Focus On
田中慎也
BIJIN&Co.株式会社(ビジンアンドカンパニー)  
代表取締役
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or人や社会が変化し、成長しつづける。本当は、誰もがそれを求めている。
近年需要が拡大する日本のスマートホーム市場を牽引し、暮らしを次のフェーズへ進めていく株式会社アクセルラボ。同社が提供するスマートライフ・プラットフォーム「SpaceCore(スペース・コア)」はAI・IoT技術を駆使し、家電製品や住宅設備の一元操作とオートメーション化を可能とする。業界トップ水準となる20種類以上のスマートホーム機器連携を実現するほか、2019年8月の提供開始以来、賃貸マンション・新築戸建て・民泊など、約18,000戸に導入されている。
代表取締役の小暮学は、不動産投資会社でトップセールスとして活躍したのち、27歳で独立。都内23区の投資用マンションを開発・販売・管理し、年商約200億円の企業へと育て上げた経歴を持つ。2017年、かねてより進出していたスマートホーム領域に投資すべく株式会社アクセルラボを設立し、翌年代表取締役に就任した。同氏が語る「進化にある共通項」とは。
目次
1日の始まり、「おはよう」の一声でカーテンが開き、爽やかな朝日が差し込んでくる。すでに部屋が快適な温度にあるのは、目覚める前からエアコンが自動で動き出していたからだ。寝室からリビングへと移れば、何もしなくてもいる場所の照明が切り替わるとともにテレビがオンになる。そのまま朝の準備を終えたら、家を出るときもボタン一つで全てがオフになる。
目覚めた瞬間から快適で、電気の消し忘れや鍵の締め忘れといった不安に煩わされることもない。家が人の生活に寄り添うスマートホーム。一度体験すれば、普段私たちがいかに家の中での何気ない動作の数々に時間と意識を奪われているかを実感できる。
2021年、米国では既にスマートホームの普及率が3割を超えるという。モノのインターネット(IoT)の大潮流のなか、家全体の電化製品やデバイスを連動させる技術、すなわち家にOSを入れる時代は、すぐ目前にまで来ていると小暮は語る。
「テスラが自動車にソフトウェアを入れてすごく賢くなったり、携帯がスマートフォンに変わってきたりしたなかで、家だけがずっと進化してないんですよね。進化したのは建材とか建築技術とかハード面だけなんです。家全体のソフトウェアを進化させることが、次のステージだと思っていて」
基本的に、家のUX(ユーザーエクスペリエンス)は複合的に構成されている。たとえば、温度管理をしようとする場合、エアコンだけを動かすよりも、一緒にカーテンを閉めた方がより速く効果が得られるように、毎日の動作を自動化するには複数デバイスを一元管理できるソフトウェアが重要な役割を担うことになるという。
「僕らはエッジデバイス*は作ってないんです(*インターネットに接続された製品のこと)。よく勘違いされることもあったんですが、アクセルラボはソフトウェアの会社なんですよ。逆に言うと各メーカーさんが作ったものを繋げることで、新しいUIUXを提供していく会社です」
同社が展開するスマートライフ・プラットフォーム「SpaceCore(スペース・コア)」は、まさに米国におけるスマートホーム普及の契機となったプラットフォーマーの立ち位置を踏襲している。
デバイスの機能単体ではなく、それらを束ね、無数にあるライフスタイルに合わせ最適化、制御していく技術こそが、人の暮らしを次なるフェーズに昇華させていくためのコアになるという考え方だ。
「一昔前の日本だったら電気の紐を長くして消しやすくしたり、人の方が家に合わせていたんですよね。そうではなく、家がパートナーのように自分に寄り添ってくれるようになる。それがこれからの新しいスマートホームの世界観で。だから、スマートフォンで動かせるというのも本当に入り口なだけであって、もっともっと進化していくと、家が何もしなくても動いてくれるようになると僕は思っています」
