Focus On
兒嶋裕貴
株式会社Resorz  
代表取締役
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or自分の心に嘘をつかず、ただ純粋に追いかける。そうしなければ、手に入らないものがある。
人々の心を満たす「きゅん」を世に生み出していく株式会社きゅんとふる。インフルエンサーを使ったSNSマーケティング事業・キャスティング事業を展開する同社は、2019年6月に設立された。同社代表取締役の末永春菜は、日本大学法学部在学中ミスコンに出場し、2017年準グランプリ・DHC賞を獲得。就職活動にて複数企業の内定を獲得したのち、卒業後の進路を起業するという選択に変えた。自身もインフルエンサーとして活動し、現在7,000人以上のフォロワー数を有する末永春菜が語る「心に眠る望み」とは。
目次
ほかでもない自分の直感が、心の糸を震わせる。
気になるブランドの新作は速攻でチェックしたい。限定品とコラボには弱くて、身にまとうもの全て流行で染め上げたい。可愛いけど意思のあるピンクで自分を表現したい。
そこには、何より気持ちが浮き立つようなものがある。片時も頭から離れなくなってしまうほど心奪われて、誰かに自慢せずにはいられない。運命みたいな出会いとともにやって来て、ただそばにあるだけで特別な気分にさせてくれる大切なもの。
広い世界は、こんなにも「きゅん」で満ちていて、それは誰かの心の糸をも震わせる。
誰もが手にすることができるはず。なぜなら、あなたが望む「きゅん」は心がすでに知っているからだ。ときには誰かに背中を押してもらい、決断してみて初めて知ることもある。言葉にするのはひどく難しいこともあるけれど、たしかに心の奥底で眠っている。
もしもそれを手放してしまうなら、自分が自分じゃなくなるような気持ちがするかもしれない。誰かに決められた生き方じゃ夢中になれない。借り物の言葉には共感は生まれない。だから、心に浮かんだ本物の感情を、包み隠さず表に出してみよう。眼差しに意思の光が宿り、世界はキラキラと輝き出しているだろう。
直感を信じ、心が望むものを一途に追いかけてきた末永春菜の人生。
田舎道を走る車は、がたがたと激しく揺れていた。
ガラス越しに、さっきから代わり映えのしない景色が続いている。遠くの方に見える山の緑と、なんだかよく分からない田んぼや畑の広い土地。自分がただ見たものを目に映す機械になったみたい。同じような風景が過ぎていく。辺りに人気はなく、ときたま背の低い建物が存在を主張しているだけ。まるで映画の一部分をリモコンで切り取って、誰かが嫌がらせみたいに繰り返し再生しているようだった。
目的地まではあと少しかな。なるべく考えないように頭をひそめておく。狭い車の中には沈黙が満ちていた。息をするたび、排気ガスの匂いと一緒に肺から吸い込まれ、味もしない空気が体の内側に入り込んでくる。手足の先まで侵食されそうな感覚がして、何度か無意味に動かしてみる。でも、拭えない。そっと目を閉じると、いつものように胸の真ん中がひどくざわついていた。心だけは黙っておとなしくはしていられない。
実家のある千葉県から、車に揺られること数時間。母方のお爺ちゃんお婆ちゃんが住む新潟県三条市の片田舎に、今日から数か月預けられることになっていた。
お母さんが妊娠し、幼い自分の面倒を2人に託さなければならなくなったからだと言われていた。お父さんは東京で働いていて忙しく、あまり家に帰ってこれない。だから、ほかに選択肢はないのだと。
「行きたくない」。どんなに不満を言っても、泣いて駄々をこねても、お母さんは絶対に聞き入れてくれなかった。自分にとって、今日この日を迎えるのは何より憂鬱だった。
ブレーキが踏み込まれ、音を立てて車は止まる。
お母さんに促され、緩慢な動作でドアを開けた。草木の強い匂いと、すぐ横を流れる川の水の音。そして、大正時代に建てられた木造の家が目の前に佇んでいる。家はありえないほど古くて汚い。長年風雨にさらされてきた外壁は、そろそろガタが来たっておかしくなさそうに見えた。この景色が意味することは知っている。だから、なるべく視界に入らぬように足元だけを見て見ぬふりをした。
扉を開ければ、いつものようにお爺ちゃんお婆ちゃんが迎えてくれる。自分はずっと物音をたてぬよう静かにその世界に足を踏み入れる。自分はそこにいるのだと、川のせせらぎにも、古いこの家にも、誰にも知られたくはないと思っていた。2人はお母さんと同じように、ささいなことでも厳しく怒るから苦手だった。何々しちゃいけないとか、大人の言うこと聞きなさいだとか。私にとっての話し相手になるとは思えていなかった。
「ちゃんと挨拶しなさい!」お母さんの声がする。
「嫌!」
そう、全てが嫌だった。ここには何もないからだ。
することがなくて暇になっても、家の周りには何もない。誰かと話をしたいと思っても、近くに友達なんていなかった。あれがしたい、これがしたい。頭に浮かんだことを何も叶えられやしない。
暇な時間。何もせずただ部屋でじっとしていると、古くて埃っぽい家の空気も私にとっては真空で、音のしない世界だった。押しつぶされてしまいそうな感じがする。落ち着かなくなって何かしなきゃと焦れば焦るほど、気を紛らわせるものが何もないことを思い知らされるようだった。
大きな荷物と一緒に預けられる。たびたび自分が反抗するから、その日、お母さんは不機嫌そうに車に乗り込み帰って行った。
夜、一人で布団に入る。自分のために引っ張り出されてきた客用の布団は生活感がなく、ひやりとした感触がした。眠りは訪れない。明日からお爺ちゃんお婆ちゃん、そして叔父さんと4人で生活することになる。暗闇の中で目を開けて、これから始まる長い長い時間をなるべく想像しないようにしてみる。
苦手な場所に一人きり。苦しくて身震いがした。田舎は楽しいものが何もない。一刻も早く実家に帰りたかった。この気持ちを誰かに理解してもらいたかった。でも、話ができる人は一人もいない。
急に何かが込み上げてきて、気づけば両目から涙がこぼれ落ちていた。張り詰めた気持ちが限界を迎えたみたいだった。自分が鼻をすする音がやけに大きく響く。どれだけ泣いても変わらない。何も変えられないことと分かっているから悲しさは大きくなっていった。
手の届く距離に心の空白を埋めてくれるものはない。ただ静けさがあるだけだった。
涙で滲んだ目に映る天井のあちこちに古い染みがある。長いあいだ人が暮らしてきた証拠だろう。どれだけ掃除をしても拭い落とせない。同じように、田舎という場所には、寂しくて退屈で不安な記憶が染みついている。理由もなく心をざわつかせるものがあった。
