Focus On
福永将
株式会社xCARE  
代表取締役CEO
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不動産×ITによる健全な民泊市場の発展、そして日本経済の活性化に貢献するサービスを生み出している株式会社スペースエージェント。「空き家に新たな出会いを」という理念を掲げ、国内最大の民泊物件サイト「民泊物件.com」などを運営する同社。2018年1月には、ベクトル、マーケットエンタープライズ、Showcase Capital等を引受先とするシリーズAラウンドの第三者割当増資を実施した。同社代表取締役の出光宗一郎が大切にする、「自分にできる貢献」とは。
目次
表面上の人間関係ではなく、心から信頼しあえる人。損得勘定や建前を抜きにして、本気で力になりたいと願わずにはいられない。そんな人に、私たちは一生のうちでどれだけ出会えるだろう。もしかしたら、誰もがそんな相手を探しつづけているのかもしれない。
日本における民泊事業の健全な発展と、空き家問題の解消を理念に事業を展開する株式会社スペースエージェント。同社が運営する民泊物件サイト「民泊物件.com」は、「宿泊先を探すゲスト」と「宿を提供するホスト」をつなぐAirbnbに対して、「民泊利用可能物件を探しているホスト」と「物件を提供したい不動産会社」をつなぐプラットフォームだ。総物件数は3500件以上、利用者数は約1万人と、その規模は国内最大である。2016年、同社は民泊予約サイト「TRIPSTAR民泊」を運営するエボラブルアジア社と業務提携したことにより、ホストの物件契約からゲスト集客までの利用を、より円滑にすること可能にした。
同社代表取締役の出光氏は、大学在学中に任天堂DS向けゲームを企画し、大手パブリッシャーへの譲渡などを経験後、三井住友銀行に入行。VCと連携しながらのベンチャーファイナンス業務などに従事し、iPS細胞のバイオベンチャーへのシリーズA投資や、個人間フリマアプリ運営ベンチャーへの国内外のトランザクションスキームの導入等のアドバイザリー実績をもつ。スペースエージェント親会社である株式会社オルトリズム。その代表取締役である紙中氏の人柄に感銘を受け、経営に参画した出光氏。2015年、子会社として設立されたスペースエージェント社の代表取締役に就任した。
「助けになりたくて、自分にできることがあるんじゃないかと考えるんです」
自分にできる貢献のカタチを誰よりも追い求めてきた、出光氏のルーツに迫る。
人口減少による縮小がつづく国内住宅市場。一方で、アジア圏を中心とした訪日外国人はまだまだ増加が見込まれている。観光立国を目指す日本政府は、2020年に訪日外国人の数を6000万人にするという目標を掲げた。かつてないほどの国内宿泊ニーズに応えるべく、国は2017年6月に民泊新法(住宅宿泊事業法)を衆参議院で可決、2018年6月の施行が決定している。まさに2018年は、日本の民泊元年となる。
そんな注目のマーケットで事業を展開する株式会社スペースエージェントは、民泊・転貸可能な物件の情報を集約した、民泊ホスト向け不動産ポータルサイト「民泊物件.com」を運営する。空き家集客を事業ドメインとする同社が民泊領域に参入したきっかけは、親会社であるオルトリズム社にて店舗やオフィスビルのテナント企業向け不動産事業を展開していたことにあった。
「特に飲食店が入居しているビルのオーナーさんがすごく悩まれていて、飲食業界は流行廃りの業界なので、一年周期で入居者が変わっていくこともあるんですね。当時は不景気も重なって、『空き家にどうにか集客したいんです』というお声をすごくいただいて」
このままでは資金繰りが回らなくなるかもしれない。そんなオーナーの切実な話を聞くうちに、空き家を何かしら有効活用することで力になることはできないか、考えるようになったという出光氏。
マーケットを調べていくと、空き家問題は店舗だけでなく、地方を中心として住居に関しても大きな社会問題となっていることが分かった。解決の糸口を探すなか、偶然出会ったのが民泊だった。民泊という切り口で空き家集客を実現することができるかもしれない。それが確信に変わる出来事があった。
