気英語教材が利用可能
ほかにも受験し放題のオンライン模試、AIによる学習最適化など豊富な機能がある
ただ問題が無機質なテキストデータに変換されるだけでは、学習者に選ばれる教材コンテンツとしては不足がある。「abceed」では紙の本にある学習体験を損ねず、むしろそれを加速させるような体験を作ることを重視する。だからこそ、多くの出版社から刊行された質の高い人気教材のライセンスを獲得しつづけているともいえるだろう。
2023年3月からは、ソニー・ピクチャーズ エンタテインメント社と提携し、海外の人気映画・ドラマ作品を観ながら英語学習できる機能も搭載された。日英同時字幕や、フレーズ単位での巻き戻し・早送り、解説・語注、My単語帳など、まさに英語学習者が欲する機能がそこにある。
「一般の動画配信サービスは、ただ視聴して楽しむエンタメコンテンツとしてはいいのですが、学習者向けのUI・UXにはなっていないですよね。でも、なんでもいいので映画1作品全部をシャドーイング*できる状態になるくらいやりこめば、絶対力になるんですよ(*英語を聞きながら、あとを追いかけ真似して発音する学習法)」
英語を学ぶ上で、教材となりうるコンテンツは豊富にある。洋画だけでなく、日本のアニメや漫画を英語版にしたものや、洋楽で発音練習ができてもいいだろう。同社では、今後もさらに便利で楽しく学べる機能やコンテンツを実装していく予定であるという。
「映画やドラマだけでなく洋楽、漫画、アニメなどエンタメコンテンツのラインナップは増やしていきたいと思っています。そういったものはグローバルコンテンツですので、まさに教育とエンターテイメントを融合するグローバルカンパニーとして世界展開を進めるべく、今後5年10年かけて目指す姿を体現していきたいですね」
もっと楽しく効率的な英語学習を、全ての人が享受できる社会。そこではTOEIC®︎などの資格試験さえ、誰もが自動車免許のように2、3か月の勉強でクリアできるようになっていいはずだと幾嶋は考える。
Globeeは英語学習の常識を塗り替え、人々の可能性を最大化する。
今ではほとんど面影もないが、どちらかと言えば病弱な子どもだったと幾嶋は振り返る。小児喘息に悩まされ、体力をつけるため水泳などスポーツに励む日々を支えてくれたのは母だった。体育教師でパワフルな性格だった母からは、ときに愛ある叱咤激励が飛んでいたという。
「喘息持ちだったので小学校で持久走大会とかがあると、やっぱり苦しいし、結構最初の方は歩いていたりもしたんです。だけど、水泳をやりはじめて徐々に喘息も治ってきた頃ですかね。母からは『死ぬ気で走れ!死なないから!』と(笑)。そういうことを言われていた記憶はありますね」
幸い高学年になる頃には比較的症状も治まり、中学以降はほとんど発作も起きなくなった。しかし、喘息のせいで思うように体が動かなかった幼少期、身近には運動神経のいい3歳上の兄がいて、自然と自分と兄を比較してしまう瞬間があった。
「兄が割と活発に運動するタイプで、かつ運動神経もよかったので走りも速いし、いろいろなスポーツで活躍している様子を見て、自分も刺激を受けるんです。でも、なかなか兄のようにはいかなくて。それが歯がゆいというか、自分ももっとエネルギッシュに運動したいなと思ったりすることがありました」
当時は運動だけでなく、勉強面でも兄の背中は遠くに見えていた。兄はあまり勉強した様子もなくテストで90点や100点を取ってくる一方で、自分が同じようにやると70点や80点を取る。
勝ちたいけれど、いつも勝てない。兄の存在は、裏を返せばそれだけ勝負事へと向かうエネルギーになったのかもしれない。ことあるごとに親から聞かされていたエピソードがある。
「保育園の時、かけっこの競争があるじゃないですか。僕は1番になりたかったんですけれど、僕より速い子がいて、普通にやると負けるんですよ。それで僕が『もう1回、もう1回』と何度も挑むので、その子も偉くて、勝負に付き合ってくれていたらしいんです。でも、僕が勝てるまでやろうとするので、最後は向こうも疲れて手を抜いて負けてくれたと。それくらい昔から負けず嫌いな性格があったということは、よく言われていましたね」
運動能力云々は関係なく、勝利の達成感を味わえる。ようやくそんなものが見つかったのは、小学3、4年生の頃だった。偶然友だちに誘われ始めたカードゲームにのめりこんでいた。