物心つくころから、何もない田舎が苦手だった。
幼少期、妹とともに。
木々の間から指す日の光が、足元の地面をまだらにする。ここにはアスファルトはなく、あるのはむき出しの草地ばかり。小さいころ、従兄弟たちとみんなでキャンプに行ったことも、よく記憶に残っている。
平らな地面に大人たちがテントを張って、子どもたちは駆け回って遊んでいる。その辺に落ちている小枝や葉っぱを拾い上げてみると、自然特有のざらついた感じがして、思わず手放した。
普段は触れることのない世界に囲まれている。旅行先がキャンプだと聞いたときは、正直あまり嬉しくなかった。とにかく何もない自然が嫌いでしょうがなかった。それでもみんなで遊ぶことができるのは楽しいものだった。
どれだけ時間が経ったかは分からない。さっきまで真上にあった太陽は、いつしか場所を変えていた。遠くの方から、親たちが呼ぶ声がする。気づけば遊び場の範囲は広がって、テントから離れてしまっていたようだった。
手についた土を払い、走り出す。そろそろご飯の時間かな。想像すると、少しの疲れと空腹を体は訴えた。
親たちに促され、次々とテントに入っていく従兄弟たち。彼らはおもむろに荷物をまさぐって、筆箱や本を取り出しているようだった。よくよく見ると、その手に持っているのは勉強道具だった。
何でそんなもの持ってきてるんだろう?繰り広げられるその光景に立ち尽くすだけの私。あたかも当然のような顔をして、みんなはテントの中で勉強しはじめる。さっきまで一緒に遊んでいたのに、急に大人しくなっている。というか、キャンプに来てまで勉強するの?目の前の光景に、頭の中にはいくつもの「?」が浮かんでいた。
そんなの全然楽しくない。もっとみんなで遊ぼうよ。
「えー、遊びたい」と、思わず言葉が口をついていた。「いや、●●ちゃんは勉強があるから」と、大人は即座にたしなめてくる。もやもやする。いらいらもしてくる。納得いかないけれど、みんなは勉強したいようだったから仕方ない。
真面目な従兄弟たち。4歳下の妹もそうだった。家でゲーム機を手に持って遊んでいると思っても、画面を覗くと漢字を勉強するゲームをやっていたりするからぎょっとしていた。
自分だけが何かが違っていた。どう考えても、キャンプに教科書を持ってこようとは思えない。何が楽しいんだろう?せっかくのキャンプを楽しめばいいのに。もっと遊びたいのに。
親たちが決めた「勉強の時間」が終わるまで、仕方なく自分は外で待っていることにした。一人でジュースを飲みながら、辺りの景色を目に映す。名前も知らない木や草花に興味はない。ぼーっとしていると、小さな虫が不意に視界に入って来て心臓が飛び出しそうになった。心の中のもやもやは大きくなる。なんか気持ち悪いし、ここには面白いものは何もない。暇な時間がただ過ぎて行く。自然なんて、別に好きでも何でもなかった。
父とともに。
キャンプに来ても勉強する。それがキャンプの当たり前であるくらい、家系は真面目で頭がいい人が多かった。親戚のおじさんも有名な大学を出ているらしかった。
でも、そんなに必死に勉強して何になるんだろう?親に言われて黙々と机に向かう従兄弟たちの姿を見ていると、何とも言えない気持ちになっていた。それが本当にやりたいことならいいけれど、少なくとも自分は違う。考えていると、なんだかますます勉強に対する違和感が湧いてくるようだった。
家族のあいだで勉強の話になると、いつも決まって居心地が悪くなる。「従兄弟の●●ちゃんは受験して、合格したんだって」。一人だけ勉強していない自分は遠くに置かれているようだった。直接何か言われることはないけれど、そこには明確な線が引かれているような感じがする。見えない力に押しつぶされて、自分の存在が小さくなっていく。息が詰まりそうだった。
「『私だけ勉強できないのかなぁ』っていう気持ちはずっとありました。だから自分は、友達とのつながりを大事にしようって思って。遊ぶのが好きだったかもしれないですね。友達と遊ぶのがすごい好きで、誘われたら絶対行くっていうのはずっとありましたね」
昔から両親に、心に素直に生きろと言われてきたからかもしれない。だから自分は、自分が大切にしたいものを大切にしたいと思うようになった。心通い合う友達とのつながり。時間を忘れるくらい夢中になれる遊び。退屈とは無縁の、いつも新鮮で心動かされるような世界を目にしていたい。
勉強の時間なんて、誰が決めたものなんだろう。具体的な理由や背景が分かるものならいいけれど、ただ説明もなく課されるものには納得できなかった。少なくとも勉強の時間に自分にとっての背景はない。
たとえば、算数の授業。誰かが発見したという円周率は理解できるけど、ただ「X=Y」という公式を当てはめろと言われても納得できない。そうなる理由を誰も教えてくれないから腑に落ちない。勉強だって、自分が必要だと思ったときにすればいいはずだ。
誰かが勝手に決めた方程式。みんながやっていることだから、やらなきゃいけない。
そんな理由で本当にやりたいことを制限されるには、勉強の外の世界はあまりにも刺激に満ちていた。
暇だし、イオン行こう。立ち上がれば行く先はいつも決まっていた。
イオンマリンピア店。千葉県千葉市の稲毛海岸という町にある。イオンを中心に周囲にはマンションが立ち並び、小学校も近くにある。友達もみんなその周りに住んでいて、運が良ければ、イオンに行くだけで友達に会えることもあるほどだった。
本当は携帯電話で連絡を取り合って待ち合わせできればよかったけれど、うちでは携帯電話を持つのは禁止されていた。友達はみんな買ってもらっているのに。「うちはうち、よそはよそ」。お母さんが言うことは全然腑に落ちていなかった。
家にいても、どうせお母さんに何か言われるだけだ。本当に口うるさい。逃げるように、家を飛び出した。小学校が終わると、そうして近所のイオンに一人で出かけて行くのが日課になっていた。
ほどなく歩けば、すぐに見慣れたピンクの看板が見えてくる。広い店内を進む足取りに迷いはない。目指す場所まで一直線。目をつぶってたって、たどり着ける自信はある。エスカレーターに乗りこんでは掴む手から伝わる高鳴り。売り場に近づいていくだけで、胸がどきどき高鳴るのが分かった。
遠目から見て、ハッとした。いつもの場所に新しい什器が置いてある。小走りに駆け込むと、新作の文房具が色とりどりに並べられていた。迷わず、手に取り、高まる鼓動を確かめる。新しいの出てるじゃん、買おう!
