Focus On
井関大介
株式会社ベストコ  
代表取締役社長
メールアドレスで登録
orともに熱く歩める人が多いほど、大きな可能性を描ける。
「未来の不安に、まだない答えを。」というミッションを掲げ、お金の不安を解消する、これまでにない方法を創出していくファンズ株式会社。同社が提供する固定利回りの資産運用サービス「Funds(ファンズ)」では、上場企業などに対し個人が1円から資金を貸し出し投資ができる。値動きがないため投資初心者でも始めやすく、運用の負担もない。手軽でローリスクな資産運用の選択肢として浸透し、累計の利益分配金は10億円*を突破した(*2024年末時点)。
代表取締役の藤田雄一郎は、早稲田大学商学部を卒業後、株式会社サイバーエージェントへ入社。2007年にWeb構築、マーケティング支援事業を行う企業を創業し、上場企業へと売却。2013年、大手融資型クラウドファンディング(ソーシャルレンディング)サービスの立ち上げに経営メンバーとして参画したのち、2016年11月にファンズ株式会社(旧 株式会社クラウドポート)を創業した。同氏が語る「道を開くレバレッジの思考」とは。
目次
どんな人でも安心して投資ができる資産運用の選択肢を提供し、同時に資金を必要とする企業には新しい調達の選択肢を提供する。そうして新しいお金の流れを生み出すことを、スタートアップらしい柔軟な発想やテクノロジーにより実現したかったと藤田は語る。
「上場企業など皆さんが知っているような会社さんに対して、個人のお金を貸し出せるプラットフォームがあれば新しい資産運用の選択肢になる。今、日本では約1,000兆円のお金が個人の金融資産として滞留していると言われていて、このお金をこれからの社会を担う成長企業に流していくことができればと思っています」
同社が提供する資産運用サービス「Funds(ファンズ)」は、上場企業を中心とする企業に対し、お金を間接的に貸し出す形で投資ができる貸付投資サービスだ。「利回り」と「運用期間」はあらかじめ決まっているため、投資後は日々の相場変動を気にする必要もなく、ただ分配金という形で利益が出るのを待つだけでいい。
インターネット上で「資産を運用したい人」と「お金を借りたい企業」を結びつける、いわゆるソーシャルレンディング*として位置づけられる同サービスは、従来ハイリスク・ハイリターン型の商品が主流だった市場において、新しくローリスク・ミドルリターン型の資産運用の選択肢を創出すべく作られたという(*お金を貸したい個人と、お金を借りたい企業を、インターネットを介して結びつける融資プラットフォームサービスのこと)。
「とにかくシンプルな金融商品を作りたかった。最初から運用期間も利回りも決まっていて、あとは値動きの不安もなく待つだけ。投資先も誰もが知っているような上場企業が中心なので安心できる。これぐらいシンプルな金融商品だったら誰でもできるだろうと思って、サービスを提供しています。この商品性はおそらく日本人にも合っているだろうなと思っていて、実際に投資してくださった方からの満足度もとても高いですね」
欧米に比べて投資や資産運用に馴染みの薄い日本人でも、高いハードルを感じずに始められるシンプルなサービス設計。従来の複雑でリスキーなイメージを払しょくすることで、より多くの人に資産運用を体験してもらう。それにより同社では、年々高まるお金の不安を解消していこうとする。
「現在は12万人以上の投資家さんが登録してくださっているのですが、本当は100倍ぐらいの規模感があってもおかしくない。そう考えると、まだまだサービスのポテンシャルに対して認知度が足りていない状況だと思っていますし、裏を返せば非常に大きな成長ポテンシャルがあると思っています」
まだまだ未開拓な日本の金融領域で、「Funds」は新たな潮流を生み出すプラットフォームでありつづける。
「未来の不安に、まだない答えを。」というミッションの通り、世の中にはびこるさまざまな不安を解消していくことを目指す同社にとって、「Funds」はその第一歩である。既存事業のアセットを活用しながら事業領域を拡張させていく。
2023年11月、100%子会社として設立されたFunds Startups株式会社もその一つだ。