「割とカードゲームは得意だったんです。普通に周りとやっても負けなくて。やはり『好きこそものの上手なれ』ではないですけれど、それまでサッカーをやっても足を引っ張ってしまったり、なかなか活躍できなかったりしたことも大きかったんじゃないかなと。ハマってどんどん年上の人とも対戦しはじめて、気づいたら全国大会に出ていました(笑)」
楽しみながら自然と腕を上げたのだろう。来る日も来る日も友だちと対戦した甲斐があった。カードショップが主催する大会の地区予選を勝ち進み、気づけば埼玉の小さな町を飛び出して、千葉県は幕張メッセの舞台に立っていた。
「刺激的でしたね。そういうカードゲームを通じて全国という世界を見ることができたという意味では、一つ世界が広がった部分はありますね。印象的だったのは、当時名古屋の方から出てきている強い子がいたんですが、『尾張の番犬』という通り名がついていて。『おぉ、かっこいい』と(笑)。全国に行くと面白い人がいっぱいいるんだなと思ったことは記憶に残っています」
しばらくカードには熱を入れていたが、中学ではそれ以上に熱中できるものが見つかった。
「小学6年生くらいから『テニスの王子様』という漫画が始まってテニスブームがあったんですが、それを読んだらかっこよかったんですよね。しかも母親が『私も中学校の時にソフトテニスで県1位を取ったのよ』と話していて。自分も県で優勝したいなぁとおぼろげに思っていた部分があったんでしょうね」
母からアドバイスをもらいながら練習を繰り返す。はじめはいかにも初心者な動きしかできないが、徐々に思った通りのプレーができるようになってくる。ちょうど喘息も治りつつあったので、体も格段に動くようになっていた。加えて惜しまず練習に向かえたのは、目標とする存在があったからでもあった。
「はじめは中学校の先輩に追いつきたいなと夢中になって、追いついてレギュラーになってしまうと中弛みして。でも、また県予選のような大会に出て、他校のうまい子たちを見ると『あのレベルかっこいいな』と思って。そこを目標にしてまた努力して、そのレベルに達するとまた中弛みして……。常に目標があって、それを更新してといったような感じでした」
大会に行くと、普段は決して目にできないような上位層の華麗なプレーを間近で見たりする。そこそこの上達で満足していた自分が恥ずかしくなるくらい、やはりその姿はかっこいい。というより、もはや美しいと感じるほどだった。
無性に負けたくないという気持ちが沸き上がり、帰ってひたすら練習に励む。県の上には関東が、関東の上には全国がある。広い世界には、想像もしえないほど一つを究めた人たちがいる。その存在を思うたび、内から湧き上がる情熱に駆り立てられてきた。
兄と比べるとあまり才能がないように感じていた小学校時代から、中学では勉強面でも変化が起きていた。
「うちの母親の方針としては、しっかり勉強させたいという思いがあって、お小遣いがテストの点数に応じて変わる制度だったんです。僕からするとお小遣いはほしいので、これはもう勉強するしかないと(笑)。しっかりと5教科満遍なく勉強するようになって、中学校になってからはオール5を取ったりと成績は良かったですね」
やればできると知り、いくらか前向きに勉強するようになったおかげで高校受験は選択肢が広がった。とはいえ、受験は定期テストと違い長期戦だ。徐々に苦痛になってくる。頑張る理由は、思いもよらないところで見つかった。
「ソフトテニスの県大会を見る機会があって、そこで優勝するような上位チームの1人が偏差値70の自分と同じ志望校に行くらしいという噂が流れたんですよ。その人が来るなら部活も最高に楽しいじゃんと思って、そこは1つスイッチが入りましたね。がむしゃらに勉強して、結果としては受かったんですよね」
無事合格して入学すると、噂の彼が本当にいる。ソフトテニス部ではペアを組めることになったので、ますますやる気にあふれ、テニス漬けの毎日を送るようになっていく。
「ひたすら朝から晩までずーっと週7で部活して、もうのめりこんでいましたね。夜もみんなは帰りたいから、練習に付き合ってくれる人を毎日変えて。ペアが付き合ってくれるのですが、試合をするならもう1ペアくらい必要だったので、『ちょっと今日一緒にやりませんか』とか先輩に頼んで、とっかえひっかえして。飢えていましたね(笑)」
中学ではナイター練習ができなかったし、土日も午前の練習が終わると顧問が帰ってしまうので、以降の練習はできなかった。思う存分テニスができなかった反動もあったのかもしれない。