キラキラ輝くペン。可愛くて好きなキャラクターの消しゴム。今持っているシリーズとは何が違うんだろう。まじまじと隅から隅まで確かめる。まだ学校で持っている人は見ていないから、自分が一番に買えるかもしれない。気持ちが弾んできて抑えられない。真剣なまなざしで眺めているうちに、頭の中は目の前の文房具のことでいっぱいになっていた。
新作の中でも一番人気になりそうな商品をいくつか購入し、今日の戦利品とすることにした。「いいなぁ」と、みんなの羨ましがる顔が浮かんでくる。早く明日学校に持っていきたくて、体がうずうずした。
鉛筆、消しゴム、ノートや下敷き。小学生にとっては、ブランド物より何よりも価値がある。友達とお気に入りを見せ合えば、何より会話が盛り上がる。新しいもの、人気のものを持っていればなおさらだ。もっと正しくいえば、皆が欲しくなるけどみんなが持っていないものを手にすることこそが格別に心を弾ませる。ますます新作を追いかけるのが楽しくなって、足しげく売り場に通い詰めていた。
使えるお小遣いは限られているから、みんなに受けるものを選び抜く。そうして大切に集めた文房具は、一個一個が宝物だった。
小学校の授業中、水色の可愛いくまと目が合った。
思わず笑みがこぼれる。「ポンポネット」というお気に入りのブランドの筆箱。前日に、親に頼んで買ってもらった新品だった。つやつやと輝く筆箱にはメロンソーダの絵がついていて、触ると中に入っている液体の泡が動くようになっている。流行のシリーズだ。持っているだけで嬉しくて、さっきから何度も泡の動きを確かめる。
買ってもらえたことがあまりに嬉しかったから、周りの席の友達にもいつも以上に自慢してしまう。大切で大切で、ずっと見ていたいくらいだった。
休み時間が終わり、自分の机に戻る。また「ポンポネット」を眺める感覚を思い出してみる。
近づくと、嫌な予感がした。机の上からぽたぽたと水滴が垂れている。まさか、と思い、見たくない気持ちが動きを速くする。そこにあったのは、無残にもカッターで切り裂かれ、中の水が全て出された筆箱だった。
ほんの一瞬、目を離したすきの出来事だった。筆箱のメロンソーダは空瓶になっていた。
やったのは隣の席の男の子だとすぐに分かった。いつもちょっかいを出してくるあいつ。今回ばかりは本気で許せない。あまりの衝撃に、頭が沸騰したみたいだった。訳も分からず先生に言いつけた。謝ってくれないと絶対気が済まない!
担任の先生は、犯人である男の子とそのお母さんまで呼んでくれたらしい。その日は二人に頭を下げられた。大切なものを傷つけられて最悪な気分。ぐるぐるとお腹の中で、納まらない感情が渦を巻いていた。もう元に戻らない筆箱の姿が何度もフラッシュバックして、意識がそれ以外の情報を遮断しているみたいだった。
帰宅してお母さんに報告すると、さすがにかわいそうに思ったのか、代わりの筆箱を買ってくれることになった。今度は水が入っていない、ロールケーキの絵がついた筆箱だった。最初のものと同じくらい可愛い。新しい筆箱を手に見つめていると、胸の中にあたたかいものが流れ込んできた。大切にしよう。心からそう思った。
次の日学校に持っていく。今度は肌身離さず持っていることにした。
友達と話しているときも教室を移動するときも、少し席を離れる瞬間があればずっと抱いている。さすがにトイレにまでは持って行けないと思ったが、その油断が仇になった。
休み時間。トイレから戻ってくると、筆箱のチャックの部分がハサミで切られていた。思わずその場で泣き崩れる。大切なものを2度も傷つけられた悲しみ。それから犯人への怒りが強く湧いてきた。
今度も先生に言いつけると決めていた。でも、そうする前に犯人は特定しておきたかった。周りの友達に聞いてまわれば、すぐに分かった。一回目とは別の男の子だ。うざ過ぎる。どう考えても許せない。考えていると、気持ちはますます大きく膨らんでいく。
だから、今回は反撃することにした。私の気持ちはもう止められない。
犯人の男の子が席を離れたのを見計らい、持ち主のいない机に近づいた。机の上に置き去られた黒い筆箱。そこには、プーマのロゴと白いラインが入っている。同じ気持ちを味わえばいい。迷わず修正ペンを手に取った。振れば、ペンは無感動にカタカタと鳴る。そのまま筆箱の黒い部分を白く白く塗りぶしていった。
消えて見えなくなった筆箱の白いライン。真っ白な筆箱。もうプーマじゃない。これで良い。戻ってきた男の子が号泣するのを見ると、胸がすっとした。
先生には二人とも怒られた。親同士も学校に来て謝り合う。相手のお母さんは、お詫びにとお菓子をくれた。けっこういい人なのかもしれない。大人も巻き込んで、なんとか事件は和解する形で着地した。
帰り道。夕暮れの入道雲が大きく空に広がっていた。白とオレンジが混り合い、夕焼け空に溶け出している。熱気がゆるやかな風に運ばれてきて、肌にまとわりついた。
もうすぐ夏休みだ。
小学生でも誰にだって大切にしたい宝物があるけれど、当時の自分にとってそれは間違いなく文房具だった。文房具には、これ以上ないくらい夢中で追いかけたくなるものがあった。
新しくて流行っているもの。「それいいね!」と思ってもらえて、友達との楽しい会話が生まれていくもの。そういうものに触れていられることが、昔も今もずっと幸せだった。そして、自分の心が惹かれる気持ちの塊だから、それは何よりも真っ直ぐに守らないといけないものだと思っていた。
「中学では絶対に部活に入りなさい」。地元の中学校に入るとき、親にはこう言われていた。
やりたい部活なんて特になかったけれど、絶対であるその言葉には従うしかなかった。しぶしぶ考える。日焼けが嫌だから、外で運動するものはやりたくない。室内の活動で、ハードではなさそうな部活を探した結果、残った選択肢は卓球部だけだった。好きでもなんでもない。
部員は少ない。同期は5人。そのうち、真面目に練習する気がある子は一人しかいなかった(もちろん自分じゃない)。ただでさえやる気がないのに、先輩はことあるごとにミーティングを開いてくるから嫌いだった。「最近の1年生意識低くない?」とかなんだとか。面倒くさくなって遅刻を続けていたら、気づけばペナルティの校庭走り込みが100周分溜まっていた。
卓球に興味はないから、部活には行くのは苦痛でしょうがない。でも、サボって家に帰ればお母さんに怒られるのは目に見えていた。
仕方なく部活は休んだふりをして、毎日同期の友達4人で図書室に入り浸るようになった(残りの一人だけは、黙々と卓球の練習に励んでいた)。本を読むのは昔から好きだった。特に自分は、東野圭吾などミステリー小説にハマっていた。