5年後、10年後には、現在スマートホームと言われている概念が想像もつかない形に進化している可能性がある。アクセルラボでは新規機能のリリースや改善を週1回というハイペースで行っているという。
「常に常に改善していくことですね。だから、もう現状維持なんてないですよ。環境も変わりますし、お菓子メーカーだって少しずつ変えてるじゃないですか。どんな仕事でもどんなプロダクトでも、同じものを作っていたら美味しく感じないですよね。この業界でも、そこまでやっている会社はほかにないと思います」
技術に投資し、圧倒的なスピード感をもって形にする。止まることなく変化し、成長をし続ける。その目的は自社の製品を売ることではなく、あくまでスマートホームを日本に普及させ、人々の暮らしを次なるフェーズへと進化させることにある。
家の快適さや利便性を追求し、その先にある暮らしの豊かさ、そして人の進化まで見据える。アクセルラボは、日本におけるスマートホームのデファクトスタンダードになる。
使いやすいアプリ+デバイスの連携で、暮らしがもっと「便利」「安心」「快適」になる
両親も祖父母も、明治生まれの曽祖父の代からずっと、教育者や研究者ばかり輩出してきた家だった。
中学で数学理科を教え、のち校長も務めていた父に、国語教師だった母。茨城県つくばにある粒子加速器の世界的研究機関で働く親戚など、家系で経営者になった人は小暮をおいてほかにいない。突然変異という言葉がぴったり当てはまるほど、昔から勉強には縁がなかったと小暮は笑う。
「僕は下の名前が『学(まなぶ)』なんですけど、親は学んでほしかったんでしょうね。ちなみに、兄貴は『哲(あきら)』だから2人合わせて哲学なんですよね。で、弟と妹も生まれたんですけど、これが繋がってないんですよね(笑)。まぁ結構アカデミックな家系です」
幼少期の小暮は、本に囲まれて育った。実家に3万冊とも言われる量の本があり、壁一面が本棚で埋め尽くされた「本のための部屋」が存在したという。小学生になり、中古の一軒家に引っ越してからは、前の住人が使っていた倉庫が全面改装され、子供向けの本だけを揃えた空間までできあがっていた。
「小暮文庫」。いつしかそう呼ばれた部屋は、両親の計らいで近所の子供たちにも開放されていた。放課後になると子供たちが自然と集まり、思い思いに本を読んだり遊んだりできる。加えて正月には餅つきをしたり、夏にはみんなでキャンプに行ったり。そうやって何よりエクスペリエンス(体験)を大切に与えることが、父の教育方針だったようだ。
だが、小暮自身はあまり本を読まなかった。活発に遊びまわる方が好きで、小学4年生くらいからは自転車で遠出することにハマっていた。
はじめは家から近い遊園地「としまえん*」まで自転車で行って帰って来た(*東京都練馬区に位置した。2020年8月に閉園)。次は千葉県浦安市の「ディズニーランド」。それから埼玉県鴻巣市にあった母方の祖母の家まで40kmほどの道のりを走破して、ついには同じく埼玉は深谷市にある父方の祖母の家まで70kmにも及ぶ道をも走り切るようになった。
「小6のときかな。幼馴染3人と親父と兄貴で、新潟まで行こうってなって。ゴールデンウィークか夏休みに、寝袋持って。三国峠とか知ってます?八海山超えて、十日町ってところまで行ったんですよ、300㎞。それに親父も付き合ってくれたの、そう考えるとすごいですよね」
父は息子を応援するだけでなく、一緒に体験に付き合ってくれていた。少しずつ高い目標を掲げ、苦労の末やりきる達成感。それにより人として成長できることの素晴らしさを教えてくれていたのかもしれない。
15歳になったら、1人きりで海外を旅すること。行き先は自分で選ぶこと。それが、両親が決めた小暮家の約束だった。