親から借りたビデオカメラでプレーを録画して、ペアと一緒に改善点を探したり。テニス雑誌に載る強豪校の練習メニューを取り入れてみたり。憧れたのは、やはり同じ高校生でも全国クラスの選手たちだ。YouTubeで大会決勝戦の動画を観て、モチベーションを高めたりもした。不完全燃焼だった思いをぶつけるかのようにのめりこんでいた。
「やっぱり何か一つを追求する頑張り方みたいなものは学んだ気がしますよね。人って飽きるじゃないですか。それをどうやったら続けられるのかということは、テニスからほかに転用する形で、失敗や成功を踏まえて自分なりに工夫してきた部分はあるのかもしれません」
高校時代、ソフトテニス部の試合にて
目の前の目標にとにかく全力投球していた当時、将来なりたい職業などは何もイメージできていなかった。そんな状態で大学受験に臨んでも、部活との落差を感じるばかりで内から湧き上がるようなあのエネルギーは湧いてこない。志望する大学も、正直周囲や偏差値を見てなんとなく決めただけだった。
「現役受験の反省点は、とにかく言い訳をして勉強しなかったんですよね。こんなもの覚えて何の意味があるんだとか、自分は何のために勉強しているんだろうとか考えて。今思うとしょうもない言い訳をしていたなと思うのですが、当然志望校も落ちまして。浪人するか滑り止めの大学に行くかで悶々としていたんです」
ちょうどその頃、部活のOB会で偶然東大生の先輩と話す機会があった。浪人と滑り止めどちらを選ぶべきか、思い切って悩みを相談してみることにした。
「正直どっちでもいいんじゃないという話をされたんですよ。ただ、やっぱり自己満だよねと。自分が行きたいと思うようなところに全力を出していく、それを妥協するのはもったいないんじゃないと言われて。その時に紹介されたのが、マザーハウスの創業者である山口絵理子さんの本でした」
『裸でも生きる』というタイトルのその本を読んでみる。いじめや非行、男子柔道部への入部など、一筋縄ではいかない人生をもがきながらも切り拓いてきた幼少期から青春時代。そして、大学で途上国開発について学び、米国でのインターンを経て、アジア最貧国・バングラデシュへと単身渡り、起業した。
エネルギッシュでハングリーな山口氏の半生を辿っていると、心にがつんと響くものがある。まさに今の自分が必要としていたロールモデルだと思った。
「『あぁ、大学は面白いな』と思ってですね。ちょうど山口さんは慶應SFC出身だったり、卒業生に起業家も多いということを知り、慶應に対するイメージががらりと変わって。浪人を決めて、慶應目指して自分も真剣に勉強しようとなったんです」
学部は法学部を選ぶことにした。同時期に流行して読んでいた漫画『ドラゴン桜』の主人公・桜木弁護士や、当時大阪市長選挙に出馬していた橋下徹弁護士など、パワフルに生きる人の姿に触発されていたからだ。
「起業家だとスティーブ・ジョブズとか孫正義さんとか、そういう人の影響はよく受けますね。熱量を持ってやっている人の話って聞いていて面白いですし、純粋に憧れる要素があったんでしょうね。僕はやっぱり人ってエネルギーがないと死んでしまうと思うんですよ。家に閉じこもって活力もなく日々暮らすとなると弱っていく。常に何かやりがいを持って、活気を持って生きていかないと」
世の中には、命を燃やすかのように熱く生きる人々がいる。起業家などがいい例だ。そんな風に自分もこれから生きてみたい。広い社会に向けて何かしらの目標を掲げ、がむしゃらに走っていたかった。
目標が定まり1日中勉強するようになった。おかげで慶應義塾大学法学部へと合格を果たしたものの、浪人含め丸2年の受験生活ですっかり体重が増えていた。大学1年目はソフトテニス部に入り運動することにして、2年目からは山口絵里子氏のように自ら行動を起こしていこうと考えていた。
「現役受験時代が本当に闇の1年だったなと思っていて。やりたいことが何もなくて悶々と日々を過ごしていく。やらなければいけないことがあると知っていながら、言い訳をつけてやらない。結果として、自分が目標としているものも達成できない。この1年がトラウマというか無駄だったなと。大学ではそういった人生をもう繰り返したくないという、強迫観念のようなものにとらわれていた気がしますね」
やりたいことがあるのなら、迷わず動き出さなければ時間なんてあっという間に過ぎていく。まず何より目標としていたのは英語を習得することだった。