「四谷にとあるオーナーさんが物件を持っていたんですけど、お化け屋敷みたいに呼ばれていて。12部屋くらいあるんですけど、人が誰も住んでいなくて、その状態でさらに2、3年経ってしまったので劣化が激しい。建物を見るだけで『何か出そうだね』って言われるほどの物件があったんですね」
とても人が住みたいと思うような状態ではなかったが、民泊用に貸し出す許可を得てリフォーム工事を行ったところ、物件の価値は蘇り、民泊運営をしたいという投資家からこぞって注文が入ったという。
「本当に何もお金を生んでいなくて、ただただ劣化が進んでいて、そのままだと建物が崩れ落ちてしまう危険性とか、周りにも被害が及ぶリスクもあったなかで、それを生きる資産、価値のある資産に変えることができたんです。しかもそれが2、3ヶ月経って、毎月何百万というお金を生み出すような物件に変えることができたんですね。これは民泊おもしろいなと、空き家の集客につながるなと確信が得られたんです」
現在、日本には820万戸以上もの空き家が存在するといわれる。それを「負の資産」とするか、「価値のある資産」として蘇らせることができるか。その成否の一翼を、民泊が担っている。
スペースエージェントは、法律に則った健全な民泊事業を促進するべく、不動産業界にITの力を取り入れ貢献する。違法な民泊転貸を減らし、業界が健全に発展する未来。その実現に向け、空き家に新たな出会いをもたらす存在でありつづける。
人のために働き、人のためにその生涯を捧げる。「人間尊重」の精神を掲げた出光興産株式会社。その創業者である故・出光佐三氏は、曾祖父にあたる。社員を家族のように愛し、決して首を切ることはしない。そんな先人の意志を受け継いだのかは分からない。幼いころから人が好きで、一人でいるのは嫌いだったと語る出光氏。親が家にいないときは孤独を感じることが嫌で、いつも弟と一緒にいたという。
「めちゃくちゃ一人は嫌いで、いまでもそうなんですけど、人が常にいないとだめですし、それこそめちゃくちゃ寂しがり屋なんですね。きっかけが何かもはや思い出せないんですけど、人間としてはそもそも人が好きっていう根はあったんだと思います」
人が好きだからこそ、仲間は大切にする。5歳のころから始めたテニスでは、個人戦より団体戦が好きだった。親に勧められてはじめたことをきっかけに夢中になり、中学から高校1年まではテニス部に所属。中学3年生のときには、全国大会の団体戦で3位になった。
「本当に運が良かったんだと思います。僕が全国行ったときって、学習院中学・高校史上でも個として強いプレイヤーが集まっていたタイミングだったんです。団体戦は一人強いプレイヤーがいても全然だめですが、そのときは個人でも強いプレイヤーがほかに二人いた。それまで試合に出ても学習院なんて名前あがってこなかったのに、どんどんどんどん上に行ける。そういう環境のタイミングで、僕も中学2年、3年だったっていうだけなんです」
出光氏にとって勝利したときの喜びや達成感は、個人戦よりも団体戦の方が格段に大きかった。試合で勝つことそれ自体よりも、チームに一つの勝利をもたらすことで、チームの勝利に貢献できることが楽しい。自分一人のためよりも、チームのために。そうして誰かのために貢献する喜びが、いつも出光氏を駆り立ててきた。
高校一年生のとき、世界基準のテニス資格を取るため半年間オーストラリアへ渡った。費用はすべて、自分でアルバイトをして稼いだ。「自分でお金を稼ぐ大変さを知りなさい」そんな祖父の教育方針があり、お小遣いは絶対にもらえない家庭だった。高校に入学してすぐに始めたアルバイトは、コンビニやファミレス、郵便局の配達をはじめ、あらゆるものを経験することになる。
「バイト自体はお金目的ではあったんですけど、苦ではなかったです。全部楽しかったですね。そのときは売上をすごく意識していました。なんとなく自分が働かせてもらっているからには貢献できないと嫌だというか、しなきゃだめだろって思いがあったので」
たとえば店舗型のアルバイトであれば、一日の終わり、閉店時にレジ金に誤差がないかチェックする。お金が足りないようであれば自分の財布から補填するほど、売上への強い貢献意識があった。
