Focus On
大嶋翼
株式会社メディカルフォース  
代表取締役
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or学ぶことで得られる自信や喜びが、何より人生を豊かにしてくれる。
「学ぶ喜びをすべての人へ」というミッションを掲げ、学習記録×コミュニケーションを基軸に価値創出するスタディプラス株式会社。同社が展開するB to Cの学習管理アプリ「Studyplus」は学習内容を記録・可視化することで継続率を高めるサービスとして、現在*累計会員数800万人、大学受験生の2人に1人に利用されている。また、記録されたさまざまな学習ログデータを指導に活かすべく、B to Bの教育機関向け学習管理プラットフォーム「Studyplus for School」も2,000校以上に導入されるなど、まさにデジタル時代に突入する教育業界のデータプラットフォームとなっている(*2023年6月現在)。
代表取締役の廣瀬高志は、私立桐朋高校卒業後、慶應義塾大学法学部在学中にスタディプラス株式会社を創業した。同氏が語る「学ぶ喜びを育むもの」とは。
目次
勉強が苦手な人だけでなく、いわゆる「勉強ができる人」でさえ、学ぶ喜びを実感しているとは限らない。知的好奇心に駆られ、進んで新たな知識を吸収しようとする。学習とは本来主体的なものであり、学習する意思のない人に無理やり強いることができるものじゃない。
だからこそ、教育に求められる役割は、学習したいという意欲を起こさせ、導いていくことだと廣瀬は考える。
「学習コンテンツとして分かりやすい授業をするということよりも、むしろ一人ひとりの学習する行動や得られた成長、学習しようという意思とか、そういったものをきちんと肯定したり、励ましていく。それこそが学習支援のコミュニケーションであり、教育において1番大事かつ足りていないことなんじゃないかと考えているんです」
手軽に学べたり、理解しやすかったり、優良な授業や教材コンテンツは世に多くある一方で、学習者一人ひとりを支援するようなコミュニケーションは不足しているのではないか。そんな課題意識が、スタディプラスのサービスの出発点となっている。
たとえば、同社が展開する学習管理アプリ「Studyplus」では、ユーザーが毎日の学習履歴を記録し、可視化することで継続や習慣化をサポート。同時に、同じ目標を持つ仲間と結果をシェアし合ったり、コメントや「いいね」などの反応で励まし合うことで、モチベーション維持に繋がるよう設計されたサービスだ。
一方、教育機関向け学習管理プラットフォーム「Studyplus for School」では、生徒の日々の学習時間や内容、傾向が細かく一元管理され把握できるようになることで、指導者はより効果的なコミュニケーションを取ることが可能となる。
特に、これまで正確な把握が難しかった家庭学習の状況が可視化されるようになったことの恩恵は大きく、指導の効率化にも繋がっている。生徒・指導者・保護者がオンラインで連絡を取り合うこともできるため、高頻度かつ質の高いコミュニケーションが実現できる点も支持されているという。
「僕たちは『学習記録×コミュニケーション』と言っているんですけれども、学習記録には学習者一人ひとりの頑張りとか理解度とか、そういったものが反映されているわけですよね。それをしっかり見ながら励ましていくことがコミュニケーションの起点になるし、逆にそれがないとまず報告してくださいというところから始まるので、ロスが大きくなってしまう。だから、学習記録とコミュニケーションの掛け合わせでサポートしていくことがすごく大事だと思っているんです」
今後同社では、学習の量(どの教材を何時間、何ページ進めたか)から質(理解度や習熟度)へと軸足をシフトさせていくと廣瀬は語る。
「問題単位での正誤や理解度が記録されるようにしていったり、そもそも教材自体を電子化して、学習すればリアルタイムで学習記録も残るという形にしていきたいと思います。そうすると先生はどれだけの量を学習したかだけでなく、どれぐらい理解しているのかも分かるようになり、より深い指導ができるようになる。学習記録データをより網羅的かつ高密度にしていきたいですね」