「山口さんも英語を学んで、米国の会社でインターンをされたりしていたので、当時は英語ができることはある程度前提のように思っていたんですかね。あとは慶應に入ったら、まぁ英語が喋れる子が多いんですよ。帰国子女もそうだし、インターナショナルスクールに通ってましたとか、そういう子がたくさんいてですね。受験英語って会話はできないじゃないですか。自分の英語力の弱さというか、そういうギャップみたいなものをすごく感じて」
どうすれば生きた英語を習得できるのか。いろいろ調べていると、やはり留学して英語を話す環境に身を置くことで、基礎的なコミュニケーションの課題意識を払しょくする必要があるのではないかという結論に至る。
まずは大学生の財布にも優しかったフィリピンへと4週間、のちに米国カリフォルニアでも4週間の短期留学を経験した。
「フィリピンでだいぶ話せるようになってきたという成功体験のようなものはあったんです。一方で、日本に戻って留学生と会話すると、全く聞き取れないし話せなくて。よく英語教育で言われることですが、英語の先生ははっきりゆっくり発音してくれて、難しい単語も使ってこないのでハードルは低いんですよね」
はじめはフィリピン人の先生から、次に日本にいるさまざまな国出身の留学生、ネイティブの先生、最後は米国で暮らす一般のネイティブと、段階的に会話の難易度を上げていく。米国から帰国する頃には、英語のリズムに自分の波長が合ってくるような感覚を得て、英語がうまくなったと褒められることも増えていた。
日本に帰国してからも、大学では留学生たちと積極的に交流しつづけた。留学生が集まるラウンジに足を運んでは、東京観光と称してひたすら飲み食いする。半分遊びながら学ぶうち、英語への課題意識は自然と薄まっていった。
実力試しとして受けたTOEIC®︎でも950点以上を取ることができたので、一定の英語力は身についたという自信が得られた1年だった。
大学時代、国際交流サークルの仲間と
英語を学習するということは、英語を使う国々の文化に触れることでもある。特に、当時はスティーブ・ジョブズが亡くなったタイミングだったこともあり、有名なスタンフォード大学卒業式のスピーチ動画などが話題になっていた。
「自分が英語学習者だった時に、スティーブ・ジョブズとかイーロン・マスクとか、いろいろな起業家のインタビュー動画を観ていて。そこでインスパイアされたのが、やはり海外の起業文化ですよね。イノベーションを起こすことに夢中になっている人種がいる。それは相当面白いなと思いました」
アイデアを形にして、世の中を大胆に変えていく。たった一人の内からほとばしるエネルギーが、やがて大きなうねりとなり人や社会を動かしていく。そんなカリスマ的起業家たちの生き方には、ロマンを感じずにはいられない。
自分も何かサービスを作ってみたい。そう考えた時、まず浮かんだのはここ1年間で英語を習得した経験をサービス化して提供することだった。
「最初は既存の国際交流サークルの運営を引き継ぐような形で始めて。留学生と協力しながら国際交流イベントを開いたり、英語でディスカッションするイベントを開いたり。偶然そこに来ていた社会人の方に頼まれて、企業のオフィスでイベントを開催したこともありました」
自分自身の経験を詰め込んだイベントを運営しつつ、同時にどうすれば効率的に英語力を伸ばすことができるのか、カリキュラムを考えていく。やはり起業へともう一歩踏み出したいという思いが心にあった。
そんな折、偶然イベント参加者の1人から、閉店予定の英語学校の店舗があるから譲ろうかという話をもらう。家具や内装などありがたく引き継がせてもらうことにして、中目黒で設立した英語学校が、現在のGlobeeの原点となった。
「Globeeは大学4年の6月に立ち上げたのですが、その時は有料の英語スクールとしてTOEIC®︎・TOEFL®︎対策や英会話のコースを運営するような形でやっていました。今で言うスタートアップではなく、自分が食べていく分だけ稼ぐ、まさに個人事業主という呼び方が正しかったですね」
英語学習者のためのサービスだから、英語学校をつくる。今思えば安易な発想ではあるが、当時はビジネスモデルなどのインプットもなく、ほかの選択肢は思いつかなかった。
とにもかくにも始めてみなければ分からないことがある。一歩踏み出すことができたからには、精一杯やろうと理想に燃えていた。
生徒は主に早慶の学生が中心で、自分と同じような境遇の学生だからか、ある程度宿題をこなしてもらえばたしかに英語力は伸びていく。続けるうちに、一定数の生徒から感謝されるようにもなってきた。