「小学生のころから、親が毎月1冊本を買ってくれるっていうよく分からない制度があって。漫画と雑誌はダメだったんですけど、文庫本だったら買ってもらえたんです。最初は特に読みたくもなかったけど、買ってくれるなら読んでみるかくらいのテンションで読んでたら、東野圭吾にハマり(笑)。だから、先輩が卒業するまで図書室でずっと本を読んでたんです」
放課後は、友達と目が合うだけで通じ合う。「今日も図書室集合」。はなから部活はサボる気でいる。本当は体育館に足を向けなければいけないけれど迷わず図書室へと足は向かっていく。扉を開けた瞬間、本の匂いに包まれる。ここには読みたい本がたくさんある。
読みかけのミステリー小説のページを開く。続きが気になって、早く読みたくて仕方がなかったから、夢中でページをめくる。この本を読み終わったら、次に読みたい本は決まっている。だから、なおさら集中して文字を追っていた。
一緒にいた友達も本を読んだり漫画を描いたりと、各々好きなことに没頭している。誰にも邪魔されず、自由にやりたいことができる空間。時間は音もなく粛々と流れる。心地よく、いつまでだっていられそうだった。
居心地のいい一時は、しかし、突然終わりを告げる。あるときついに部活の顧問の先生に呼び出された。
ほとんどの生徒が帰宅し終わった夜の学校に、いつも一緒にサボっていたメンバーとその親たちが集められる。「やる気がないなら辞めて下さい」。先生は本気で怒っていたけれど、その姿はテレビの画面越しに見ているみたいに距離を感じた。たしかにサボっていたことは悪いけど、やりたくないものはどうしようもない。やりたくないことを強いられても夢中になれない。
でも、まぁ部活もあと1年くらいで終わる。中学2年の夏になっていた。
だったらもう少しだけ頑張るかと、そのあと友達と話し合った。その日を境に1人の友達は部活を去って、残りの3人で練習試合の日だけは参加するようになった。それでもやっぱり友達と図書室で本を読んでいるのが一番楽しい。それだけは、どうしても譲れない事実だった。
心がやりたいと思ったことをやるのが楽しい。やりたくないことを強いられても、夢中にはなれない。ただ誰かに言われたからというだけじゃ、何かをやる理由にはならなかった。
中学の友達とともに。
ちょっとしたことで舞い上がったり、反対に、眠れなくなるほど気にしたり。何をしていてもその人のことを考えてしまう。よくある片思い。中学3年のとき、クラスに大好きな人がいた。
かっこよくて人気者で、とにかく自分でも訳が分からないほど好きだった。それが、たった今クラスのみんなの前で告白してきた男の子の親友だった。「お前いいじゃーん」とか、憧れの人は横で呑気なことを言っている。まさにその人のことが自分は好きだったのに!
「付き合えばいい」だとか、好き放題言っている周りの声が次第に遠くなっていく。このままじゃ勘違いされる。呆然として、一人どうしようもない焦燥感に襲われていた。
自分の気持ちを誤解されたくない。だから次の日、同じようにみんなの前で好きだった彼を呼び出した。
「ちょっと裏来て」と、声をかける。わざとみんなにも聞こえるようにした。二人きりになってすぐ、単刀直入に想いを伝えた。沈黙が二人のあいだを支配する。しばらく間を置いて、「ちょっと考えさせてほしい」というようなことを彼は言った。
鼻の奥がつんとする。緊張が緩やかにほどけて、繊細な糸の上を渡っているようだった。不安定な足場から落ちれば最後、深くて悲しい絶望が待っている。
ともかく告白の返事としては煮え切らない感じがしたけれど、可能性がなくなったわけじゃない。気を取り直して、返事を待とうと決めた。考えてくれるんだから待てばいい。変わらず毎日メールのやり取りを続けることにした。
当たり障りのない会話。でも、一通一通適当に返せるものなんてない。数日が数十日のように過ぎたころ。結局、欲しかった答えは返ってこなかった。
気持ちをぶつけてみたけどだめだった。周りの友達に振られたことを打ち明ける。みんなは優しく話を聞いて、一緒に悲しみ慰めてくれた。困ったときは何でも相談に乗ってくれる。こちらの思いを理解して、思ったことを率直に伝えてくれる。そんな面倒見がいい友達が多かったから、いつも助けられていた。
冷たく乾いた風が肌を叩いて、吹き抜けていく。卒業の季節が近づいていた。
もうすぐ高校生だ。それぞれみんな別々の学校に通うことになる。もちろん好きだったあの人もそうだった。というより、気持ちはまだ過去のものになってはいなかった。当たり前に顔を見ることができる日々が終わってしまったあと、この気持ちはどうなるんだろう。考えると、無意識に溜息がこぼれた。
「今じゃない」。あの時ぶつけた気持ちもはぐらかされたようではっきりとフラれたわけでもなかったことを思い返す。それもなんだか煮え切らない。そのまま中途半端にしたって、もう卒業じゃん。思いはもやもやと心の中に立ち込める。
一人で抱えきれなくて、仲の良い友達に話してみた。「まだいけるんじゃない?」。そう言われてみると、本当にそうなのかもしれないと思えてくるから不思議だった。勇気が湧いてくる。もしかしたら希望があるのかもしれない。それに、この前告白したときは、自分の気持ちを伝えきれなかったのかもしれない。
少なくとも、自分はまだ納得できる答えはもらっていない。それだけは確かなことだった。
2月14日。バレンタインの日にかこつけて、もう一度告白をした。
心が好きと言ってるから仕方ない。「当たって砕けろ」って、きっとこういうことを言うんだろう。一回振られているから失うものもない。思い切って、もう一度チャレンジしてみることにした。
「まだ付き合いたくない」
それってダメってこと?それとも可能性があるのかな?やっぱりよく分からない返事だった。腑に落ちない。でも、そう言わてしまうなら仕方ないのかな……。
消化不良みたいに、何とも言えないすっきりしない感覚が残った。
やっぱり腑に落ちない。
3度目の告白は、中学を卒業してすぐ。まだあきらめきれなかったから、気持ちを手紙に書いて手渡した。でも、ダメだった。それでやっと、あきらめるしかないと思った。
もしも一度目の告白ではっきり断られていたら、それであきらめていただろう。でも、そうじゃなかったからあきらめきれなかった。自分なりに納得いく答えが欲しかった。
心が好きだと言っていた。自分の心が本気で望むなら、それは簡単にあきらめたりしていいものではないはずだった。
日ごと目まぐるしく変化して、いくつもの流行が生まれては消えていく。見たこともない新しい世界が身の回りにたくさんあって、やりたいと思ったらすぐに実現できる。広くて刺激的で、いつまでも飽きることがない。そんな世界に身を置いていたい。