「『Funds』では上場企業を中心に投資先としていますが、当然ながら上場前のスタートアップも資金需要は旺盛なので、そこに対して新しいファイナンスの手段として金融機関共同研究型の『ベンチャーデット*』を提供しています。これは個人にはまだリスクが高いので、機関投資家のお金を集めて運営しているのですけれども、もともと『Funds』があったからこそできている事業ですね(*転換社債や新株予約権付融資などエクイティ(資本)とデット(負債)双方の性質を備えた金融商品の総称)」
ベンチャーデットを提供することにより、レイターステージから上場後までのファイナンスを一気通貫で支援する。グループ全体で複数キャッシュポイントを作り、より大きな利益を確保していく戦略だ。
ほかにも「Funds」の認知度向上に大きく貢献したSNSに着目し、新たに生まれた事業が「ファンズ不動産」である。これまで不動産物件と出会うにはポータルサイトを見たり、不動産会社に足を運んで提案してもらうしか方法がなかったが、SNS上ではもっとエモーショナルな情報とともに不動産を探すことができるという。
「不動産のポータルサイトは情報としてはきれいに整備されているのですが、間取りや金額、設備など基本はスペック情報だと思っていて。でも、不動産って本当はもっといろいろな側面があって、実際住んだらどういうフィーリングが得られるのかとか、周りにどんな施設があってどういうライフスタイルが合っているのかとか、もう少し感情的なものなんじゃないかなと。家を購入するってすごくワクワクする体験だと思いますし、もっと理想的な物件情報の見せ方があるんじゃないかと考えているんです」
ただ物件の魅力やエモーショナルな部分を強調するのではなく、客観的に見たデメリットもインフルエンサー目線で伝えていく。あわせて不動産を購入する際に持っておくべき知識や視点も届けることで、今より多様な家の買い方が実現できるようになる。
食事をする場所や旅行先をSNSで調べたりするように、SNSで不動産を調べて買うという消費行動を社会で一般的なものにする。そんな風に、世の中に今ない仕組みを生み出していくことこそがファンズの存在意義であると藤田は語る。
「資産運用と言えば値段が上がったり下がったりしてドキドキするものだよね、損をしたり得をしたりするものだよねという価値観に対して、それだけではない金融商品もあると提案したり。もっとエモーショナルに多様な観点から不動産を選べる選択肢があってもいいよねということでSNS×不動産を提案したり。まだない答えを作っていくことが弊社のミッションなので、そんな事業を今後も生み出していきたいと思っています」
いつの時代も革新を志向するスタートアップとして、ファンズは今までなかった解へと目を向け、社会課題を解決していく。
父は中学校の教師で、母は学童保育で働く人だった。二人とも教育系の仕事に携わっていたからか、子どもの教育方針にはこだわりがある方だったのかもしれない。頭ごなしに怒られたり、何かを強制されたことはない。今思えば、自由に可能性を伸ばすような教育方針だったのではないかと藤田は振り返る。
「部屋の中でゲームするな、外で遊べということは言っていましたね。でも、本当にそれぐらいで、やっぱりあまり言われなかったですね。何かに熱中している時にそれを止めるようなことはしなかった。やりたいことは全部やらせてくれたという感じですかね」
家の周囲は田んぼや林や川があったので、幼少期は自然の中で遊ぶことが多かった。行ったことのない場所を探検したり、秘密基地を作ったり、自分からアイデアを出して遊び方を考えては、みんなと活発に遊んでいるのが好きだった。
「小学校ぐらいの頃は、ものすごくリーダーシップがあるとかガキ大将とかそんな感じではなかったですけれど、学級委員をやったりはしていました。中心と言えば中心ぐらいで、当時から何か企画を考えて、それをクラスのお楽しみ会みたいなものでみんなにプレゼンテーションしてやってもらうとか、そういうことが好きだったかもしれないですね」
自分のアイデアで、みんなと何かを楽しいことができればいい。そう考えて昔からクラスで積極的に声を上げたりしていたが、一方で必ずしもみんながついてきてくれるわけではないということも経験を通じて分かっていた。