2歳上の兄は米国ロサンゼルスを選んでいた。帰国の日、家族で成田空港に迎えに行った時、兄が開口一番「東京は寒いね」と言ったこと。その瞬間の新鮮な気持ちを鮮明に覚えている。どうやら現地は相当温暖だったらしい。
自分はどこの国がいいだろう。どうせなら訪れたことのない土地がいいと考えていた。
「その当時ヒップホップとか、いわゆるブラックミュージックとか音楽がすごく好きだったので、僕はニューヨークに行くことにしました。2週間くらい行きましたね。すごい刺激をもらいましたし、世界って面白いんだなみたいな。とにかく全てが面白かったですよね」
成田空港から1人で国際便に乗り込み、半日ほどかけて太平洋を横断する。憧れたニューヨークの街を歩くと、五感を刺激する全てが驚きと興奮に満ちていた。
道端の何気ないレコード屋で気に入ったものを購入したり、古着屋を物色したり。食事は安く買えるドーナツやホットドックで、移動も地下鉄と歩きで節約した。それから何より、アメリカの象徴「自由の女神像」。正規の観光チケットは高額過ぎたので、女神像が鎮座するリバティ島付近を巡航するフェリーに乗って眺めるにとどめておいた。そうこうしているうちに、元々重くない財布は軽くなっていく。
出発前、両親からは危ないからくれぐれも用心するよう言われていたが、たいした量のお金もないしと気楽に過ごしていた。
全てが日本と違う。あらゆる体験から知らない土地に来たのだと実感できる。こんな風にがらりと変わる環境に身を置くのも悪くなかった。不安よりも興奮で心満たされるのを感じながら、2週間の1人旅を満喫した。
「当時は中学を卒業したばかりでお金もないので、当然親のお金で行かせてもらいましたし。そういういろいろな経験をさせるのが親の方針だったんじゃないんですかね。結構いろんな経験をさせていただきましたし、ある意味そういった経験が自信にもなりました」
自転車で過酷な峠道を超え、新潟まで旅したこと。1人で米国に渡り、世界の中心に触れたこと。それ以外にも毎年家族旅行で、スキーやキャンプに行ったこと。数えきれないほどさまざまな体験が小暮の記憶に刻まれている。
刺激的な体験と出会い、過ぎていくたび、目には見えない財産のように一つひとつが自分の自信となっていくようだった。
学校ではまともにノート1つ取ったことがなかったが、不思議と成績は悪くない。きっと自分はできる人間なんだ。小学校くらいまでは、そう思っていた。
中学になると勉強の難易度が上がってくる。徐々に歯が立たなくなっていき、そのまま部活や友達と遊ぶ方に全力の生活が続いた。どうやら勉強は向いていなさそうだと分かってくる。
高校卒業後、専門学校に入学すると、割り切ってアルバイトでお金を稼ぐことに力を入れることにした。
「最初はずっと遊んでたんですけど、でもなんかお金を稼ぎたいなと思って。同級生の女の子のお父さんがやってる力仕事、『圧接』っていう建設現場で使われる鉄筋と鉄筋を繋ぐ仕事を紹介してもらったんです」
たとえば、地下から地上まで高くそびえ立つマンションの柱も、1本1本の鉄筋が繋げられ全体がつくられている。圧接の仕事は、鉄筋の断面を特殊な機械で削り、火で熱し、両側から圧力をかけることで溶接する。一言で言えば、泥臭い肉体労働だ。
「僕は火を扱う免許は持ってなかったので、とにかくもう鉄筋を削って繋げて運んでみたいな。それがめっちゃ暑いんですよ。火で炙ってるので、もう夏とか作業してる周辺は本当に50℃くらいなんですよね。めちゃめちゃ暑くてハードな分、給料もよくて」
体力には自信があるし、仕事を覚えるのも早かった。しかも、仕事は1本いくらの歩合制だ。やればやるほど稼げるようになると分かると、がぜん気合いが入るものだった。
朝は6時に家を出て、仕事が終われば夜は友達と遊ぶ。帰宅後、疲れた体は自然と眠りに誘われ、すぐに翌日の朝が来る。忙しくも充実した生活を楽しむうちに、気づけば月収は40万近くにまでなっていた。学生にしては、贅沢してもだいぶ余りある金額だ。
このまま親方になるのもいいかもしれない。そんな思いが頭をよぎる。