小さいころ家族で遊びに行った東京には、まさにそれがあった。イベントや博物館、ショッピング。何でもあって、何でもできる場所だと知っていた。
反対に、地元には閉鎖感がある。何年経っても変わり映えのしない景色。変わらない顔ぶれ。テレビや雑誌で目にする東京はキラキラと輝いていて、もっと自分の想像を超える広い世界が待っているのだと教えてくれているようだった。
なのに、みんなは今目の前にある世界で満足しているみたいに見える。もっと大きいことを知りたくないのかな。なんでそんなに狭い視野でいるんだろう。大切にしたい友達はたくさんいるけれど、辟易とする場所。自分がこのまま地元でしか生きていけなくなるのは許せない。東京に出て、視野を広げたい。
だから、高校生になったら絶対に東京の学校に通いたかった。
お母さんに相談する。あえなく反対。「何々したい」と言えば、「それはダメ」と返ってくる。うんざりするほど繰り返した、いつものお決まりだった。
東京がダメなら、ほかに行きたい高校なんてあるのかな。納得いかないまま、高校の紹介冊子をぱらぱらと眺めた。すると、一つのページが目に留まる。
「東京学館浦安高等学校」。川を越えれば東京という、ぎりぎり千葉県内に位置する私立高校だった。何より目を引いたのは、とびきり可愛い制服だ。ダークグレーを基調としたブレザーに、チェックのスカート。真っ白な指定のカーディガン。紺色のネクタイにはピンクのラインが入っている。
上品で可愛いその制服に身を包み、高校生になった自分をイメージしてみる。うん、良い感じ。
こんな高校、千葉にはほかにない。迷わず受験を決めていた。
幸いにも推薦入試で合格することができたので、高校受験の苦労は最小限で済むことになった。4月。指定の制服を買いそろえ、待ちに待った高校生活が始まった。
都心からほど近く、校舎の窓からは東京ディズニーリゾートの遠景を臨むことができる。学校のすぐ隣には、大学やイトーヨーカドー、公園などがあり街は賑やかだ。
放課後は、駅前のTSUTAYAにみんなで寄って映画のDVDを借りてくる。近くに友達が住んでいて、その子の大きな家にみんなで集まっては、ご飯やお菓子を食べながら映画をたくさん見た。みんなでハマったモンストは、一日中やっていても飽きなかった。バイトをしてお金を貯めて、友達と遊んだりご飯に行った。
自由に遊べる範囲と選択肢が広がっていくのは楽しくて、高校生活は充実していた。
「何かしたいと思ったときに何でもできる場所だったので、楽しかったですね。友達もフッ軽だったので、誘ったらすぐ行こみたいな。電車乗ってららぽーとに行ったり、都内だったらみんなで原宿行ってショッピングしたり。イツメンが6人いて、呼んだらみんなすぐ来るし、夜でもすぐ遊べる感じでした」
実家にいても楽しいことはないけれど、友達にLINEをすればすぐに繋がれる。
「今ひま?」
「私もひま」
「これから会お」
「会お」
数分のやり取りで、遊ぶ約束は済む。電車に乗って20分。ほどなくすれば友達の家に着いている。話の種は不思議と尽きない。時間を忘れて話すうち、気づけば夜が深く沈んでいたことも一度や二度じゃなかった。
特にイツメンの6人は、思ったことを何でも本音で言い合える関係だった。悪いところがあれば指摘しあうし、言い方が気に食わなければお互い謝りあう。包み隠すことのない関係は心地よく、日々の生活をますます色鮮やかにした。
やっぱり都会は楽しい。思った通りの世界が待っていた。
自分の視野を広げたい。もっと広い世界へ行ってみたい。自分の気持ちにしたがって飛び出した先の世界、毎日は新鮮な刺激に満ちていて、伸ばしたことのない自分の羽が広がっていくみたいだった。
高校の友達とともに。
先生にテストを返却される。「次も頑張ってね」という言葉と、笑顔つきで。
席に戻ると、周りから好奇の目が集まる。「何点だった?」と聞かれて、自信をもって結果を見せた。感嘆の声。嬉しいけれど、なんだか変な気分もする。
今回もクラスで一番だった。おそらく学校全体のレベルがそんなに高くないからだ。たいして勉強していたわけではないけれど、高校のテストではいつもたいていクラスで一番だった。良い結果を出すたび先生は褒めてくれる。期待されると、次も期待に応えたくなって頑張ろうと思ってしまう。正のループにハマって、日々しっかりといい成績を残すことができていた(といっても一夜漬けの勉強ではあったけど)。
勉強は自分がやりたいと思ったときにやればいい。昔からそう思ってきた。だから逆に、自分が必要だと思ったタイミングでは、しっかり勉強してきたつもりだった。おかげで高校も推薦合格できたし、大学も指定校推薦が取れそうだった。
大学受験。
誰もが通る共通の関門が近づくにつれ、クラスの雰囲気も少しずつ変わってきたようだった。テストの結果に悲喜こもごもの教室を見て思う。勉強に興味がなかった人でも、少なからず点数を気にせざるを得なくなってくる。
予備校に通う人。放課後、図書室で自習しだす人。気づくといつの間にか友達の行動が変わっていた。
友達とみんなで話していても、自然と勉強のことが話題に上る。あの大学の偏差値はどのくらいらしい。過去問はこうだから、ここを勉強した方がいい。あの学部の倍率は。模試の合格判定は。誰々はどこの大学を目指していて、一日どれくらい勉強しているらしいとか、そんなつまらない話が増えてきた。
「受験だから」勉強する。「受験だから」遊べない。「受験だから」、「受験だから」、「受験だから」……。枕詞はいつも同じ。うんざりするくらい。でも、それってみんなやりたくてやってるの?将来やりたいことがあって、そのために大学に行く人なんて、実際どれくらいいるんだろう?
先生や親も当たり前のようにやるべきことだと課してきて、みんなはそれに抗いもせず従っている。誰かに決められたやるべきことを、自分のやるべきことだと思い込んでいる。
やりたくてやってる訳でもないのに、何でそんなに必死になれるんだろう?真面目に受験勉強に励む同級生を見ていると、違和感が尽きなかった。
「みんながやってるから自分もやるのが嫌いだった、昔から。自分だけやってないと怒られるじゃないですか。でも、それって違うんじゃないかと思ってて。みんながやってるから自分もやらなきゃなの?やらなきゃいけないわけじゃないよな別に、と思っちゃう」
みんながやるからという理由で勉強したくない。そんなもの自分がやる理由にはならない。もっと勉強すれば、指定校よりも上の大学に行けるかもしれない。でも、妥協でも合格できさえすればいい。私には勉強をする理由はないから。みんなが少しでも高みを目指そうとするなかで、自分は指定校推薦で入れるところに入れればいいと思っていた。
逆に、何で指定校推薦じゃダメなんだろう?