これはこれで一つの人生だと思える。しかし、自分がこの先一生英語の先生として生きていきたいかと問われれば、答えは否だった。
「自分がやっていることって世の中にどんな影響を与えているのかと考えた時に、たいしてインパクトはないなと思ったんです。果たしてこれを続けた結果、日本の英語力が上がったと言えるかというと、絶対言えないだろうと。そういう限界値と言いますか、壁にぶつかった感覚はありましたね」
悩みながら並行して就職活動も行ってみる。外資金融やコンサル、商社などを受けてみるものの、結果はことごとくお見送り。起業している以上、一生そこで働きたいわけでもない。そんな自分に声をかけてくれた企業が、当時孫正義氏の後継者など起業家育成に力を入れていたソフトバンクだった。
「ちょうどソフトバンクの人事の方が、僕が起業したという情報を聞きつけて『よかったら一度話さないか』と、人事部長と面談の機会を設けてくださって。いろいろ話を聞かれたあと『お前面白いな』という話になり、運よくソフトバンクに入社することになりました」
特殊な入社経緯だったこともあり、配属は営業職などではなく社長室直下の部門だった。社内で新規事業案を提出し、何度かの審査を経て最後は孫さんへプレゼンをする。承認されれば、晴れて新規事業として認められるという制度の運営面に携わることになった。
「やはり優秀な方は多くて。コンサル出身だったりリクルート出身だったり、いろいろなところで経験を積んで、人脈もあって、ビジネスモデルも固まっていて、孫さんをうならせるプレゼンをして『やってみろ!』とか言われて。でも、そうして始めた案件が数多く失敗していくさまを見ていたんです」
資金もある。優秀な頭脳もある。ソフトバンクのブランド力があれば提携先にも困らない。少なくとも興味は持ってもらえるだろう。それなのになぜ、社内起業がうまくいかないのか、不思議で仕方がなかった。
1、2年考えつづけた末、内から外に目を向け、グッドパッチ創業者の土屋尚史氏など社外の起業家に話を聞くうちにおぼろげながら答えは見えてきた。
「そこで至った結論は2つあって。1つは、コミットメントが全く違うということでした。本当にその事業をやりたいのであれば、150%フルコミットしないとだめだと。片手間で会社に在籍しながら、給料も保証された状態で起業しても中途半端だし、そこには大きな差があると思ったんです」
2つ目は、しがらみの多さだ。大企業という構造上しがらみは避けられない。ソフトバンクという比較的新しい企業でもそうなのだから、レガシーな企業であればなおさらだろうと思えた。
「逆に社外で起業家に会うと、お金もないし、実績もないし、まぁはっきり言うと何もないんですけれど(笑)。なんか清々しいというか、野性味があって。本当に事業を成功させたいと思うならフルコミットしなければだめだなと、2017年の1月にソフトバンクは退職させていただいて、Globeeを再開することにしたんです」
独立後、登壇したピッチイベントにて
「abceed」の構想は、大学時代には生まれていたものだった。
スクール形式では、どうしても一定数宿題をやらない人がいる。紙の教材では限界があるが、デジタルであれば不要な問題は削ったり、AIによるレコメンドで学習量を圧縮できると考えたのだ。
「CTOの上赤は、実は入社2日目で見つけました(笑)。初日の入社式のあと、2日目から全体研修が始まるんですが、そのクラスが何十とあって。そこに片っ端から入っていって『エンジニアの人いない?』とか言って、聞いて回ったんです。ほとんど断られたのですが、上赤だけは引き受けてくれて」
開発面は頼れる存在がいる。しかし、出版社からのライセンス獲得こそ最初の関門だった。そもそも問合せに返事が来ない。何社か話を聞いてもらえても、まさになしのつぶてといった状態がしばらく続いた。
「先方のオフィスに行って面談をするんですけれども、『社員何人ですか?』『正社員はいません』と。『資本金は?』『えっと、200万円です』と。『エンジニア何人だっけ』『上赤だけです』と。で、『それでAIレコメンドでこんなことができるんですか?』『できます!』とか言って(笑)。そんな感じに言うもんだから『本当か?』みたいな感じで、首を傾げられてしまって」
相手は終始怪訝な様子だが、とりあえず「検討します」という言葉だけもらってオフィスを出る。案の定1週間経っても、2週間経っても返事は来なかった。