親方と言えば、労働者であり経営者だ。そう、経営者になりたいと考えはじめたのは、ちょうどその頃だった。
***
その日の現場は、JR埼京線の赤羽駅だった。
駅のホームとそう遠くない距離、既存の線路脇に新たに高架をつくる仕事だ。朝早くから仕事を始めたにもかかわらず、相変わらず全身汗だくになっている。時刻は朝の通勤ラッシュにさしかかろうとしていた。
遠くから電車の接近を知らせる音がして、すぐに線路を走るけたたましく重たい音が近づいてきた。
思わず何の気なしに顔を上げる。すると、決して広くないホームを埋める、人々の姿が目の前にあった。
これから都心に向かう電車に乗るのだろう。学生やOL、サラリーマンたち。一瞬、その姿がなぜか、はるか遠くにあるように見えていた。
「スーツ着たサラリーマンがさ、まぁ本当に線路1本分だから、たいした距離ではないんだけど、すごく遠い世界に感じたんですよね。なんか俺がこんな泥だらけになって、汗水垂らして働いて、まぁそれは楽しかったし、お世話になったし、すごく良い経験なんですけど。でも、なんかすごく手の届かない遠い世界に見えた。それで、あ、俺スーツ着る仕事しようと思ったんです」
たった1本の線路を挟んで、自分は属していない遠い世界がそこにあった。向こう側があって、自分はこちら側にいた。
今の生活が決して嫌なわけじゃない。それでも、ビジネスでスーツを着る仕事が世の中にあるのだと認識し、将来についての考えを改めるきっかけになった。
経営者をやるなら、そういう仕事の方がいい。
就職活動をすることに決め、どんな仕事がいいかと悩む。当時はITがすさまじく勢いを持ち始めた時代ではあったが、エンジニアという柄じゃなかった。やはり営業だろうか。とりあえずものを売る力があれば、ビジネス上なんとでもなりそうな気がしていた。
車のディーラー、宝石販売、それから不動産投資会社の営業職に応募した。条件は、稼げることと歩合制の営業であること。2つのみだ。
数回の面接と筆記試験(かなりめちゃくちゃな結果)を経て、3社ともに内定をもらった。それぞれ詳しく話を聞いてみて、選んだのは不動産投資会社だった。
不動産について何も知らないが、どうせなら一番難しそうなものを売って力をつけたい。何千万円もする商材を売れるなら、何百万円の商材も売れるだろう。それに、とにかく結果を出せば稼げることは間違いなさそうだ。
商材は結局何でもよかったのだ。そこに自分が求める環境が、成長できる環境があることの方がはるかに重要だった。
慣れた作業着で現場へと向かう生活から一転、スーツを着てオフィスや客先に足を運ぶ日々が始まった。
「最初はもう2年くらいで辞めたかったんですよね。その当時よく渋谷とか原宿とかで遊んでたので、裏原宿のキャットストリートとかでおしゃれなショップとかバーをやりたかったんですよ。まぁ、よくありがちじゃないですか」
特別その業界で将来を描いていたわけではない。しかし、いずれにせよ営業としてお客様と話すには、目下知識が足りなかった。不動産、投資、それから経済を学ぶ必要があると先輩から教えられた。
勉強には苦手意識もあったが、そんなことも言っていられない。日経新聞あたりから読み始める。すると、今まで興味がなかった世界だけに、知らなかった知識が一気に入ってくる。それも日々の商談で使えるとなると、意外にも一度知ったことを忘れていない自分がいることに気がついた。
やればやるほど自分の力になり、かつ営業の成果に繋がっていく。そんな勉強なら全く苦にならない。自分自身の成長を実感できることが楽しく、次第に小暮は仕事にのめりこんでいく。
「もう仕事にどっぷりハマっちゃって。月に0.5日ぐらいしか休まなかったですね。投資家のお客さんは全国にいるので、日本中飛び回って。明日じゃあ北海道、明日は仙台。仙台から鹿児島みたいな生活で、寝不足過ぎて新幹線の駅を寝過ごすこともしょっちゅうでした」
