Focus On
黒崎賢一
株式会社BEARTAIL  
代表取締役社長
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or人生は何を選ぶかよりも、どう選ぶかが重要だ。
一人ひとりが自分にあった進路を選べる社会を目指す、通信制オンラインスクール「サイル学院中等部・高等部」。同校では、画一的な学校教育に違和感を覚える子どもたちのために、時代に即した個別最適型の学校生活や学習体験を提供。学校に自分を合わせるのではなく自分に学校を合わせることができる環境で、生徒たちが後悔のない進路選択を実現できるよう各種専門家たちが連携・サポートしている。
学院長の松下雅征は、自身が進路選択において後悔した経験から早稲田大学政治経済学部在学中に学生起業し、受験相談サービスを展開していた過去を持つ。卒業後は株式会社リンクアンドモチベーションに入社し、マーケティング部門の立ち上げに従事。のち、コンサルティング会社の株式会社才流を経て、2022年にサイル学院高等部、翌年同中等部を創立した。同氏が語る「充実した人生にある共通項」とは。
目次
学校の友だちと遊ぶことは好きだし、勉強も嫌いじゃない。けれど、なぜか学校という場所には違和感があり行きづらい。そんな風に感じている子どもの数は、年々増加の一途をたどっているようだ。
文部科学省の統計によると、令和3年度、小中学校を長期欠席している子どもの数は約40万人を超え、9年連続で過去最多を更新しつづけているという。原因は子どもの無気力や不安があると言われているが、さらにその背景として「日常生活と学校生活のズレ」があるのではないかと松下は考える。
「私たちの生活って働くも遊ぶも学ぶも、基本的には集団一斉型から個別最適型に変わりつつあると思っていて。たとえば、みんなが同じ時間に同じ番組を観るテレビから、好きな時間に好きな動画を観るYouTubeが普及したり。オフィスワークからテレワークになったりしているなかで、学校で学ぶというところは全日制のリアルスクールのままなんですよね」
日常生活が個別最適化されているにもかかわらず、学校だけはいまだ集団生活や集団授業を強いられる。それは若い世代であればあるほど、違和感やストレスを覚えやすい環境となりつつあるのではないか。通信制課程の学校は、そんな子どもたちの受け皿として機能する。
「全日制に通う高校生の数は30年間でほぼ半減しているのですが、通信制に通う高校生の数は逆に50%ぐらい増えていて、今は16万人が24万人くらいですかね。これだけ全体のパイも減っているなかで通信制課程が伸びつづけているということは、集団一斉型ではない新しい学校が求められているということだと思っているんです」
時代の流れとともに需要が高まりつつある通信制課程。それだけ従来型の全日制課程では、固定的な教育スタイルゆえの弊害が生まれているということでもある。
「まず、みんなで同じ時間に同じ授業をするという時間の縛りがあることですね。小学校であれば9時~15時は固定されていることが多い。子どもが何か自分のやりたいことや好きなことをしようと思ったら、学校以外の時間でやらなければいけないんです。ただ、その時間がそもそも少ないという課題があって」
決められた時間割があり、時間通りに授業を受け、定期テストを受けることで卒業できる。「学年制」と呼ばれるこの仕組みとは対照的に、通信制課程の学校では「単位制」が導入されている。
そこではクラスや学年に左右されず自分のペースで科目を履修できるため、たとえば1年のうち8か月で全単位を履修して、残りの4か月は興味関心を突き詰めたり、将来のための時間として使うことも可能となる。とにかく自由な時間が多く生まれる点が、通信制課程の魅力といえる。
サイル学院の生徒たちが制作会社と制作したテレビCMより
通信制オンラインスクール「サイル学院中等部・高等部」は、全国から入学・転校できるバーチャル校舎の学校だ。通学するタイプの通信制もあるなかで、同校では100%オンラインであることの強みを活かし、従来限界のあった教師間の分業と連携効果を最大化している。