学習の結果は模擬試験で測ることができるが、学習プロセスのデータを測るサービスはほかにない。来たるデジタル学習時代、教材が紙からデジタルへと移行していく流れもあるなかで、スタディプラスは学習プロセスデータを利活用していく基盤となり、学ぶという行為へ向かうあらゆる人を支援していく。
かの有名なリクルート創業者、故・江副浩正氏の遺した言葉に「自ら機会を創り出し、機会によって自らを変えよ」というものがある。かつての社訓であり象徴的なその言葉を初めて知ったのは、まだ幼い頃、リクルートで社内結婚をしていた両親に、家訓として教えられたことがきっかけだった。
起業家精神あふれる同社の社風を体現するかのように、振り返れば両親の教育にもその精神性は色濃く表れていたのかもしれない。
「よく『社長になるといいよ』と父から言われていましたね。お金持ちになるためには株を持っている必要があって、社長になるのが1番いいんだと。幼稚園ぐらいの時に言われて、そういうものなんだと思って」
両親と弟と、家族4人での旅行などイベントがあるたびに、道中ではいつも楽しそうに仕事の話をしてくれる父の姿がある。今ではWebサービスとして知られる「リクナビ」が、まだ「リクルートブック」という名前の分厚い雑誌だった時代、父は営業として活躍していたようだった。
「あの会社は俺が開拓したんだという話や、自分が開拓した時はまだあの会社は全然小さかったけれど、そのあとすごく大きくなったんだという話だったりとか。やっぱり父は仕事が好きだったと思いますし、仕事に対して前向きな感じがすごくあって。幼いながらに仕事って楽しそうだなと思っていましたね」
おおらかな性格で、なんでも自由にやらせてくれるタイプだった父。一方で、母は子どもたちの教育に熱心だった。当時は小学校受験を題材とするテレビドラマ『スウィート・ホーム』がブームになっていて、いわゆる「お受験」という言葉が流行していた影響もあるのかもしれない。
まさに小学校受験の全盛期。母が第一志望として掲げたのは、東京都国立市にある桐朋学園小学校だった。自由な校風で知られる人気の小中高一貫校で、当時の倍率は約20倍。狭き門を突破すべく、お受験対策に特化した幼稚園へと転園したり、塾へと通ったり。忙しい毎日だったが、やってみれば意外にも面白いものだった。
「公文の教室に結構通っていて。公文ってレベル別の教材になっていまして、学年とか関係なく進められるんですよね。なので幼稚園から小学校に入るまでのタイミングで、小学校4年生ぐらいまでの算数をやったり、漢字も小学校2年までの範囲は全部書ける状態になったり。自分のペースでどんどん進められる、それが結構面白かったですね」
幼少期
運動も勉強も、前向きに取り組むからか成長が実感できる。周囲の友だちよりも優れた結果を残せると自信になって、さらに進んで向き合うようになる。そんな小さな成功体験が積み重なって、自分に対する自信が育まれる機会となっていたのかもしれない。
「母いわく幼少期はとにかくやんちゃで、ものすごく手がかかる感じだったらしく。公園に行くと周りの子どもを全員泣かせたり、デパートに行っても逃げ出したり。あとは、自分が1番だと思っていたのか幼稚園で全員に『廣瀬様』と呼ばせたり(笑)。謝ってばかりだったと言っていました」
母の手厚いサポートもあり、第一志望には無事合格することができた。さすがに20倍という倍率を潜り抜けてきた同級生のなかには、特別秀でたものを持っている人がいる。のちに算数オリンピックで世界大会に出場し、2位を勝ち取った友人ができたりしたことはたしかに財産だった。
「すごく自由な学校だったので、算数の時間に生徒が先生に代わって教えていいという時間があって。僕が黒板の前に出て教えることになったので、自分で『算数物語』という教材を作って、問題を噛み砕いて教えたりしていましたね」
自分なりに考えて作った授業は好評で、先生より分かりやすいという声をもらえば嬉しくなった。新しいアイデアを考えて実践する。その面白さを発見し、次第に夢中になっていく。
「桐朋学園小学校に、日記を書かせるという特徴的な文化があって。日記専用のノートにそれぞれ日記を書いて、最低週に1回以上提出するんです。毎日書いても良くて、それを出すと先生がコメントを返してくれる。それが先生とのコミュニケーションにもなっていて、なかでも先生が選んだ面白い日記がまとめてプリントに載るんですよ」