「小さい頃から大きなことをやりたいとか、面白いことをやりたいとか、そういう変な意識の高いところがあったのですが、その感覚がぴったり合う人が高校ぐらいまで、特に小中学校ぐらいまではあまり周りにいなくて。田舎の閉塞感みたいなものはずっと感じていたかもしれないですね」
日頃みんなでふざけたり、たわいもないことを話している時間はもちろん楽しい。だが、心の中では、もっと大きなことをやってみたいという思いがどこかにあった。周りに言っても「無理だよ」とか「そんなに熱くなってバカみたいだな」とか言われてしまうようなこと、けれどきっと面白いだろうと思えるようなことを気づけば考えている。
もちろんそれはまだ、ひどく漠然としたイメージから来る欲求に過ぎなかった。当時はたまたま野球をやっていたので、将来はプロ野球選手になりたいと考えるような普通の少年だった。
「野球は結構いい経験だったのですが、中学校ぐらいの時に、割と自分に野球の才能はないなと気づいたんですね。野球の才能がある子と比べると、明らかに自分の努力が結果に繋がらないし、このままやってもダメだと感じたことはすごく覚えていて。反対に、そんなに頑張っていなかった勉強では、そこそこいい点数が取れていたので、向き不向きというものを意識したきっかけだったかもしれません」
少なくとも自分はスポーツより、勉強の方が向いているのかもしれない。そうは思ったものの、特別勉強を頑張ろうと思えるほどの情熱もなかった。
だから、高校では人並みな青春であればいいと思いながら過ごした。部活に入らず、勉強もろくにしなかった。当然と言うべきか、大学受験では軒並み不合格となり、ほかに選択肢もないまま浪人生活へと突入していくことになる。
「ずっと勉強していなかったので、本当に学年でも最下位の方をウロウロしていたんです。浪人になった時は、ちょうど彼女に振られて見返してやりたいとか、好きな俳優が早稲田に入ったから自分も入りたいとかタイミングが重なって、本当に頑張ろうと思って。ただ、当時の学力からすると絶対に無理だという状況だったので、一発逆転ではないですがどうやったら大学に受かるかを結構戦略的に考えたんですよ」
ここから普通のやり方でやっても絶対に受からない。周りからも早稲田は無謀だと言われていた。必死に努力しても結果に繋がらない感覚は、既に野球で学んでいる。だからこそ、まずは努力の仕方から徹底的に研究してみることにした。
「早稲田に受かった人の体験記とかを買ってきて、どういう勉強方法であれば受かるだろうとか、どんな参考書を選ぼうと戦略を立ててやった結果、1年で偏差値がかなり伸びて、それで合格することができたんです。僕は結構人生をハックする感覚で生きているのですが、その最初の成功体験というか、何事も戦略的に分析してやると道が開けるんだと思えたことは大きかったですね」
いきなり勉強に入るのではなく、先に受験というゲームのルールを理解する。俯瞰してゲームを見定めて、勝つための戦略を練る。どんな風に進めれば最も効率良く実行できて成果が出るのかを分析するという方法を理解し、自分のものにできたような感覚があった。
絶対に無理だと言われても、同じようにやればきっと道は開ける。当時得た成功の手応えは、その後の人生でも自信となり支えてくれるものになっていった。
2-2. 時代の寵児たちに憧れて
受験の成功体験を胸に入学したからには、大学生活も楽しく充実したものにしたかった。まずは定番だがテニスサークルに入ってみる。すると、ほどなくある事実に気がついた。
「サークルって3年生とか4年生の方が楽しそうじゃないですか。文化祭とかもそうだと思うのですが、ただ参加する側より実行委員になった方が面白いという感覚はやっぱり昔からあって。この構造は変えられないし、あと2年ぐらい待たないといけないのかと思って。だったら自分でサークルを作った方が早いんじゃないかと思って、当時の友だちとサークルを作ることにしたんです」
幸運にも大学では、「一緒にやろうよ」と声を掛ければ迷いなく乗ってくれる仲間に恵まれた。サークルと言っても何をやるかの当てはなかったが、とりあえず人を集めるならと、当時流行りのクラブイベントを企画するサークルを作った。
「まず、コンセプトを立てたのですが、当時はギャル・ギャル男と呼ばれる人たちがやっているイベントサークルしかなかったんです。だから、それとは変えて、裏原宿とかストリート系のファッションの人たちを集めたイベントサークルをやってみようと。当時は『裏原系』とかがすごく流行っていたので、そういうカルチャーが好きな人たちがばーっと集まってきて」