実現は厳しいのかもしれない。そう考えはじめていた矢先のことだ。2か月ほど経ったある日、突然電話が鳴った。
「朝日新聞出版さんから電話があって、『すみません、だいぶ時間を置いてしまいましたが、ちょっとやってみてもらいたいと思います』というような返事が来たんですよ。もう飛び跳ねましたよね。上赤と『ニュースニュース、一大ニュース!』みたいな感じで。いやぁ、嬉しかったですね。首の皮が繋がった瞬間というのは、まさにその時でした」
とはいえ最初は、無料の音声を配信する権利だけだった。段階的に交渉を進め、信頼を積み上げつつ、4~5年ほどかけて現在の形へと近づけていった。
当時有象無象のスタートアップ企業にチャンスを与えてくれた朝日新聞出版には、感謝してもしきれない。TOEIC®︎対策本として最も売れている『特急シリーズ』を刊行している出版社だ。そのライセンスを獲得できたことが、まさにサービスとして最初の足掛かりとなった。
自身が体験した「やればできる」という成長の驚きと感動を、多くの人に届けたい。人生を駆け、教育分野にイノベーションを起こしたい。Globeeは、変わらず夢を描きつづける。
起業家に求められる素質であり、もっと多くの人が備えるべき要素について幾嶋は語る。
「恥じらいの心はあってもいいのですが、多くの人がそれに縛られすぎている気がするんです。だから、挑戦を踏みとどまってしまう。失敗するのが怖いとか、失敗する自分を想像すると恥ずかしいとかダサいとか。そういうことを考えて辞めてしまうのですが、もったいないなと思っていて」
経験がない、お金がない、実績がない。起業に興味があっても一歩踏み出せない。何かを始めようとする人が頭を悩ませる理由の大半は、失敗への恐れから来るものかもしれない。
「始めてから無いものを足していくイメージだと思うんです。漫画『ONE PIECE』のルフィにも最初からゾロはいなかったし、ナミもいなかったように、無いものは始めてから見つけていくんだと、そういう感覚を持たないといけないんだろうなと。そういう意味では『自分は何も無いからできません』と考えている人は、そもそも挑戦をとらえ違えているのかもしれません」
何もないところから必要なものを足していく。もちろん簡単なことではないが、その過程自体が自身の糧になる。起業もそうだ。幾嶋自身、エンジニア採用を断られ、資金調達を断られ、出版社からライセンス獲得を断られ、これまで受けてきたたくさんの「NO」が心に刺さっていると笑う。
「それが傷になるんだろうかと言われるとなるのかもしれないですが、まぁでもハングリーにはなりますよね。叩かれた結果、より打たれ強くなっていく。傷というよりは、そちらの表現の方が近い気がしますね。しぶとくなっていく、そういう風に失敗を活かしてきました」
いかに恥を捨て、失敗から学べるか。無いものはあとから足していく精神で、走り出せるか。自分が興味あることの本質を学ぼうと思うなら、どれだけ失敗できるかが勝負になってくる。恥を捨てられるほどに、もっと生きやすい人生になっていくのだろう。
2023.10.16
文・引田有佳/Focus On編集部
スティーブ・ジョブズや孫正義などの起業家をはじめ、エネルギッシュに生きる人々に触発されてきたと幾嶋は語る。
挑戦した人の姿を見て、「自分もやってみたい」とか「できるかもしれない」と思う人が行動を起こす。その姿は、さらに先の未来を生きる人にも影響を与え、情熱に火をつけていくだろう。エネルギッシュに生きる人の生き方は、そうして連鎖して歴史を紡いでいくともいえる。
リスクを取って挑戦していく過程では、恥や恐れさえ超えてやりたいと思えるか、あきらめず勝負しつづけることができるかなど、自分自身の情熱に左右される部分が大きい。
だからこそ、人の内から湧き上がるエネルギーには価値がある。
なぜかは分からないが、心に刺さる。理屈ではなく、衝動的にやりたいと思える。誰に何と言われようと、憧れてやまない存在。そんな形のない衝動や感情の数々を、誰もが大切にしていくべきなのだろう。
文・Focus On編集部
株式会社Globee 幾嶋研三郎
代表取締役社長
1991年生まれ。埼玉県出身。2015年3月に慶應義塾大学卒業。学生時代、「自分の人生を賭けてやりたい仕事は何か?」を考え抜いた結果、「人々の成長、目標達成を世界で最も後押しする会社を作ろう」と決意。2014年6月にGlobeeを創業、代表取締役社長に就任。