目の前のお客様、目の前の仕事、目の前の組織のためだけに、とことんやる。そう決めてから2、3年後には、小暮はトップセールスと評価されるようになっていた。
「当時僕も20歳くらいでその業界に入ったので、同級生は普通に大学行って遊んでいるわけですよ。みんなサークルに入って、夏の海でバーベキューしたり飲み会やってる時期に、僕は1人でずっと仕事だけして。でも、遊び以上に楽しかったんですよね。これはすごくいいなと思って。仕事って自己実現なんですね。なりたい自分になる手段の1つというか、人生で最も大事なものの1つだと思うんです」
学生であれば、自己実現の方法はいろいろあると小暮は語る。試験の成績順位や運動能力など、分かりやすく努力の方向性が用意されている。ある程度まで頑張れば人より優れた自分を発見できたり、成長を実感できることが約束されている。
しかし、社会人になると自己実現の手段は一気に限られてくる。多くの人にとっては、まず目の前の仕事だ。
目標のために努力して結果を出し、少しずつ大きな挑戦を乗り越えていく。なりたい自分を描き、近づくために力を尽くす。自分の努力に対し、社会から反応が直接返って来る。誠実に向き合うほどに、変化していく自分自身を実感できる。
仕事はそんな自己実現の手段であり、同時にお金を稼ぐこともできる。当時の小暮にとって、もはや仕事以上に楽しいものはなかった。
新卒の頃
トップセールスとして売上、マネジメントともに貢献することに全力だった毎日。気づけば3年ほどの月日が流れていた。
ちょうどその頃、会社では不祥事があり多くの社員が離脱したタイミングでもあった。小暮も退社し、新天地を探し始めていたところ、お世話になった先輩に誘いを受けた。起業するからどうしても来てほしい、手伝ってくれ。日本一の会社になろう。そんな言葉に心動かされ、先輩の会社を手伝うことにした。
これまで同様トップセールスとして活躍し、充実した日々を過ごす。しかし、2、3年が経つ頃には、新たな思いが芽生えつつあった。
「今までずっとその会社をトップの会社にしたいと思って、会社のためにずっとやってきたんですけど、もう十分やっただろうと思えたりもして。そのときに、俺もともと起業したかったんだって、たまたま自分の夢を思い出したんです」
かつて新卒当初には、いずれ経営者になりたいと考えていた自分がいたことを、この6年間1ミリも思い出した瞬間はなかった。それほど仕事に没頭していたようだ。随分時間が経ってはいたが、変わらず追いたいと思える夢がそこにはあった。
それに今ならついてきてくれる仲間もいる。だから、起業することを決めた。
2004年5月、株式会社インヴァランスを設立。首都圏23区を中心に投資用マンションの開発・販売を手掛けていくようになった。
2010年頃、インヴァランスでの社員旅行にて
「当時は単純に、理想の会社をつくろうと思ったんです」
小暮にとって理想の会社とは、シンプルに従業員が楽しく働くことができ、お客様が喜んでくれるような商品をつくる会社であるという。
1社目に働いた会社では、新卒の同期60人のうち1年後残ったのは6人だった。入ってから知ったことだが、どうやらブラック企業として有名な会社だったようだ。だからこそ、今度は従業員が安心して働ける環境としたかった。
さらに、それまでの営業マン生活では、良い商品も悪い商品も「良い商品」だとして売らなければならなかった。企業としても自分のミッションとしても、仕事なら当たり前にあることだと受け止めてきた過去がある。しかし、自分で会社をつくるなら、本心から良いと言えるものをお客様に届けようと決めていた。
そして最後に、今までできなかったことに乗り出したいという思いがあった。
「インヴァランスは常にチャレンジする会社なんですよ。やっぱりより良いもの、より新しいものがやりたいっていう思いは、常にあって。業界で誰もやったことがないようなことをやっていて、その中の1つがスマートホームだったんですよね」