ほかにないコンセプトがあり、音楽も手を抜かず、イベントもきちんと企画する。そんなサークルを作り、翌年の新入生勧誘に臨んだ結果、数十人が集まる組織になった。
「最初にテニスサークルに入った時は、いろいろなことがルールとして決まっていて、そのルールに則って活動していたのですが、自分でサークルを作って気づいたのは自分たちでルールも決められるんだと。自分たちで主導して何かを決めたり、コンセプトを立ち上げたり、人を集めて何かを行うということがすごく楽しいと思ったんです」
自分も楽しく、みんなにも楽しんでもらえている実感がある。自信とともに活動は加速していき、代々木公園で数万人を集めるイベントを成功させたりもした。
そんな風に多くの大学生を集めたイベントを企画していると、次第に大人たちから声がかかるようにもなった。普通の会社員とはどこか違う、のちにはそれがベンチャー企業と呼ばれる界隈の人々であると知っていくことになる。どうやら若くして起業して、インターネットの力で成功を掴んでいく世界があるようだった。
「当時2000年ぐらいだったので、それこそITバブルのタイミングで。楽天の三木谷さんとか、サイバーエージェントの藤田さんとか、ライブドアの堀江さんとか、時代の寵児と呼ばれる人たちが注目されていて、すごくきらきらカッコよく見えたんですよね。自分もサークルを立ち上げてすごく楽しかったので、将来は起業家になりたいと思って。その頃はもう本当にミーハーな憧れだったのですが、自分もそうなりたいなと思うようになったんです」
ちょうど当時気が合う友だちが慶應にいたので、試しに二人で起業してみようということになった。早稲田と慶應なので「早慶家庭教師連盟」というネーミングを考えて、大学生の家庭教師を派遣するサービスをやってみることにした。
「皆さん大手に家庭教師を頼んでいませんかと、僕らであれば同じレベルの早稲田慶應の学生を直接派遣できるので、ものすごく安く家庭教師を依頼できますというチラシを作って。早稲田から近い目白駅とかで配ると、お母さんに受けが良くて結構もらってくれるんです。ちょっとした起業の真似事ですが、学生にしてはそれなりに儲かって」
起業と呼ぶには拙いものではあったかもしれない。けれど、チラシ配りから大学生の派遣まで、何から何まで自分たちで企画して多くの人を巻き込んでいく過程は面白かった。やはり将来は起業家になる方が自分には合っているだろうと確信し、より大きなことに挑戦していく未来を思い描くようになっていった。
そのまま家庭教師の事業を続けていくつもりはなかったので、卒業後は一旦就職することを考える。就職活動で惹かれるのは、やはり憧れのインターネット業界だった。
「ベンチャー企業で早いうちから活躍できて、会社が急成長していく様子を中で学べること。あとは、当時インターネットが勃興しはじめていたタイミングだったので、やっぱりインターネットを勉強したいという思いもありました。サイバーエージェントは社員の人たちが輝いて見えたことと、藤田さんの本にもすごく刺激を受けていたので入りたいと思ったんです」
インターネット広告代理業の部署に配属され、さまざまなクライアントに対しインターネット広告を提案していく。組織は若くて能力ある人材が集まっていて、多くの人が寝食を忘れて目標に向かって突き進んでいる。きっと成長する会社とはこういうことなのだろうと思わせてくれる素晴らしい環境があった。
しかし、そこではまたも自身の向き不向きを痛感した。
「中学の部活に似ている話なのですが、入社して1年ぐらい経った時に『この中では自分は勝てないな』ということを早々に察しまして。提案したり人を説得したり、攻めは結構自信があったのですが、当時は守りが本当に弱くて。きちんと請求書を出すとか経費精算するとか、あとは緻密に何かを分析してしっかりエグゼキューションしていくとか、そういう部分が弱かったので、これは会社の中で出世しないなと。早々にもう起業しようと考えるようになったんです」
会社組織の中でより大きなチャンスを掴もうとするのなら、きちんと一定のルールは守りつつ成果を出していかなければ出世は望めないだろうと思った。まして周囲には、攻めも守りも強い優秀なライバルが大勢いる。それならいっそ独立し、ゼロから切り拓いていく方が自分には合っているのではないかと考える。