祖父の教えの通り、自分の力でお金を稼いでいく苦労、売上を上げていく苦労を体感していった出光氏。特に、お菓子専門の小売店で働いたときの記憶は忘れられない。当時とある店舗のオープニングスタッフとして友人とともに働いていた出光氏は、年の近い店長とフランクな関係だった。「このくらいの売上を達成したいんだ」そんな店長の思いを聞き、自分が助けになりたいと考えた。
「自分たちにできることがあるんじゃないかと思って。商品の陳列であったり、イベントとかであったり、いろいろ企画してやりましたね。いまでこそ店舗の数が増えて厳しいかもしれないですが、当時はあんまり制約がなかったんです。ハロウィンのときに、店員がいろんなおばけの被り物だとか着て。電気を消して真っ暗ななかお客さんには懐中電灯を渡して、お菓子を照らして探しながら買い物してもらうみたいな企画をしたら、めちゃくちゃ万引きされたこともあったんですよ」
万引き被害までは想定できていなかったが、子連れのファミリー層が多く店を訪れ、買い物を楽しんでくれた。抜群に売上を伸ばしたわけではない。しかし、毎日の売上を1~2万円上げることはできた。会社のためではなく、店長のため。人が好きだからこそ、目の前にいる人のため、ほかの誰でもなくまず自分が貢献しようと行動する出光氏がいた。
初代「iPhone」が発売された2007年、出光氏は大学生になった年であった。スマートフォンのアプリ開発という新たな潮流が世に生まれた時代。なかには短期間で数千万円の利益を上げるようなゲームアプリも登場し、個人でアプリ開発に乗り出す開発者も増えていた。
出光氏もまた、一緒にゲームアプリを開発しないかという友人の誘いを受け、おもしろそうだと話に乗った。出光氏が企画を担当し、友人がプログラミングを担当する。もともとゲームは好きで、かつある程度必要に駆られていたお金も稼げそうだと思った。
「結局一個もリリースしてないんですよ。企画として考えたものの全然技術が追いつかないし、作ってもグダグダになってしまって。その修正を繰り返すだけも、途中で嫌になってしまったんです。ただその発展で、企画までだったらだいぶいけるんじゃないかと考えました。技術力がないので、ゲームの企画をする会社を立ち上げたんですね」
5人前後の仲間が集まってはゲームを企画する、少人数ではあるがゲームプランナーが集まるような会社をつくった。最終的には、企画に特化していたこともあり、開発会社に開発を依頼、それを大手パブリッシャーで販売するような流れをつくることができたという。
「ものすごく楽しくて。どういうゲーム企画にするとか、みんなでディスカッションしながらコンセプトを作ったりする過程も好きでしたし。最終的にゲームパブリッシャー企業を通さないといけないので、それがビジネスとして通用するんだっていうことが大きな達成感というか嬉しくて」
遊ぶ人がおもしろいと感じる部分を深掘りし、追求していく作業。仲間と話し合いながら、一つのゲームを創り上げていく作業。それを積み上げて完成した企画が、ビジネスとして売上につながったこと。純粋に自分たちの個としての力が社会に通用し、一定の評価を得たことには大きな達成感があった。
自分の力は、社会にどのくらい通用するだろう。個としての自分は、どのくらい企業に採用してもらえるのだろう。就職活動の時期になると、出光氏は考えた。
「もともと起業してから就活というフェーズだったので、就職した先で一生働くつもりはなかったです。ただ、出光興産に入る道は選ばなかったので、その分しっかりと個として周りから評価される人間になりたいと思ったんです。そう考えたときに、ずっと一サラリーマンでいるのではなくて、経営者の考えみたいなものは絶対に知らなきゃダメだろうと、いろんな経営者の話を聞きたいという思いがあったんです」
企業を選ぶ軸は、大学在学中に実績を残すことのできたゲーム業界か、経営者に会うことができる仕事という二つの領域に絞っていた。当時は氷河期とは言わないまでも、就職は買い手市場。100社150社とエントリーシートを書き、面接を受けるなか、最終的には多くの経営者と出会うことのできる三井住友銀行に入行する道を選んだ。その先「経営者になる」という道を見据えながら、出光氏は挑戦の一歩を歩み出した。