「オンラインだからこそ、生徒たち自身でいろいろな分野の専門家にアクセスしやすい体制を作っています。たとえば、大学受験の相談は進学塾のプロの講師に、進路相談ならキャリアの専門家に聞くことができる。かつ、(入学時点で個人情報の共有に同意していただいたうえで)専門家同士も連携しているので、一人ひとりの生徒に対して性格や学力、希望の進路に合わせたコミュニケーションを取っていくことができるんです」
困ったことがあればすぐに助けを求めることができる安心感と、生徒自身の自主性を促す適切な距離感。さらに特徴的な点は、独自の進路選択メソッドに基づくカリキュラム設計にある。
「まず、社会でお金を稼ぐことに対する解像度を高める。次に、自分の感情に対する解像度を高める。そして、社会と自分の重なりを選ぶ。これら3つのステップをぐるぐる回していくことが、納得できる後悔しない進路を見つけるために必要だという風に私は思っていて。そういった体験を入学から卒業まで何回もできるようにカリキュラムを設計しています」
たとえば、起業家など社会で何らかの活動をしている人を定期的に講師として招聘したり、課外活動として制作会社で働くプロと一緒にテレビCMを作成したり、社会を知る機会が豊富に用意されている点は、同校の大きな特色といえるだろう。
「あとは、自分の感情を知るという意味では、学校生活の中で自分の思いをシェアし合う場がかなり多くなっていて。たとえば、授業の中で『私が印象に残った授業』というテーマでそれぞれが話をする。あさ会(みんなで集まって雑談をする場)で『ライフラインチャート*』を共有し合う。同じテーマでも人それぞれ全然切り口が違うなか、自分はこういうことに関心が向きやすいんだとか、人と比べてこういう傾向があるんだということを感じ取れる機会が多く設けられています(*自分のこれまでの人生を振り返り、いつどんな出来事があったのか、その時の自分の幸福度や充実度はどのくらいだったのかをチャートで表したもの)」
生徒の学習体験や日常生活を充実させていくべく、日々固定観念にとらわれない新しい取り組みを実践しているサイル学院。一貫しているのは、一人ひとりが自分にあった進路を選べる社会を作りたいという思いだ。
「まずは、卒業生も含めて生徒一人ひとりが自分の進路選択に自信を持てる状態を作っていきたいと思います。その先は、こういうやり方であれば進路選択をサポートできますというメソッドを、全国の学校にどんどん公開していきたいなと思っていて。カリキュラムや体制含め最終的には全て公開して、いろいろな人たちがそれぞれの場で実行できる状態を作っていきたいですね」
親会社である株式会社才流が掲げる「才能を流通させる」というミッションの通り、サイル学院では、培われた進路選択の最適解をオープンにしていくことで、社会全体の底上げに寄与していくことを目指すゴールとする。
これからの時代の担い手たる子どもたちのために、社会の変化に則して必要とされる教育の在り方を、サイル学院は探求しつづける。
物心ついた頃から暮らしていた東京都小金井市は、緑に囲まれた町だった。家の近くにある林で虫を捕まえたり、川でザリガニを探したり。東京育ちだが、いわゆるシティーボーイ的な育ち方ではなかったと松下は振り返る。
「私が通っていた幼稚園はかなり敷地が広いところで、自宅の近くにもほかの幼稚園はあったんですが、母がなるべく広いところで育てたいと、わざわざバスで少し遠くの幼稚園まで通っていたらしいです。そういう両親の方針もあって、のびのびとやりたいことをやらせてもらったという印象が強くて」
特に、子育ての中心にいたのは母だった。日頃「ああしなさい、こうしなさい」と言われたことはなく、子どものありのままの興味関心や感性を伸ばしてくれる人だった。
「今、私に3歳の子どもがいるのですが、子どもが何かやっているとつい話しかけようとしてしまうんですよ。でも、そういうとき母親は『邪魔しなくていいんじゃない』と言っていて。子どもから求めてこないあいだは基本何もしないスタンスなんだと、自分の子どもと接する母親を見て、初めて気づいたんですよね。おそらく私の時も呼びかけたら答えてくれたんですが、そうではない限りは一切干渉しなかったんだと思います」