何度も試行錯誤しながら手を動かして書き綴った内容を、先生や両親、クラスのみんなが見てくれる。今となっては何を書いていたかも定かじゃないが、1つの創作活動のようでもあり、それが無性に好きで楽しんでいた記憶が残っている。
決められた枠組みに縛られるよりも、自ら自由に考えて実践していける世界の方がはるかに面白い。特に、苦心して生み出したアイデアに好意的な反応や結果が得られれば、何より自信に繋がっていく。実体験からそう学んだ幼少期があったからこそ、のちに続く人生があったのかもしれない。
小学校時代、弟と
中学に進んだ当初は陸上部にスカウトされるほど、足の速さには自信があった。しかし、個人競技でただ走るだけの練習はあまり向いていないようにも感じていた頃、声をかけてくれたのがバスケ部の先生だった。
「中学からはバスケ部に入って、中高6年間ひたすらバスケをやっていたんですけれども、そこに元実業団で全日本選手だった有名なコーチがいてですね。桐朋中学高校のなかでもバスケ部が1番厳しい部活だと言われていたんです」
思うように活躍できず、怒られ自信を失い、挫折を味わいながら、それでも次第にチームには運命共同体のような不思議な結束が生まれていった。
「もちろん辞めていった人もいましたが、特に高校に上がったぐらいの頃は、『もうこのメンバーでここまでやってきたんだから、みんなで頑張ろうぜ』という感じで、高3の夏まで続けましたね。ストレス耐性というか、もっと言うと鈍感力ですかね、何を言われても気にしないタフさのようなものが身についた気がします」
同じ状況で耐えるみんながいるからこそ、つらくても頑張れる。仲間の存在が支えにもなっていたバスケ部時代。そこではさらに、のちの事業にも繋がる本との出会いがあった。
「2個上に、バスケ部のキャプテンかつ東大にトップ合格した人がいたんです。桐朋高校開校以来の天才と呼ばれる人で、その人にどうしてそんなことができたのかと聞いたら、『勉強記録ノートをつけるといいよ』と言われて。一緒に『受験は要領』という本を薦められたんです」
なんでも1980年代の初版刊行以来、受験勉強のバイブルと呼ばれた本らしい。著者である和田秀樹氏自身が東大出身で、勉強法に関する書籍を何冊も執筆しているようだった。
実際手に取って読んでみる。すると、大学受験の勉強は運転免許試験とさほど変わりなく、全て丸暗記で乗り切ることが可能だと書かれている。いわく各教科これさえ押さえればよいという参考書が存在し、その参考書で勉強した時間分、付属するシートのマスを塗りつぶして記録する「塗り絵式勉強法」という方法論が提唱されていた。
「つまり、受験なんてたいしたもんじゃないんだよということが語られていて。その人は灘高から東大の理三に受かった人で、そういう人も受験はとにかく要領なんだということを言っている。それにすごく感銘を受けて。塾に行くとかではなくて、バイブルと言われているような参考書をきちんと自分で勉強していけば、大学受験で必要な学力がつくんだなと」
先輩と本から学んだ勉強法は、高校1年時から早速実践していくことにした。目標は深く考えず、トップだからという理由で東大に設定する。しかし、現役時代はそこまで徹底しきれない部分があったこともあり、不合格という結果に終わってしまった。
「しょうがないかなと思って。桐朋高校の風習として、結構自由な校風でそんなに先生も管理しないので、受験勉強を始めるタイミングが結構遅い人も多くて、浪人率が高いと言われていたんです。友だちも割とそういう人が多かったので、あまり深刻に考えなかったですね」
自信を持って東大しか受けなかったこともあり、そのまま浪人生活へと入っていく。1年間、予備校へと通うことにした。
「予備校に入ってすごくびっくりしたのですが、まず『通学定期券が使えます』と言われたんですよね。ここって学校なんだということに気がついて。カリスマ講師は一方通行で大教室で授業をしてくれて、それはたしかに面白いんですけども、授業をしてくれること以外で何かサポートがあるかというと特に無かった。授業に出ないで自習室にこもっている人も結構いたし、なんのために塾に行ってるんだろうという感じがあって」
高校で和田氏の本に出会って以来、勉強法の本を好きで読みあさっていたから余計に画一的な授業に違和感を覚えたのかもしれない。合格体験記のような本を中古含めてたくさん買い込んでは、東大に合格した人はどんな教材をどれぐらいやり、どんな対策をしていたか、自分なりの勉強法を研究していた。