やりたいこともないし、将来のビジョンも見えていない。そんな状態でどこの大学に行ったって同じだろうと思えた。だから無理なく進学できる選択肢にしよう。そう考えて、日本大学の法学部を選ぶことにした。法律を覚えていたらかっこいいかな。法学部にした決め手はそれくらいだった。
もっと広い世界に出ていけば何かが見つかるかもしれない。視野を広げて、知らなかったことを知っていけばいい。
とにかく大学は、東京にある。
授業が終わった。大学の教室で、後輩に声をかけられた。
たまたま同じ授業を取っていたことがきっかけで、仲良くなった男の子。彼は日大法学部の学部祭である法桜祭の実行委員をやっていて、最近は準備で忙しそうだった。
「先輩、ミスコン出てくださいよ」
ミスコン?そう言えば、そんなものがあったんだ。存在は認識していたけれど、他人事としか思っていなかったものだった。ミスコンに出て、何をするのかはよく分からない。でも、誘ってくれた後輩と話していると、なんだかふと根拠のない自信が湧いてきた。
自分ならいける気がする。それにたぶん、就職活動にも役に立つのかもしれない。
「いいよ」
二つ返事で出場を決めた。大学3年の7月、夏が匂い立ちはじめたころのことだった。
いざ出場するとなると、専用のSNSアカウントを作ることになった。本名を登録し、写真を選ぶ。InstagramとTwitterに、記念すべき1回目の投稿をした。「エントリーNo.2 末永春菜」。画面に映る自分の名前を見ていると、今になって実感が湧いてきたのか心臓がドキドキしてきた。そうだ、ミスコンに出るんだ。
SNSの投稿は、すぐみんなに知れ渡る。何人かの友達は連絡をくれた。驚かれたり、応援されたり。さまざまな反応が返ってきて、順番に返事をしていった。
自分を含めた出場者は5人いる。コンテストのホームページに並んだ自分の顔写真を見て、これからの数か月を想像した。
もし、ひどい結果になったらどうしよう?
急に、首を絞められたような恐怖に襲われた。こんなに周りに知られて、もしも負けたら恥ずかしい思いをする。当たり前のその事実に今更気がついて、冷や汗が出た。
それは絶対いやだ。負けたくない。というか、頑張るしかない。
気持ちは走り出してから追いかけてくる。心の中に一つ、火がついた。ついた火は真っ直ぐに立ち上がり、燃え尽きるまで消えない方だった。
目標もなく気楽に過ごしていた大学生活が一変した。
ミスコンは純粋な人気や可愛さだけの勝負じゃない。いかに多くの人に知ってもらい、応援してもらえるようなキャラクターを印象付けるか。SNSでのブランディング力が問われるものだった。
まず、できるだけ多く投稿できるようにと、毎日必死にネタを探すようになった。それから自撮りをアップするのも欠かせない。表情や見られ方には今まで以上に気を遣うようになり、スマートフォンの画像フォルダは試行錯誤の写真であっという間に埋まっていった。写真の加工にはいくつものアプリを梯子して、一番いいフィルターを選び抜く。
たった一つの投稿に、こんなにも労力がかかる。でも、時間と努力を注いだ結果、良い反応が返ってくると、全てが吹き飛ぶくらいたまらなく嬉しい気持ちになった。
もっとできる。もっと頑張ろう。もっと「いいね」を集められるはず。褒められるとさらにやる気になって、ますます自分が貪欲になっていく。できることを全部やらなければ気が済まない。
Twitterでは、知らないおじさんからのリプライも一つ一つきちんと返す。Instagramでは、友達の友達を辿ってインスタグラマーの女の子と友達になっていき、ストーリーで告知の協力をしてもらった。
華やかな投稿の裏には、想像もつかない努力が隠れている。初めて真面目にSNSと向き合ってみて、学ぶことはたくさんあった。
10月。コンテスト本番が近づき、準備も大詰めだった。
勝敗を決める投票は2種類。事前に毎日一人一回投票できるネット票と、会場で投票が行われる当日票だった。当日票を集めるためには、一人でも多くの応援がいる。LINEにいる友達に、一人一人メッセージを送っていった。
すぐに快い返事をくれる友達もいて、思わず胸があたたかくなる。感謝の気持ち。一人で頑張ってるわけじゃない。自分がいろいろな人に支えられていることを実感できた。
当日。
会場のステージに立つのは、今までにない特別な気分だった。歩くたび身にまとうウェディングドレスが揺れて、白くて柔らかい軌跡を描いている。
息を詰める。発表の声を待つ自分。一瞬が遠くなる。
結果は、準グランプリ。
もらった賞状を笑顔で掲げる。涙が出そうなくらい悔しかった。
ステージでスポットライトの光を浴びながら、駆け抜けた数か月の思い出が走馬灯のように駆け巡る。
行動した結果、新しい世界に触れられた。新しい自分と出会えた。結果は悔しいものだったけど、それは自信にも変わる確かなことだった。
2017年10月、結果発表が行われたフェニックスコンテストにて。
自分は将来、何をしているんだろう。何の仕事をして、どんな大人になっているんだろう。想像しようとしても、自分の将来像はうまく描くことができない。
ミスコンをきっかけに、初めて将来のことをぼんやりとだが考えはじめた。
目前には、就職活動の時期が迫っていた。
大学でも黒いリクルートスーツ姿を頻繁に見かけるようになっていた。いつもの通り、みんながやる気になりはじめると、自分はやりたくなくなってくる。気怠く就活サイトを開いては、また閉じる。今度こそ頑張ろう!そう思っても、指は勝手にSNSを開いていたりする。
無意味な時間が過ぎていく。やらなければいけないと頭では分かっていても、体が全然ついてこない。しぶしぶ重い腰を上げたのは、見かねた親や彼氏から何度もうるさく言われるようになってからだった。
やりたいことは見つかっていないけど、とにかく就職はしないといけない。
なんとなく良さそうに見えたIT系を中心に、無難そうな会社を見て回った。ダサいリクルートスーツに身を包み、説明会会場へと向かう黒い就活生の波に紛れ込む。企業理念?事業の展望?人事が語る会社の未来は、どれもピンと来なかった。
最初はサイバーエージェントを受けた。面接も兼ねたグループワーク。机に座るメンバーで自己紹介をすると、目の前には東大生。いきなり自信がなくなってきた。はじまると、東大生はすごい勢いでよく分からないことを喋りだした。それに追随するように、横から早稲田と京大が口を出してくる。言葉にならない。どうやら話は何か建設的な方向に進んでいるらしかった。
いきなりの挫折。早くも心が折れそうだった。
その後もいくつか会社を受けて、失望と落胆を繰り返した。正直ミスコンに出場した実績は、何の役にも立たなかった。
やっぱり問題は、やりたいことが見つかっていないことなんだろうか。まだ手の中に無い何か。それさえあれば、自分は息をするように行動できるし、夢中になれるような気がしていた。
でも、それは今ここにない。
それでも面接を繰り返すうち、いくつかのIT系ベンチャーから内定をもらうことができた。
良かったと安堵したのも束の間、内定者インターンというものがあると言われる。オフィスに学生が集められ、説明を受ける。「インターンと言っても定時に帰れます」。なんだか緩そうだったので、特に身構えず参加した。
初日の夜。社員からは、パソコンを持ち帰って、課題の残りを家でやるように言い渡された。
なんで?話が違う!