一人でも多くの経営者に直接話を聞きたい。そう願う出光氏にとって、銀行では数多くの経営者と相対する機会があった。経営の話題のみならず、子どもやお金に対する価値観、経営者の立場というもの。さまざまな思いのなかから自分の糧となるものを得ようとした結果、最終的に分かったのは、「経営者も人それぞれである」ということだった。
「たくさんあるなかで、どこを目指せばいいかっていうことを本当は探りたかったんですけども、結局見つけられなくて。たぶん自分は自分でオリジナリティをつくらなきゃいけない、誰か目標となる人を定めるんじゃ駄目なんだなと気づいてしまったというか。どうしてもその人にはなれないし、寄せられないなとは、すごく感じたんですね」
自分と似ている傾向がある経営者だったとしても、同じようにすることで確実にうまくいく保証はない。そもそも本当に似ているタイプの経営者も少ないように思われた。そうであるならば、なんでもいい、自分のやり方で会社をやっていいはずだ。そう強く認識したと語る出光氏。何かの経営戦略や、経営理念、特定の経営者への憧れといったものをもって「目指すもの」を設定し、それを踏襲することは方法論ではないと感じていた。
多くの経営者との出会いに恵まれた銀行も、当初から多くの経営者に会えたわけではなかった。1、2年目で担当を引き継ぐのは、いわゆる大手のグループ企業。それでは社長と会うことはなかった。
「僕はひたすら『新規営業やらせてください』と言って、銀行の取引のない企業に、とにかく社長アポを取っていたんですね。一方で売上も上げなきゃいけないので、一つ決めていたのは、売上高が30億円以上、かつ取引のない会社に絞ってリストアップして、とにかく社長に電話して、アポイントメント取って話すっていうことをひたすらやっていました」
リストの上から、しらみつぶしにアタックしていく。次第に条件を満たす企業がリストアップできなくなり、そのままリストの下に行くと、ベンチャー企業が多くなっていった。ベンチャーに行けば、資金調達の話にもなる。そんな出光氏の働きぶりを見たSMBCベンチャーキャピタルから声もかかり、VCと連携する動きをとることとなる。結果、ベンチャーファイナンス専門で営業するようになっていった。
数多くのベンチャー企業を回るなかで、尊敬できる経営者ばかりではないことも知った。学ぶべき面をもった経営者もいれば、反面教師とした経営者もいることも事実であった。そんななか同期の紹介で出会ったのが、オルトリズム社を起業するタイミングであった紙中氏だった。
当時、家族の医療費について悩みを抱えていた出光氏に対し、紙中氏はためらわず大きな援助をしてくれた。まだ、出会ってから顔を合わせたのは2回目のことである。「なぜだか分からないけど、いでちゃん(出光氏のこと)のこと信頼してるから、返ってこなくてもいいと思ってる」そんなにも損得勘定なく人と接する人に出会ったのは、人生で初めてだった。紙中氏の利他の精神に、出光氏は衝撃を受けた。
「ほんとに人格者です。僕もそこで紙中はもう絶対に裏切れないというか、役に立てることがあったら少しでも役に立ちたいと思いましたし、(一緒に会社経営をやろうと)誘われたら断ることもなかったんです」
出光氏にとって、独立を考えていたタイミングでもあった。最高に信頼できる経営者であり、仲間である紙中氏に出会うことができた。紙中氏のために貢献したい。取締役副社長としてオルトリズムを支えることとなった出光氏、のちに同社を母体とし、出光氏を代表取締役として株式会社スペースエージェントは生まれた。
空き家への集客を行いながら、不動産市場の健全な発展のため、適正な賃料相場を実現する。それが、スペースエーエージェントの次なる挑戦でもある。同社が準備中の新規Webサービス「Drophome」は、賃料が下がる不動産ポータルサイトだ。
全国の家主・不動産会社から提供された居住用物件情報を集約し、インターネットを通じて広くユーザーに提供する。掲載された物件は、成約するまで1週間ごとに賃料または価格が自動で下がっていく。
「これはオーナーさんや不動産会社さんからしたら、すごく嫌なポータルサイトなんですよ。高く決まるに超したことはないので。でも、僕からしてみれば、もともと半年決まらないのであれば、賃料を1万円下げて早期に決まった方が同じというか、よっぽど価値があるんですね」