いずれにせよ将来起業はしたかったので、学生時代一緒に家庭教師の派遣事業を立ち上げた友人とは、毎週末集まり起業のアイデアをぶつけ合っていた。気持ちは同じだという話になり、2年目には退職届を提出し、早速準備を始めていくことにした。
「じゃあ起業しようとなって、友だちに『退職届出したよ』と話をしたら、そいつが『ごめん、やっぱり辞められないわ』ということになり。どうしようかなと思った時に、偶然友だちの紹介で大学時代に何回か会ったことのある人が、東京で会社をやりたいと言っていると聞いて、その彼と再会したら意気投合したので一緒に会社を創業することになりました」
起業と言っても当時はまだ何のアイデアもまとまっていなかったため、ひとまずWeb制作やマーケティングを支援する会社を立ち上げた。ベンチャーと言えばオフィスにゲーム機だろう。そんなイメージを頼りに、オフィスにゲーム機も設置した。しかし、二人とも訳も分からず起業したようなところがあり、最初の1~2年はひたすらゲームで遊んでしまってばかりいた。
仕事は友人のつてでタワーマンションのペントハウスを借り、人を集めて仲良くなっては案件を受注するということを繰り返し、なんとか日銭を稼いでいたが月給はいつまでも8万円ほどのまま。さすがにそれでは会社として立ち行かないということになり、途中から真剣にスイッチを入れていくことにした。
「その時は企業さんにどういうホームページを作れば商品が売れるかとか、どういうマーケティングをしたらいいかみたいな提案をしていたのですが、当時制作会社なんて本当に死ぬほどあったので、そのなかで選んでもらう理由なんてほぼなかったんですよね。だから、どうすればうちの会社が他社より魅力的に見えるかということを日々考えて提案することをずっとやりつづけていました」
仕事がもらえなければ会社はつぶれてしまう。絶対に負けられないコンペが続く日々のなか、数ある制作会社の中から選んでもらうための戦略を数年間考えつづけていた。
「全く魅力の無いものをどうすれば魅力的に見せられるかということをひたすら考えて、その時に結構プレゼンテーション能力は鍛えられたなと思います。のちのちファンズを創業してからスタートアップのピッチコンテストで優勝したり、大きな資金調達をさせてもらったり、事業提携したりといろいろな場面で自分たちを魅力的に見せなくてはいけない場面が出てくるのですが、これは完全に制作会社時代に培った筋肉が役に立ったなと思いますね」
たとえば、アピールできる実績がないときは、良い実績を持っている会社に対し、営業を代行する代わりに実績を一部使わせてもらえないかと交渉してみる。どこか1社でも良い成果が出たのなら、その1社を最大限魅力的に見せるべく余念なくアピールする。ほかにも提案内容は、他社がやらないレベルまで突き詰めて考えるようにした。
一つひとつは地道な一手だが、繰り返し行う。それにより印象づけられる信用力が大きくなっていき、さらに大きなチャンスに手が届くようになっていく。あらゆる方法を試しながら考え尽くすことで、たしかに得られた成果があった。
「今も弊社のバリューに『Think Leverage』というものがあって、他者の力を効果的に活用しながらレバレッジを効かせて非連続的に成長していこうというバリューなのですが、これはもう完全に当時培われたものですし、今でもすごく活きているなと思います」
創業したばかりの会社には、基本的に信用なんてない。そのうえ人もいなければ資金もないなんてことが普通だ。そんな状態でも前に進むため、さまざまな人を巻き込んでいく。他者の信用を効果的に借りられるなら、道なき道を作り出し、より大胆に物事を進められる。当時得られたそんな学びが、何より財産となった。
6年ほど続けた制作会社は、偶然ご縁があった上場企業へと売却することになった。いろいろな工夫を凝らしてきたが、やはり労働集約ビジネスであることは変わらない。そのまま続けてもより大きなことに挑戦できる未来は見えなかったし、限界も感じていた。