必要以上に干渉しない母の接し方も影響したのかもしれない、昔から興味を持ったことには真っ直ぐのめり込む方だった。幼稚園のサッカークラブで試合をしていても、ふと目についた足元の草が気になると、1人ボールから目を離して夢中になっていたりする。
「よく言えば、集中力があるとか熱中力が高いとか。悪く言えば、視野が狭いとかマイペースというか、人目をあまり気にしないようなタイプだったと思いますね」
もしかすると母は将来何をするにしても大切になる熱中力のようなものを、教えようとしてくれていたのかもしれない。
「小学校で習字の課題があるじゃないですか。その時は配られた用紙が3枚だったので、3枚書いてよく書けた1枚を選べばいいかなとか思っていたら、母親は50枚くらい用紙を追加で買ってきて。その3枚は清書用だから、これで練習して渾身の3枚を書いて提出するんだと。『人として』とか、何か手を抜こうとするようなことに関しては、ものすごく厳しかったですね」
なかでも当時熱中したものといえば漫画だ。一人っ子でいわゆる鍵っ子だった小学校時代、友だちと遊んで帰宅した後、時間をつぶすのに漫画を読むことはもってこいだった。『ドラゴンボール』など当時大好きだった漫画は、擦り切れるくらい繰り返し読んだ。そのうち次第に読むだけではとどまらなくなっていった。
「最初は普通に読んでいたんですが、読み過ぎて次のページをめくる前にセリフが全部分かるんですよ。もう1回2回じゃなく100回とか200回というレベルで全巻読み尽くしていたので、さすがに面白くなくなってきたというか(笑)。読むのに飽きたから自分で絵を描きはじめたのが、小学4年か5年くらいでした」
見よう見まねで『ドラゴンボール』に登場するキャラクターを描いてみる。ただそれだけのことなのに、意外と楽しくのめり込んでしまう。1枚、もう1枚と描きつづけていくと、次第に好きなキャラクターを自分好みのストーリーで闘わせてみたくなってきた。
原作ではありえないような設定も、自ら描く漫画の中では自由自在に生み出せる。その感覚の虜になって、気づけば卒業アルバムの将来の夢のコーナーに、迷わず漫画家と書く自分がいた。
「中学生くらいになると、『DEATH NOTE』とか『るろうに剣心』とか、少し話が複雑な物語が好きになっていって。そういう難しい伏線がある話を描こうとすると、物語の神の視点が必要じゃないですか。漫画家ってすごく賢い人なんじゃないと思いはじめて」
もともと勉強はお世辞にも好きとは言えなかった。真面目に聞いても授業についていけた記憶はないし、暗記も何のためにやっているのか分からなくなってくる。それでも人より時間をかけて、集中力だけを頼りにコツコツやって、なんとか中間層に手が届く。きっと自分は頭の回転が速くないのだろうと思ってきた。
しかし、漫画家を目指すならそうも言っていられない。中学でも成績は平均的だったが、あきらめず頑張りつづけていると、あるとき突然成績が跳ね上がった。
「中学2年の終わりぐらいに、成績がポンとオール5になったタイミングがあったんです。ちょうどその頃父親に『漫画家になりたい』という話をやんわりしていたら、『いい高校、いい大学に入ってからね』と。『どうやって食べていくの?』ぐらいの感じでした。ただ、私はそれに対して何も答えられなかったんですよね」
高卒から叩き上げでキャリアを築いてきた父には尊敬を抱いてきた。その父の言葉を受け止めて、何か反論しようとしたが言葉は出てこなかった。漫画家として社会でどうお金を稼ぐのか、当時は本当に何も知らなかったのだ。
「テストの点数が上がって周りからも『すごいね』と言われるし、まぁ嬉しいじゃないですか。今までできなかったことができたから。だから、自分としては本当にやりたかった漫画家の道はあきらめて、一旦こっちやるかくらいの気持ちで、将来の夢をうやむやにしてしまったんですよね。それが私の進路選択の1つ目の失敗なんです」