「効率的に勉強したいし、言われたことをやるんじゃなくて自分で組み立てる。自分で考えて計画を立てたり、教材を選んで、自分のペースでそれを実践するということが面白かったんです。塾に行って、塾の教材を塾に言われたペースでやるのはつまらないというか、何も考えなくてもできるじゃないですか」
研究を重ねる過程では、教材ややり方だけでなく、いかにモチベーションを維持するかが重要になるということも分かってきた。
予備校には、同じ大学を目指す仲間たちがいる。当初は高額な学費を払わずに、なんなら宅浪でもよかったのではないかと考えたこともある。しかし、仲間の存在や、みんなで通う場所があることが、モチベーションを保つうえで助けになった。予備校にある大きな価値と、だからこそ学習をサポートする面での物足りなさを実感しながら日々を過ごしていた。
「すごくもったいないなというか、教育産業ってサービス業であるはずなのに、授業のみに専念する形になっている。そこは逆に改善の余地が大きいなという風にも思っていました」
効率的な学習法や、参考書の選び方、それから適切な計画立て、時間の使い方など、受験にはさまざまな要素と選択が必要になる。それら全ての前提となるものが、勉強を継続していくモチベーションだ。
努力が思うような結果に繋がらなかったり、つらくて途中で投げ出したくなったり。あと一歩の努力さえ、あきらめたくなるような瞬間が誰しもあるだろう。そんな時、何より近くで支えてくれる仲間や環境が存在していれば、きっと今より多くの人が望む結果を手にできるのだろうと、当時からなんとなく考えていた。
小学生の頃から将来は社長になると公言してきたが、さらにその意欲が高まったのは中学高校時代だった。「本なら好きに買っていい」と親から言われ、いわゆる経営者の自伝をよく読んでいた。
「ワタミグループを創業した渡邉美樹さんの『夢に日付を』という本とか、GMOインターネットグループを創業した熊谷正寿さんの『一冊の手帳で夢は必ずかなう』とか、経営者の本を結構たくさん買って読んでいて、影響を受けていましたね」
ちょうど高校1年生になった頃、世の中は「第二次ネットバブル」と言われる時代に差し掛かりつつあった。堀江貴文氏率いるライブドアが躍進したり、同社がフジテレビに敵対的買収を仕掛けたり。そんなニュースが日経新聞の1面を賑わせる様子を見ていると、なんだか1つの時代が様変わりしていくような空気感がある。
新興のITベンチャー企業を設立した若い起業家が、急速に会社を成長させていく姿もかっこよく、熱量高い生き様におおいに刺激を受けてきた。
「大学では、入学してすぐに大学生向けのフリーペーパーを作っているベンチャー企業に入って、広告営業の仕事を始めたんです。1年遅れて入ったということもあるかもしれないですけども、サークルでわいわい楽しくやるよりも、もう仕事したいなぁという気持ちになっていて」
1年の浪人生活を経て、慶應の法学部へと進学した。当時は今すぐにでも働きたいという思いに駆られていた。
「ものすごく自由にやれたので、面白かったですね。アポ先から自分で考えることができて。大学生向けのフリーペーパーだったので、広告主は学生にプロモーションしたい企業だとした時に、どうやって探せばいいかと考えた結果、大学生協に置かれているチラシを大量にもらってきたりして」
生協にチラシを置く企業なら、大学生にプロモーションしたいニーズがあるはずだ。そう考え足を運ぶと、予想通り資格スクールや留学斡旋、自動車学校に晴れ着屋などをリストアップすることができた。
そこから1件ずつテレアポして、なんとか商談に繋げられるよう試行錯誤する。トークスクリプトも提案資料も自由に変えていいと言われたので、相手に合わせてアレンジを加えていった。
「学生向けフリーペーパーの広告価値って、ものすごく低いんですよね。なかなかフリーぺーパーの広告を見て、何か人が動くということもまれだし、効果も分かりにくいじゃないですか。なのですごく売るのは大変だったんですが、ラッキーパンチで売れたりもするんですよね」