スマートフォン1つで鍵を開けたり、お風呂を沸かしたり。家のあらゆる機器と繋がり、一元的に管理できる。そんな世界観があることを知り、とにもかくにも作ってみることにした。
「今ある『SpaceCore(スペース・コア)』の前身として『alyssa.(アリッサ)』っていうプロダクトを作って自社の物件に導入したら、めちゃめちゃに入居者の方の反応が良かったんです。これは自社だけじゃなくて外販しようと、絶対売れるなと思って。スマートホームの事業を法人化して、アクセルラボという会社を作ったんです」
米国ではすでにスマートホーム市場が爆発的な成長の兆しを見せていた。この流れは確実に日本にもやって来る。加えて、実際に喜んでくれているユーザーの声が後押しとなった。
スマートホーム事業が走りだしてからは、小暮自身、毎年米国へと飛んだ。ピッチコンテストに出場したり、CVCとして現地のアクセラレーターと手を組み投資もした。世界のスマートホーム市場を牽引するのは、やはり米国だ。現地で展開される最新のスマートホーム事業の数々を肌でたしかめるほど、そのスケーラビリティを確信できた。
2017年に設立された株式会社アクセルラボ。2018年5月、小暮が代表取締役に就任し、本格的にその挑戦を始動させた。技術と人に投資し、国内では他社が追随できないほどのサービスを創りあげた。
暮らしを次のフェーズへ。そこに、変わるべき家の未来があると小暮は信じている。
常に、何度でも、誰もやったことがないことに挑戦する。小暮の原動力は、どこから湧いてくるのだろうか。
「僕は楽しいことをやりたいだけなんですよね。だから、仕事も自分で楽しみを見つけるし、そもそも楽しく仕事しないと結果が出ないと思っていて。そうじゃなかったら、僕もトップセールスにならなかったと思います」
つまらないならやらない。お金稼ぎのためにやらない。シンプルにそう言い切る小暮は、これまでどんな環境でも仕事自体を楽しんできた。肉体的にきつい仕事も、ブラック企業と呼ばれる会社でも確実に成果を出してきたからこそ、その言葉には説得力がある。
とはいえ、楽しいことを選り好みしたり、探してきたわけではない。むしろその信念からは、何事も受け止める器が見えてくる。
「僕の座右の銘は『変化こそ唯一の永遠である』っていう岡倉天心の言葉なんですけど、要は永遠なものって1つもないんですよ。たとえば、机だってすごく硬いマテリアルだけど、いつかは確実に崩壊する。世の中に永遠なんてなくて、永遠なものが唯一あるとしたらそれは変化なんだよね。変化こそ永遠にしつづける。であればどう変わっていくか、どう変化してくかということにフォーカスすればよくて」
そもそも何かを変えまいとすることは不可能だと小暮は語る。人も組織も、社会もそうだろう。自然の摂理に逆らうことはできない。環境が変われば、それまでの人生で培ってきた自分を変えなければならなくなる瞬間は訪れる。
どうせ何かしらの形で変化が起きるのだとすれば、いかに変化するか、いかにより良く変化していくかに焦点を当てればいい。そうやって変化を楽しんできた。
小暮自身、経営者としての自分を必要に応じて変化させてきた。
「1社目を起業した頃は、社員が直立不動になるくらい何かある度にもう本気で怒って詰めてたんですよ。けど10年くらい前かな、経営合宿でメンバーに社長怒るのやめてくれって言われて。僕って怒るとまぁまぁ怖い方なので、社員が委縮しちゃうんですよね。だから、じゃあ分かったと。俺はもう社員を褒めることしかしない、その代わり怒る役割はメンバーに任せることにしたんです」
それ以来、言いたいことを言うべき会議体や緊急時は別として、一度も怒ったことがないという。
「アクセルラボでは僕が怒ったところを見たことない人がほとんどですね。たとえば、数字でイラっとくることがあっても、別に怒るじゃないですよね。怒るってツールじゃないですか。まぁ単純に人に分かってもらうためのツールだから、怒らないっていう方法で同じことを分ってもらえればいいだけなので」