成績という形で努力が実る手応えや、周りからの称賛はどれも自分にとっては新鮮で得難いものだった。分かりやすい目標であり、頑張れば頑張るほど評価もついてくる。どこか漠然とした漫画家という夢の方が、相対的にふたしかなものに見えていたのかもしれない。
結局卒業までオール5を取りつづけ、高校は早稲田実業への推薦合格を得た。けれど、大切な夢ややりたいことをないがしろにしたことは、のちの後悔に繋がっていった。
小学校のタイムカプセルに入れた手描きイラスト
成績が上がったとはいえ、高校では勉強面でさらに苦戦することになる。普通の公立中学から、日本トップレベルの頭脳が集まる高校へと推薦で飛び込んだのだ。一般受験では到底入ることはできなかっただろう。できることと言えば、やはりコツコツと積み上げていくことだけだった。
「入学して明確に思ったことは、みんな高性能のエンジンを積んでいるけどあまり磨かないんだなということと、自分はエンジンを持っていなくて人力で漕いでるなということですね。意外とみんなサボるから肩を並べられるのであって、ここでやめたら終わるなと。やれる時にやっておこうとすごく思いました」
テストは1か月前から計画的に勉強し、なんとか80点を取る。一方、授業中にゲームをしているクラスメイトが、直前だけ要領よく勉強し90点や100点を取っていたりする。
そんな自分が奇跡的にも推薦入試で高校に合格できたのは、改めて中学でお世話になった学校や塾の先生の存在が大きいと思わずにはいられなかった。
「とにかく私は一人っ子だったので、誰かと話をするということが自分の中で結構特別なことだったんです。だからこそ、同級生だけじゃなく先生にもすごく話しかけるタイプで。偶然私の周りには素敵な先生が多かったので、話を聞いて伸ばしてくださったなと思います」
勉強面はもちろんのこと、学生生活自体がかけがえのない思い出になったのは、先生たちのサポートあったからでもあった。漫画家という夢を手放した今、学校の先生になりたいという思いが芽生えていった。
ちょうど粛々とできる勉強を続けた結果、中学同様に成績が上がりはじめた頃だった。早稲田実業は早稲田大学の系属校なので、成績順に好きな学部を選べるシステムになっている。成績が上がれば、それだけ人気の学部も希望通り選べるということになる。
「早稲田だと偏差値がトップの学部って政治経済学部なんですよ。しかも学科によっては推薦枠も10人くらいと限られていて、みんな基本はそこに行きたいと思っている。私は特にそういうことは気にしないタイプであるはずだったんですが、中学からいわゆる偏差値の階段を上りはじめてしまったので、いかんせん成績が上がりはじめると、それを降りられなくなってしまったんですよね」
高校時代、少林寺拳法部の大会にて
(卒業時には学業と課外活動で優秀な実績を残した生徒1名に送られる「大隈賞」を受賞した)
結局、やりたいこととは無関係な政治経済学部に進学することにした。学部選びの後悔は、大学に入学してから襲ってきた。
「私の場合は早稲田の系属校にいたので、高校から学部の序列ってなんとなくあるんですが、入ったあとはそれほどでもなくて。しかも学外のいろいろな人と繋がるたびに、そんなこと誰も気にしていないと気づく瞬間ってたくさんあったんです」
教師になりたいという意思がある。それなら本当は、教育学部などやりたいことに直結する進路を選ぶべきではなかったのか。
思い返されるのは、同じように教師を目指し、ぶれずに真っ直ぐ努力する1人の同級生の姿だった。
「すごく仲が良くて尊敬もしていた友人は『自分は英語の教師になる』と言って、政治経済学部に入れる成績もありながら、教育学部の英語英文学科を選んでいて。志望する人が少ない学科なので、間違いなく行けるはずなんですよ。でも、その子は100%その学部に行きたいから1位を狙うんだと、ものすごく勉強していて。そういう姿を見て、すごいな、素敵だな、かっこいいなと思う自分がいたんです」
中学時代、よく調べもせず漫画家の夢をあきらめてしまったことも後悔に繋がった。本当は尊敬する友人のように、自分も夢を追うことに熱中していたかったはずだった。