「当時の知り合いで僕よりも遅く起業した人が、ガラケーのゲームの会社とかを作ってすごい勢いで成長していって、売上規模や社会からの注目度でも圧倒的に負けるわけですよ。その時に『誰がやるか』も大事だけれど、やっぱりそれ以上に『何をやるか』がすごく大事だなと思ったんです。次にやるなら『何をやるか』に徹底的にこだわりたいなと」
市場選定の重要性を痛感してからは、次なる挑戦に向けて情報を収集していた。2012年当時、市場では資金調達という概念が浸透しはじめた時期である。5,000万円や1億円と今より格段にサイズは小さいが、それらの資金をもとに急速な成長を目指すスタートアップといった単語がメディアに登場し、認知を得るようになっていた。
「そういった情報を扱うメディアを見ながら、自分が投資家になった気分でこの会社はどうだろうとか、こういう会社は世の中の時流に乗っているからすごく成長するんじゃないかと考えたり、いろいろな人の話を聞きながらどういう産業や企業が伸びていくのかと自分の中で分析していた時期でした」
調べていくと、どうやらスタートアップの本場米国では、金融機関ではなくインターネットを介して不特定多数の貸し手と借り手を結ぶP2Pレンディング、あるいはクラウドファンディングと呼ばれる仕組みやサービスが盛り上がっているという記事が目に留まる。まさにインターネット的であり面白い。しかし、金融に関しては全くの門外漢だったため「そんなものがある」と認知をした程度だった。
転機となったのは、偶然のご縁から日本でソーシャルレンディング事業を立ち上げようとしている会社から、マーケティングを手伝ってもらえないかと声がかかったことだった。
「自分のこれまでのキャリアも活かせるし、当時はまだFinTechのような言葉もなかった。インターネットと金融はものすごく真逆な領域のような印象があって、インターネット業界から金融に流れていく人がほとんどいなかったんです。これは『何をやるか』の戦略で言うと、独自かつユニークなポジショニングになりそうで面白いなと思い、その会社の立ち上げから携わらせていただくことにしました」
かつての事業は受託型だったため、一軒一軒お客様を説得しては仕事を受注するというビジネスモデルだった。コンペを勝ち抜き、納品し、対価としてお金をもらう。対して、ソーシャルレンディング事業では、まずプラットフォームを作る。サービスとしての基盤が整備されていくほどに、想像以上の勢いでお金が集まった。
「まるで登りのエスカレーターに乗っている感覚というか、事業が毎月どんどん成長していって。それまではなんとなく1回1回の受注が蓄積されていかない感覚もあったのですが、プラットフォーム型の事業ではユーザー数が伸びるほどに流通金額が増えていく。インターネットサービスをやるってこういうことなんだと思って、すごくエキサイティングな気持ちで仕事をしていましたね」
マーケティングを管掌する役員として3年ほど働くなかでは、多くのユーザーとコミュニケーションを取る機会があり、既存のサービスだけでなく、今はまだないが社会に必要とされている金融の価値について考えさせられるようになった。
「従来のソーシャルレンディングは、基本的にはハイリスク・ハイリターン型のものが中心で、具体的には何かしらの理由で銀行からお金を借りることが難しい会社に対して、高い金利でお金を貸して、その分投資家に高いリターンを出すというものでした。ただ、ハイリスク・ハイリターンなだけあって、競合の企業では損失が発生していたり、それだとなかなか金融のメインストリームには行きにくいだろうなと。もっと安心感のある商品の選択肢があれば、より多くの人が資産形成を体験できるだろうと考えたんです」
個人からお金を集めて企業に貸すという仕組み自体はインターネット的であり、たしかに面白い。けれど、ハイリスク・ハイリターンな商品だけではなく、もう少し多様な商品性があってもいいのではないか。たとえば、誰もが知っている企業に対して安心感を持って投資ができるようなサービスがあってもいいのではないかということを考えていた。
一度起業を経験してから会社員になったこともあり、当時はもう組織に属して働く自分に違和感はなくなっていたが、再び自分で挑戦したい気持ちも少しずつ芽生えはじめる。そんな折、偶然にも人の紹介で出会ったのが、既に複数回のイグジット経験を持つ起業家である柴田陽だった。