怒った方が効率が良い。昔はそう考えてきたが、安易だったと小暮は振り返る。実際には怒らずに理解してもらうための方法は、工夫次第でほかにもあった。自らの変化を受け入れ、楽しんでいる。だからこそ、すぐに前へ進める。
チャレンジングな環境に身を置けば、誰しも壁を感じる瞬間はあるだろう。1つの問題を解決したと思えば、新たに3つ問題が浮上してくることもあるかもしれない。そんなとき、いかに変化するかにフォーカスし、自らを成長させられるか否かが明暗を分ける。
「人って成長したいんですよ。満足できないんですよ。衣食足りて満足できないのが人なんですよ。より良くなりたい、より良く成長したいというのが人だと思ってて。だから、仕事もそうですね。やっぱり自分自身が楽しみながら成長していく、自己実現していくことが大事なんじゃないかと思います」
運動会でかけっこをして、負けてしまい泣きだす小学生がいる。よくよく考えてみれば、勝ったところで何のメリットもないにもかかわらずだ。
定年退職したあとに大学で学び直す人。有り余るほどのお金を持っていても、日々好きな仕事に勤しむ人。物理的にはゼロでしかない。それなのになぜか、誰もが成長を渇望している。人が根源的に求めている欲求がそこにある。
そのためには、目の前にあるものを楽しむこと。
唯一の永遠である変化のなかで、挑戦を続ける心はきっとそうして創られる。
2021.12.27
文・引田有佳/Focus On編集部
来客を迎える応接室の扉の上に、「A. WILES*」の文字。アクセルラボのオフィスには、歴史に名を残した数学者たちの名前が記されている(*イギリスの数学者アンドリュー・ワイルズ、「フェルマーの最終定理」を証明したことで知られる)。
たとえば、1950年に天才数学者ジョン・ナッシュが導き出した「ナッシュ均衡」の概念が、現代の株取引やFXなど資本市場の基礎として活用されているように、数学は時代を超え世界を動かしていくツールなのだと小暮氏は語る。同様に、世界で最も有名な難問の1つとされ、証明されるまで300年もの時間を要した「フェルマーの最終定理」も、今はまだ人類が使い方を知らないだけであり、数百年後には社会を形作る重大な鍵となっているかもしれないとも。
いつの時代も社会を進化させる力を秘めている。小暮氏が数学に憧れる理由は、その壮大さにあるという。
アクセルラボが挑む、社会を変える挑戦のフィールドは「家」にある。家を進化させ、人や暮らしをも進化させていく。人が家に合わせるのではなく、家が人に合わせ進化するスマートホームの実現。その国内におけるデファクトスタンダードになることだ。
挑戦に終わりはない。なぜなら、変化こそ唯一の永遠であるからだ。岡倉天心の言葉の通り、同社が描くスマートホームの在り方も常に改善され、変化しつづける。
人も家も、変化しないままでいることはむしろ難しい。現状維持を望んだとしても、環境は否応なく変化していくからこそ、自身も変化を迫られる。
そのとき、いかに自分を変化させるかに焦点を当て、状況を打破する力を得られるかどうか。
世界一の難問を前にしても、きっとそうだろう。現在の自分に解けないならば、新しい自分へと変化していけばいい。常に自分を変化させ、成長させる。
いち早く社会を動かし、ときに天才と呼ばれるような人々は、きっとそんな視界で世界を見ている。
文・Focus On編集部
株式会社アクセルラボ 小暮学
代表取締役/CEO & Founder
1976年生まれ。不動産投資会社営業職を経て、2004年、27歳で株式会社インヴァランスを設立。総合デベロッパーとして東京都内の投資用マンションにおけるリーディングカンパニーへと成長させる。2017年、アクセルラボ設立。空間とテクノロジーの融合を掲げ、スマートホームサービスなど様々な事業を展開。AI・IoT分野の海外スタートアップへの投資も積極的に行っている。