「振り返ると、やはり社会と自分の感情に対する解像度が低かったなと思って。周りから褒められて嬉しかったとしても、本当に大事にすべきはそこじゃなかったんだなと今となっては思うんです。当時は表面的に見えるもの、つまり成績という分かりやすい指標を手放せなくなってしまっていたんです」
偏差値という物差しも大切ではある。しかし、夢ややりたいことがあるのなら、それに勝る選択基準はないはずだ。
当時は気づけなかったが、本気で追いかけたいものは別にあったからこそ心に残りつづけているのだろう。
身の回りにある狭い世界の価値観に従うだけでなく、広い社会を知ることと自分の感情を知ること。それこそが悔いのない進路選択に繋がるのだろうと、度重なる失敗から学んできた。
高校1年の夏、学校の研修でカナダに3週間ホームステイしたことがある。初めての海外は、新鮮な驚きと楽しさであふれていた。しかし、英語が全く話せず、ホームステイ先の家族と意思疎通できなかった。苦い思いはその後も残りつづけ、大学に入ったら留学に行こうと決めていた。
「交換留学するためにはTOEFLというテストのスコアが必要だったんですが、それが壊滅的にできなくて。しかも留学する年の1年前のスコアで判断されるんですよ。当時TOEIC300点だった自分が1年生の夏に必要なスコアを取るのは無理だなと思って。はじめから自分は2年生の夏まで英語の勉強を頑張って、3年生から留学、帰国したら就活も遅れて良いと。その時点で大学は5か年計画だったんです」
それまでしてきた英語の勉強といえば、教科書の丸暗記など成績を上げることに最適化したものばかりで、本質的な英語力が身についていなかった。このままではまずいと、1、2年のうちは大学にたくさんいる留学生たちに声をかけることにした。
日本語を教える代わりに英語を教えてほしいと頼んでみると、喜んで応じてくれる人がいた。アルバイトやサークル活動と並行し、集中的に英語を鍛えた甲斐あってか、なんとか3年の夏から交換留学生として渡航できることになる。
行き先は米国・ワシントンD.C.にした。米国の首都であり、世界の中枢として多くの人々が集まる街だ。
「行って正解だったなと今でも思います。ただ、私の場合は明確にこれを学びたいというより、海外で生活してみたいとか、いろいろな人に会ってみたいという理由だったので、究極は交換留学でなくてもよかったなと今となっては思いもするんですよね。実際、TOEFLのスコアが足りなかったら、ワーホリなどで行こうかなと思っていました」
留学中は当初の目的通り、現地で働く日本人をはじめさまざまな人に会いに行った。ネットで調べて自分からDMでコンタクトを取ったり、あるいは世界銀行にある少林寺拳法の支部に出入りしたり、政治関係の日米国際交流パーティのような場に足を伸ばして出会いを探し、話を聞いたりもした。
「100人ぐらいの人と繋がって、『なんでその仕事をしてるんですか?』とか、『いつからそれを思ったんですか?』とか聞いていくと、過去現在未来が1本の線で繋がっている人ってほぼゼロだなと思ったんですよ。基本的には運とか縁を見つけて、それを自分で掴みにいくかどうかが大事なのかなと」
過去にこんな経験をすれば未来絶対にこうなると言えるものはなさそうだ。それなら人生のパターンや法則性のようなものを探しても無駄なのかもしれない。
一方で、楽しそうに働いている人と、あまり充実していなさそうに見える人とを比べると、そこには一つの共通項があるように思われた。
「充実して楽しそうで、自分がこうなりたいと思う方の共通点として『選択のハンドルを自分で握っている』ということに気がついたんです。つまり、何をするかは別になんでもいいけれど、2つの道から1つを選ぶときにはきちんと自分の意思で選ぶということが大事なんだと。何を選ぶかに正解はないけれど、どうやって選ぶかということに対しては正解がありそうだと思ったんですよね」
振り返ると、自分がしたように偏差値で決めるだけが進路選択の正解ではないと改めて強く思うようになった。しかし、やりたいことに繋がる学部学科というより、自分と同じように大学の名前だけで進路を決める友人も多い。そして大学を卒業する頃に「もっとやりたいことをやれば良かった」「なんとなく大学生活を過ごしてしまった」と後悔する人も少なくなかった。