「ちょうど柴田さんは『スマポ』というサービスを楽天に売却して、1年ぐらい米国に行っていて帰ってきたタイミングだったんですよね。お互いの経験や興味のあるビジネスの話をしていたら、彼は僕がやっていたような金融のプラットフォームにすごく興味があって、日本でやりたいと思っていたと。僕自身はやっぱりスタートアップにすごく興味津々だったんですよね。柴田さんはそれを何度も経験しているプロだったので、2人の知識とノウハウを組み合わせればすごく面白い会社ができるんじゃないかと思って」
思いは高まり、出会ったその日の夜に事業計画をメールした。反応は「いいですね」というものだった。2016年、ファンズの前身となる株式会社クラウドポートを共同創業する。
金融やクラウドファンディングの知識と、スタートアップの経営ノウハウという二人の強みを掛け合わせ、新しい価値を生み出す挑戦へと踏み出した。
ファンズ(旧 クラウドポート)創業期、当時のメンバーと
ビジネスはもちろんそれ以外でも、何か大きなことを始めてみたいと考えるなら、いかにより多くの人を巻き込み協力を得ていくかが重要になってくる。これまでの人生を振り返り、人を巻き込みやすい状態には共通する方程式があったと藤田は語る。
「一つは『社会的意義』ですね。どんなに能力があっても『自分はお金持ちになってフェラーリに乗りたいんです、出資してください』と言ったとして、誰も協力してくれないじゃないですか。自分たちの事業がうまくいくと社会にとってどんな良いことがあるのかという社会的意義をしっかりと伝えていく、そこに共感してもらうことが一番大事です」
二つ目に挙げられるのは「実現可能性」だという。どんなに社会的意義があるとしても、仮に全く未経験の分野へ飛び込み、いきなり事業を立ち上げようとした場合、「こいつならできそうだ」と思ってもらうことは難しい。経験や実績、あるいはその分野に精通する協力者の存在など、実現可能性が高いと信じてもらえるようできるだけ努めることが結果を左右する。
「最後は『人格』かなと思っていて。どんなに社会的意義があっても、どんなに実現可能性が高くても、ものすごく嫌なやつだったら一緒に仕事したくないじゃないですか。人から応援してもらえるような誠実さだったり、あとは周りに対する姿勢など、応援してもらえるような人格でありつづけることはすごく重要だと思っています」
社会的意義・実現可能性・人格という三つの要素をバランスよく伸ばしていくほどに、巻き込める人の量と質が変わっていく。たとえそのうち一つが人より優れていたとしても、ほかのどれかが欠けてしまえば意味はない。
他者とのかかわりの中でこそ、人は予想を越えるチャンスを掴む。求心力こそ、人生の可能性を最大化させる鍵なのかもしれない。
2025.2.21
文・引田有佳/Focus On編集部
自身の向き不向きを踏まえたり、戦い方を徹底的に見極めたり、人を巻き込み信用を借りることでレバレッジを効かせたり、藤田氏の生き方が示しているのは「道は開ける」というただ一つの真実だ。
たとえ何かで周囲より劣っていると思えても、何もできないというわけじゃない。知恵を出し合い、工夫を凝らすことで積み上げていけるものがある。ときには視点を変えて、前提や原点となるものに立ち返ることもある。そうして絞り出すように重ねた地道な努力こそ、どんな状況にあっても道を開く鍵になる。
そこに道がないと思えば、道は開けない。大きなことは成し遂げるには、きっと道は開けるという信念が必要になる。ファンズが掲げる「未来の不安に、まだない答えを。」というミッションも、今はない選択肢を創造していく挑戦だ。現在地を見てあきらめず、できることを探しつづける。そんな人の精神こそが、社会を前進させつづけるのだろう。
文・Focus On編集部
▼コラム
私のきっかけ ― 『ゼロ・トゥ・ワン』著:ピーター・ティール
▼YouTube動画(本取材の様子をダイジェストでご覧いただけます)
ファンズ株式会社 藤田雄一郎
代表取締役CEO
1980年生まれ。埼玉県出身。早稲田大学商学部卒業後、株式会社サイバーエージェントに入社。2007年にマーケティング支援事業を行う企業を創業し、2012年上場企業に売却。2013年に大手ソーシャルレンディングサービスの立ち上げに経営メンバーとして参画。2016年11月に株式会社クラウドポート(現ファンズ株式会社)を創業。