賃料や価格が需給に合わせて下がることで、高騰している賃料が適正な水準になる。賃料が下がれば、その分借り主は消費に回せるお金が増え、経済の活性化につながるのではないかと出光氏は語る。
「いまはどう考えても、日本は支出における家賃が占める割合が高すぎる。そこに少しでも寄与できたら、かつ空き家を埋めていければというところで、一回新たな取り組みとしてスタートしようとしているところなんです」
空き家への集客という事業ドメインを中核としながら、経済活性化に貢献できるようなサービスを生み出していくスペースエージェント。出光氏が見据える未来には、社会のインフラを担う1兆円企業の姿がある。
「結局、出光興産が1兆円企業となったのも、世の中のインフラを作ったからだと思うんです。何か事業をはじめるにあたっては、大きいマーケットを攻めないと認知される企業ってできあがらない。不動産のマーケットはとにかく大きいですし、これから空き家っていうマーケットを見たときにすごく規模も大きい。そこを変えることができれば、必ず経済活性化に寄与できると思うんです」
大きなマーケットに変革をもたらすことができれば、それだけ社会に大きなインパクトを与えることができる。逆に、真に経済活性化に貢献しようと考えるならば、狙うべきは小さなマーケットではない。1兆円規模のマーケットを開拓し、日本経済の発展に貢献する。出光氏は、そのための道筋を追求していく。
2018.03.26
文・引田有佳/Focus On編集部
社会のために。誰かのために。自分のために。人は何のために生きているのだろうか。
さまざまな観点から、人は何のために生きるのかを模索し生きている。古代ギリシアの時代から模索しつづけられてきた人の生きる道。それは、人間にとっての永遠の命題であり、「模索しつづける」ということ、それ自体が人生なのかもしれないとも思える。
ただ一つ、誰しもの人生に共通に言えることがあるようだ。人と人のつながりの中で生きる私たち人間にとっては、誰かと共にいること、そしてその誰かのために何かを為すことは、本能的な喜びであるようだ。
自分のために消費した金額は 幸福感との相関がなかったのに対して,自分以外の誰かのために消費した金額は収入と同程度に自身の幸福感と相関を示した。(中略)身近な他者との間の絆・つながりが恐れやストレスを緩和させ,痛みさえも軽減させるこ とを示唆している。
―慶應義塾大学大学院システムデザイン・マネジメント研究科 佐伯 政男・ヴァージニア大学心理学部 大石 繁宏
誰かのために向かうことが幸福感を増し、誰かとともにいることが恐れや痛み、ストレスを軽減してくれるのである。
テニスでは個人戦より団体戦でチームのために、アルバイトではお菓子屋の店長のために、現在は「裏切ることはできない」と表現する紙中氏のために貢献することを、出光氏は喜びとしている。自らの「生きていくこと」を誰かに捧げているのだ。
その目は、いまでは「社会」にまで向けられる。
誰かのために生きること。シンプルではあるが、難しいことなのかもしれない。信じるべき誰かを疑い、信じ切れず、その人のために生きるということに迷いを生じさせてしまうのが人間なのではないだろうか。
出光氏は本能から誰かを信じ、自らの生きるべき道を信じ、共にいる誰かとともに幸せを現実のものとしている。その生き方こそが、社会をも巻き込む未来を創り出していくのであろう。
文・石川翔太/Focus On編集部
※参考
佐伯政男・大石繁宏(2014)「幸福感研究の最前線」,『感情心理学研究』21(2),日本感情心理学会編集委員会,< https://www.jstage.jst.go.jp/article/jsre/21/2/21_92/_pdf >(参照2018-3-25).
株式会社スペースエージェント 出光宗一郎
代表取締役社長
1989年生まれ。東京都出身。学習院大学在学中に任天堂DS向けゲームを大手パブリッシャーに譲渡。大手都市銀行に就職後、法人部門のファイナンス業務及び企業調査部門のアナリスト業務に従事。主な実績としては、iPS細胞のバイオベンチャーへのシリーズA投資、フリマアプリ運営ベンチャーへの国内外のトランザクション導入等。2013年度最年少で上期優秀賞受賞。