「そんなことを思って、留学中だった大学3年から4年にかけて、中高生の進路選択を変えていきたいと、学生起業という形で受験相談アプリを作ったんです。早稲田の私と、留学先で知り合った慶應の友人と2人で始めたこともあり『早慶学生ドットコム』という早慶に特化したYahoo!知恵袋のようなサービスでした」
はじめは登記なども考えず、とにかくものを作ってみようとネットで調べながらWebサイトを作ってみる。そこに現役早慶生のプロフィールを並べ、中高生が好きな人を選んでキャンパスを案内してもらえるようにした。
オープンキャンパスのように年に数回ではなく、365日現役大学生に会えるというコンセプトだったが、当時はまだマッチングアプリなどオンラインを通じて人と会う文化が浸透していなかった。
仕方なく今度は紙のDMを刷り、東京都の中学高校に向け送付してみる。早慶学生相談会と称した個別相談会やパネルディスカッションを企画したところ、そこそこのニーズがあったため、やがてアプリへと移行する。一定順調に回り出したかのように見えたサービスだったが、当初の思いは置き去りになりつつあった。
「今考えると当たり前なのですが、受験相談のサービスを作ったので受験勉強の質問ばかり来るんですよ。この問題の解き方を教えてくださいとか、勉強法どうすればいいでしょうとか。それはそれで大切なんですが、自分が本気でやりたかったことってそこではなくて、もっと手前にある、そもそも何を目指すかという相談に乗りたかったんですよね」
勢いで始めたこともあり、マネタイズプランも甘かった。当時は進学塾などに営業し、早慶志望の中高生に直接広告を出せるということで、市場の相場よりやや高めに設定した広告費で売上を立てていた。しかし、それ一本で生活していけるほどには至っていなかった。
「なんとなくユーザーと接点を持とうで始めてしまったんですが、たとえば家庭教師というカテゴリーでマネタイズしていくのか、広告でやっていくのかなどあまり決めずに走り出していて。結局ユーザーの課題を解決するといっても、マネタイズという意味では解決すべき課題というのはクライアント側にあるわけじゃないですか。両方の課題と向き合わないといけなかったんですが、お金をもらうクライアントサイドの課題の解像度がすごく低かったんです」
誰のどんな課題を解決するのか、どの市場で闘うことを選ぶのか。そして、その市場に自分は合っているのか。起業の失敗を経て、社会でお金を稼ぐことに対する解像度の低さを思い知る。
しかし、不思議と後悔はなかった。それは漫画家の夢や教師の夢をうやむやにした失敗とは明確に変わった部分でもある。自分自身で選択のハンドルを握ること。その結果であれば、やはり選択自体を悔やむ結果にはならない。そう身をもって学んだからこそ、確信できていた。
大学時代、学生起業して高校へ出張授業に行った時の様子
失敗も学びもあった学生起業には一区切りつけることにして、大学卒業後は企業へと就職することにした。就職活動にあたって考えていたのは、やはり進路選択をより良く変えていくことだった。
「人の進路選択に影響する存在って、1番は親だと思うんですよ。その次に学校で、その次に塾とか習い事などがある。これは単純に接している時間の量だと思っているんですよね。家庭に対して何かすることは難しいと思うので、ビジネスで何かするなら次点で学校だなとは思っていました」
学校の何を変えると進路選択が変わるのか。当時はMOOC(ムーク)と呼ばれるオンラインで世界中の授業を受けられる動画配信サービスが流行しはじめた頃だった。教育のコンテンツ自体は発展しつつある。しかし、コンテンツがどれだけ優れていても、結局それを扱う人次第で学びの中身は変わってくる。
ラストワンマイルは人の部分にある。それも教員個人というより、日本という1つの組織を教育という面で切ったとしたら組織人事制度にあたるもの、つまり何かしらの構造を変える必要があるのではないかと考えていた。