そんなこと聞いていなかったから、全然納得できなかった。不信感が募って仕方がない。きちんと説明してほしかった。この会社で働いていけるかなと、考えてしまう。いや、やっぱり無理だ。悩んだ末、結局その会社の内定は辞退することにした。
2社目の内定先でのインターンは、ひたすら5時間のテレアポだった。でも、これがどうしても頑張れない。極めつけは、長野県での内定者合宿。自分は田舎には行けない。我慢できそうになくて、ここでも辞退を選んでしまった。
インターンを重ねるごとに、自分はどの会社に行っても納得できないんだと思い知らされる。自信がすり減っていき、焦燥に駆られていた。
「結局、頑張れなくて辞めちゃって。でも、よくよく考えてみると、自分は結局どの企業に行っても企業理念に共感できてなくて。社長に企業理念を言われるのは分かるけど、だいたい就活で話してるのはその下の人、新卒一年目の社員とかじゃないですか。新卒一年目なのに、さも自分が作りましたみたいに言われても、お前は共感してるだけだろって、意味が分からないなと思っちゃって。そんなの植え付けられた共感じゃないですか。作った人に言われないと、それに対して共感できなかったんです」
こちらも信じて会社に入るからには、企業理念の具体的な背景から共感できなければついていけない。第三者に綺麗な言葉を並べられても、そこにはリアリティも説得力もないと思っていた。
とはいえ、自分は結局どうしたいんだろう。せっかくもらった内定も辞退してしまった。でも、自分の気持ちに嘘はつけなかった。悩んでも答えは見つからない。まるで出口のない迷路に迷い込んでしまったようだった。
もうやめたい……。
どうすればいいのか分からなくて、就職活動でお世話になったDiG株式会社(https://diginc.jp/)の代表取締役 守岡一平に相談した。それまで内定をもらった会社も全て、守岡さんが紹介してくれたものだった。うまくいかない自分の現状を話していると、涙がとめどなく流れた。
「お前はたぶんどこ行っても無理だよ」
そうだ、本当にそうだ。言われなくたって分かっている紛れもない事実。
「……だから、自分でやんな」
何かと何かが繋がる感覚。たしかに。言われたその瞬間、自分の中にただ一つの明確な答えがはじき出されたのが分かった。
自分はどこに就職しても、どうせ3か月も続かない。だったら自分の好きなこと、やりたいことを追いかけたい。誰かが作った理念に無理やり共感するんじゃなくて、自分自身の理念を作りたい。自分で会社をやりたい。というか、やるしかない。
「はい」
間を置かずに応えていた。迷うことのない道がそこにある。起業して何をやるかなんて今はどうだっていい。そこから考えはじめればいいことだった。
じゃあ、何の事業を始めよう。就職という制約を取り払うと、好きなこと、やりたいことを自由に思い描くことができる。
これまで自分がやってきたことを思い返してみる。
ミスコンに出た。SNSのおかげで準ミスが取れた。インフルエンサーの友達もたくさんできた。写真を撮ったり加工したりして、自分の思うようにアカウントの世界観を作っていくことが好きだった。やりたいと思ったことを重ねて叶えていく、その過程に何より自分の満足がある気がした。どうせなら、今までやってきたことを活かせたらいいな。
SNSやインフルエンサー。それらを使ったマーケティング、ブランディング。
考えてみれば、候補はほかにない。本当にやりたかったことはこれと決まっていたのに、別の世界を見てばかりいたから就活はうまくいかなかったのかもしれないと思える。
新しい流行に触れられる。自分が何より大好きな世界がそこにある。そうだ、インフルエンサー事業をやろう。就職活動をしていたときとは全然違う。今度は、迷いは生まれてこなかった。
守岡さんに手伝ってもらいながら、会社を作るために必要な準備を整えていく。
「会社名を決めなきゃね」
そうだ、起業するなら社名がなくては話にならない。家に帰って、考えてみる。
みんなに知られる知名度の高い会社にしたいから、一回聞いたら覚えてくれるような名前がよさそうだ。人伝えにも伝達してもらえそうなインパクトのある名前。
事業との繋がりでいうと、なんとなくインフルエンサーの「フル」は使いたい。それから何より大切にしたいこと、自分の心が満たされる、あの瞬間……きゅん♡。
「きゅんとふる」
インフルエンサーを使った事業で、人々をきゅんとさせていきたい。二つを掛け合わせたその言葉が、直感でしっくりきた。そう、これだ。心が求めていたのはこれだった。
答えはいつも、自分の心の内側にある。
2019年6月、大学を卒業して3か月後。株式会社きゅんとふるを設立した。
大学の卒業式にて。
心が求めるものに妥協せず、一途に行動してきた結果、思いは会社という形となった。自由にやりたいことを社会に価値あるものへと練り上げていく。その事業は、スタートしたばかりだ。
「世の中の人、全ての人をきゅんとさせるようなものを今後生み出していきたいですね。新しい『きゅん』を生むためには、流行の最先端をきゅんとふる自体が取り入れていく。自分たちがインフルエンサー活動をしているので、そこでいち早くこれから売れるものとかを目にして、事業に繋げていきたいと思います」
現在、きゅんとふるに所属するインフルエンサーは約100人。SNSの延べフォロワー数は160万人にも及ぶ。そのほとんどは末永と取締役の浅川が友人に声をかけ、集められたメンバーだ。今後は、さらにインフルエンサーの輪を広げていく。
「きゅんとふるに所属してる女の子たちが、『きゅんとふるに所属してるんだ』っていうブランド感を感じられるようにしたい。インフルエンサーの子って、どこどこ所属とかあんまりこだわってないんですよ、別に案件がもらえれば。そうじゃなく、たとえば『ホリプロに所属してるから石原さとみは売れたんだ』と思われるような、特別感のあるブランドにしていきたいと思います」
まずはインフルエンサー事業から始まり、きゅんとふる自体がブランドとなっていく。カフェなどの他業種や、ブランドとのコラボを実現させる。それにより、まだ見ぬ面白いことを創造していく。
最先端の流行と、多くの人の心を沸き立たせるような何かがここにある。そんな存在として認知されるようにするためにも、自分が出会い面白いと思うことには視野を広くもっていきたいと末永は語る。
もっと新しく、刺激的で、心をときめかせてくれるような魅力的なもの。万人の心を満たすもの。全ての人の「きゅん」が満たされている未来の社会を、きゅんとふるは真っ直ぐに追求しつづけていく。
この先の人生ともに歩んでいく、自分自身と切っても切れない関係にあるもの。同時に、自ら手をかけ成長させていくものであるという意味においても、会社は子どものような存在であると語る末永。
「全ての人のきゅん♡を満たしたい」。企業理念は、取締役であり大切な友人でもある浅川舞とともに二人で考えた。だからこそ、嘘偽りなく、心から共感できるものとなった。
大学時代、バイト先の同僚だった浅川。その後、偶然別のバイト先でも再会を果たして以来、気の置けない友人として関係を築いてきた。
会社を設立し、取締役として自分とともに働いてくれる社員を探すことになったときも、迷わず声をかけていた。ほかに適任は浮かばなかった。浅川もまた、ためらわず誘いに応えてくれた。
「今は主に舞ちゃん(浅川)と二人でやっているので、お互い包み隠さず何でも話せる環境でありたいと思います。こまめに連絡を取って、悩んでることがあったら相談できるように。二人で意思疎通できていなかったら、会社自体の質も上がらないし。舞ちゃんが思ってることに共感していられるようでありたい」
たとえば、洋服を買うとき。昔は人に意見されても頑固になって聞かなかった。自分の感性がぶれるのがカッコ悪いと思っていたこともある。しかし、起業を経た今では、他人のアドバイスを積極的に受け入れるようになった。
もしも他者視点から見ても良いと思ってもらえるならば、自分の感性が正しかったと確認できる。逆に自分と違う意見なら、受け入れる。特に経営においては、お互いの意見が合致したものを選びたいと考えるようになった。
「事業は自分だけのものじゃないので、自分と他人、総合的に一番いいところを取り入れることを大事にしたいと思います。昔よりも今の方が、いろんな人に支えられている実感があるから聞こうと思えるのかな。会社を立ち上げるにあたって、自分一人の力じゃなくみんなの力を借りたので、そういう人たちに恩返しもしていきたいです」
ともに働く社員とは、好きなものや良いと思うものを共有しあう。率直に意見を言い合える環境を大切にすることで、互いの意見を尊重し、高め合っていけるようにする。
それにより、「きゅんとふるにいて良かった」「きゅんとふるにいるから頑張れる」と思ってもらえるような会社づくりをしていく。
心から共感してくれる社員とともに、きゅんとふるは大切な思いを守りつづける。
2019.08.16
文・引田有佳/Focus On編集部
諦めはどこでつけるべきか?
面白くなければ辞めるべきか?できる可能性が低そうであれば諦めるべきか?
現代は、オルタナティブが沢山ある。友達と遊ぶという行為をとったとしても、学校の友達、バイト先、インターネット上、さまざまな交友関係の中から選択ができるようになっている。仕事、趣味、家庭……あらゆる行為にいくつもの選択肢が存在している。
だから、置かれた場所でどうにかやっていく必然性に迫られることもない。何か困れば、別の道はすぐ傍に用意されているのである。
選択肢は幾らでもある。そうであるならば、壁が目の前に立ちはだかったとき、その壁を越えるべき理由などどこにあるだろう。諦めて別の道を選んだらいい。その壁を越えられなくたって、結果に納得できなくたって、ほかの道はどこかにある。
納得しないと気が済まない。ともすれば、しつこく諦めが悪いと人から言われるやもしれぬ末永氏の姿には、壁に立ち向かうべき理由の存在を感じずにはいられない。
納得の概念の2つ目の特性として,能動的に生じる特性があるといえる。
(中略)
能動的にかかわることでその状況に主体が関与することになる。そして,状況に【自己関与】することで自分の【価値観】や【相対的利益】がそこに加わる。その人の意図があり,意思があってはじめて達成できるものであり,つまり能動性がなければ,【理解の深化】にもつながらないと考える。このことから,納得には自身の意思力の表れでもある能動的な特性があることが示唆された。
(中略)
最後に,帰結として【実行力の推進】が示されており,納得は主導性を支える重要な要素になると考えられた。
―徳島大学 大学院ヘルスバイオサイエンス研究部准教授 今井 芳枝, 同名誉教授 雄西 智恵美, 同助教 板東 孝枝
諦めはどこでつけるべきか?答えは、自分が納得するまでやることだ。納得するまでやるから、その過程において、得たいと思っていた何かを理解でき、主体的実行力を獲得し、さらには具現化していくことさえあるかもしれない。
壁を越えられたか、そうでないかは関係ない。選択した道に立ちはだかった壁に、納得するまで向かい合ったかどうか。ここに自己の進化が存在するのである。
しつこく諦めが悪い。納得するまで、辞めない。
そんな生き方は、ときに社会と自己の調整に戸惑う瞬間も生まれ得るだろう。しかし、納得するまでやるからこそ、自分がそこに存在するようになり、理解は深まる。自分にとって、意味のあるものとなる。
壁を越えるべき理由は外にはない。自分の中にある。それ以上でも以下でもない。ただ壁に納得するまで向かい合うということ。そこにこそ自分が存在し、自分が形づくられていくのだろう。
文・石川翔太/Focus On編集部
※参考
今井芳枝・雄西智恵美・板東孝枝(2016)「納得の概念分析─ 国内文献レビュー ─」,『日本看護研究学会雑誌』39(2),pp.2_73-2_85,日本看護研究学会,< https://doi.org/10.15065/jjsnr.20151214008 >(参照2019-8-15).
株式会社きゅんとふる 末永春菜
代表取締役
1997年生まれ。千葉県出身。日本大学法学部在学中は、2017年ミスコン準グランプリに選出される。大学卒業後、2019年6月に株式会社きゅんとふるを起業。全ての人のきゅん♡を満たすべく、SNSマーケティング、キャスティング関連事業を展開している。