「私が就職したリンクアンドモチベーションという会社は、当時民間企業の組織変革をするコンサルティング会社でした。組織の制度設計から風土改革、育成まで一気通貫で手掛けていて、かつ経済産業省と連携したりもしていたので、最終的には文部科学省と一緒に学校という組織の人事改革のようなことができたらという気持ちで入社したんです」
新卒入社した2015年は、社内初のクラウドサービスである「モチベーションクラウド」のリリースに向けた準備が進められていた。偶然だが就職活動時リクルーターとしてお世話になった先輩が、その新規事業の関係者であり、入社後はそのままクラウド事業に必要なマーケティング機能を社内にゼロから作っていくという役割を与えられることとなった。
「今までコンサルティング事業1本だった会社にクラウド事業を作ることになったので、組織体制としてもガラッと変わるタイミングで。そのなかで私のメインミッションは、新しくマーケティング部門を立ち上げることでした。幸運なことに上長は社内で役員として活躍されている方で、その分野の経験者の先輩もいないなか、厳しいけれど愛のある指導で5年間貴重な経験をさせてもらいました」
環境に恵まれ会社員生活は充実していたものの、やはりもう一度自分の手で事業をつくりたいという思いは心の片隅にありつづけた。
リンクアンドモチベーションの顧客は法人だが、それだけでなく個人の課題を解決していきたいという思いもある。具体的には、子どもの学習体験を良くするようなことがしたいと考えていた。
5、6年働いたのち退職し、縁あって新天地として参画したのが、当時まだ数名規模の株式会社才流(サイル)だった。入社当初は、いわゆる経営と現場の架け橋のような役割で、代表と二人三脚で事業全体の成長を描いていくことになる。
「『才能を流通させる』という才流のミッションを平たく言うと、人の潜在能力を伸ばすためには『メソッド』と呼んでいる再現性の高い方法を浸透させることが大事であると考えていて。才流のホームページを見ていただければ分かると思うのですが、いわゆるホワイトペーパーではないですが、ノウハウをたくさん公開している会社でして」
たとえば、営業の予実管理を効率化するテンプレートや、BtoBマーケティングの戦略立案に使えるテンプレートなど「メソッド」は多岐にわたる。それらが個人情報などの入力なしでダウンロードできる状態で公開されている。
「なぜこんなことをしているのかとよく聞かれるのですが、『車輪の再発明』をやめていきたいという思いがあるからで。たとえば、男子マラソンの世界記録って100年前と今では1時間くらい違うんですよ。でも、人の身体っておそらく100年前とあまり変わらない。これって走るフォームとか食べるものとか、人が長距離を速く走る方法論が、あらゆる面で進化していったからだと思うんですよね」
才流では人の能力を引き出すことこそ有用であると信じている。だからこそ、再現性のある方法論を開発、発信することで、企業の課題を最短距離で解決し、一段上のゴールへと導いていく。
これまではその対象も法人のみだったが、個人へと対象を広げ、学校で学ぶ人向けに価値を提供してもいいのではないか。メソッドの恩恵を受けるのは、大人に限る必要はないのではないか。そんな思いから学校設立を構想、提案したことがきっかけで、現在のサイル学院開校へと繋がった。
「私の場合は学生起業があまりうまくいかなくて違う仕事をして。でも、その違う仕事をしているあいだも、やっぱり考えてしまうんですよね。どうにかならなかったのかとか、もっとこうしたらいいんじゃないかということをずっと考えていたので、どうやら自分はこの課題に本気で向き合いたいと思っているらしいと、違うことをして改めて自覚したんです」
教育は短期で結果が出る業界ではない、足の長いビジネスだからこそ、課題に向き合いつづけられるかどうかは大切になると考えている。ただ教育分野に興味があるだけではない、本気で10年、20年先まで向き合っていたいという確信がある。
一人ひとりが自分にあった進路を選べる社会。描く理想を現実にすべく、サイル学院は2022年に設立された。ほかでもない自分自身が身をもって体験し、確立してきた進路選択の方法論を、今を生きる子どもたちのために伝えていく。
進路選択について多くの失敗を経験し、学んだことについて松下は語る。
「失敗することでこそ、社会と自分に対する解像度は高まるということですね。そもそも間違った選択をしたからこそずっと心残りで後悔している自分に気づくことができたし、それが今の仕事に繋がっている部分も大きいと思うんです」
漫画家の夢をあきらめて偏差値という評価を追い求めたからこそ、それが本気でやりたいことではないと実感できた。あの時、もっと漫画家という職業について調べてみるだけでも違ったかもしれない。そうしたさまざまな後悔が積み重なり、自分らしい道となっている。
「その瞬間は失敗したと思うかもしれないけれど、結果的にやりつづけると繋がっていく。とりあえずやってみて失敗しない限り、社会に対しても自分に対しても解像度が高まっていかない。そう思うと、引き続き失敗しつづけるしかないのかなと、今は半分吹っ切れるようにもなりました」
失敗を重ねるほどに、社会や自分の解像度が高まり、本気でやりたいことが見えてくる。たとえ無関係な環境に身を移しても、不思議と寝ても覚めてもそのことについて考えてしまう。そんな風に心から熱望してしまう進路が見出せたのは、何より人生で価値あることだった。
今まさに悩みの渦中にいる人もいるだろう。有限な時間の中で、少しでも進む道を見出していくために実践できる心がけがあるという。
「こういう場合は何をしたらいいという答えはあまりないのですが、しいて言えば1人で考えないことだと思います。自分の感情って人と比較して初めて分かるというか、相対的にしか見られないものだと思っているので、1人で考え過ぎずシェアしていくといいのではないかなと思います」
誰かと考えをシェアするからこそ、人は他人と自分の差異に気づくことができる。自分の特徴や傾向、意思の解像度を高めれば高めるほど、未来の可能性は広がっていく。
どんな時も、道は1つじゃない。万が一その選択が失敗に終わっても、ほかの道は自分次第で見つけることができる。
2023.9.21
文・引田有佳/Focus On編集部
人生の正解は、他人に教えてもらえる類のものではない。誰しも自分で見つけていく必要があるものだ。だからこそ、自分と社会の解像度を高めることの大切さについて松下氏は語る。
その過程では挫折を経験したり、あるいは自分の甘さを手ひどく思い知らされたりすることもあるだろう。しかし、それら一つひとつの経験が、意思ある選択のもと行われたものであると言えるならば、何も恐れるものはないという。
誰かの声や社会一般の通説に従った選択をすることは、自分なりの考えを社会に問う機会を奪われることと等しい。一方で、意思ある選択であればこそ、社会からのフィードバックを受けながら、より強固な信念を磨いていく糧となるのだと松下氏の人生は証明している。
サイル学院中等部・高等部で学ぶ子どもたちも自分と社会について理解を深めながら、意思ある進路選択へと踏み出していく。やがてそんな子どもたちが大人になり、形作る社会こそ、今よりもっと個々の意思が尊重されることが当たり前になる未来なのかもしれない。
文・Focus On編集部
株式会社サイルビジネス学院 松下雅征
代表取締役/サイル学院中等部・高等部 学院長
1993年生まれ。東京都出身。東京都の公立中学校卒業。早稲田実業学校高等部を首席卒業。米国留学後、早稲田大学政治経済学部を卒業。やりたいことではなく偏差値で進路を選び後悔した経験から、大学在学中に受験相談サービスを立ち上げ。中高生からの相談数は7万件以上。卒業後は教育系上場企業とコンサルティング会社の才流で勤務。2022年、株式会社サイルビジネス学院を設立し、代表取締役に就任。一人ひとりが自分にあった進路を選べる社会を目指して通信制オンラインスクール「サイル学院高等部」を創立。2023年、同校の中等部を創立。著書「マンガと図解でわかる!13歳からの進路相談」(すばる舎)。進路選択をテーマにした講演・イベントの登壇実績多数。1児の父。