決して簡単に売れる商材じゃない。しかし、続けていくとロジックもなく唐突に売れることがある。担当者の相性がよかったから、先方の予算が余っていたから。そんな単純な理由で、数十万から百万円という単位の広告が売れたりするのだ。
結果が出るかどうかは運もある。だからこそ、目の前の結果に一喜一憂せず、どんな時も最善を尽くしておく方がいい。チャンスとは、自ら動くからこそ掴めるものなのかもしれなかった。
大学時代
丸2年営業の仕事にのめりこんでいて、ようやくまともに大学に行きはじめたのは3年生になった頃だった。
そのまま大学3年の後半に差し掛かると、いよいよ就職活動の時期が近づいてくる。選考の早い外資やベンチャー企業を受けてみつつ、どうしようかと悩んでいた頃、偶然登録していた就活生向けのメーリングリストでビジネスコンテストの存在を知る。
どうやら株式会社ネットプライスドットコム(現BEENOS株式会社)というIT企業が主催しているらしい。面白そうだと早速申し込むことにして、わくわくしながらアイデアを考える。
いろいろな方向性を探ったが、最終的にはやはりそれまでの人生でも最も考え尽くしてきたテーマ、受験や勉強法についてのサービスが1番良いと思えたので、まとめたものを事業プランとして提出することにした。
「それに出場したら優勝させてもらって。特典としてオフィスを1年無料で使っていいということになったので、これはすごいチャンスなんじゃないかと思って起業することにしました」
最初から自信があったわけではないが、出場してみると意外に手ごたえを掴めた部分もある。一時期ベンチャー企業で働いて、ビジネスの真似事ではあるものの、それなりにクライアントに合わせ企画を考えて提案していた経験が活きたのかもしれない。事実、コンテスト自体は5回目の開催で、初めての優勝該当者だったとあとから聞いた。
2か月後の2010年5月、スタディプラス株式会社を設立したのは大学4年の春だった。起業自体は1人で行ったが、当時は手伝ってくれる数人の仲間とともにスタートした。プログラミングができる桐朋の同級生や、慶應の同級生、それからTwitterからの縁で繋がったデザイナーがいた。
「やるぞって感じで、燃えていましたね。ネットプライスドットコムが持っていたインキュベーションオフィスが渋谷の桜ケ丘という場所にあって。今すごく再開発している場所で渋谷と代官山のあいだぐらいなんですけども、そこにある結構おしゃれな30坪くらいのオフィスに自分たちがいて。ビジコンでも優勝したし、最初は俺たちイケてるぜという気分でしたね(笑)」
威勢よくスタートしたものの、当初ビジコンで優勝したプランはあくまで家庭教師会社の域を出ないものだった。やはりインターネット企業にしたいという思いがあり、早々に学習を継続するためのWebサービスという方向に舵を切ることにした。そこから作りはじめたものが個人向け学習管理サービス「studylog」だ。
当然ながらそう簡単に売り上げが上がるはずもない。「ラーメン代稼ぎ*」としてWeb制作の仕事をしたり、当時リクルートを卒業し起業していた父の会社のWeb集客を代行したりしながら、しばらくエンジニアを探す日々だった(*スタートアップが起業家の生活費をギリギリまかなえる程度の利益を上げること、ポール・グレアム 氏が提唱した概念)。
「最初の年はSEOやWebマーケティングをすごく頑張っていて。オフィスに寝泊まりしながら、そのために勉強したりしていました。でも、起業したという高揚感だったのか、モチベーションはずっと高かったですね」
起業の翌年、初めてのエンジェル投資を受けた。1人は、ビジネスコンテストの主催企業であるネットプライスドットコムの創業者である佐藤輝英氏。もう一人は、現在スタディプラスの監査役でもある造田洋典氏だ。
「そこからはあまりラーメン代稼ぎとかしないで、基本的に自社サービスに集中することになったのと、学生だけではなく社会人も雇いはじめたので責任も重くなり、大学に行ってる場合ではないなと、2011年の秋ぐらいに中退することにしました」
退路を断って、事業にフルコミットしはじめる。
当初リリースした「studylog」はWeb上でしか使えずユーザー数が伸び悩んだため、2012年3月、SNS機能をつけた学習管理SNS「Studynote」をリリース。同年、現在の「Studyplus」へと名称変更し、さらにスマホアプリとしても使えるようにした。同じ目標を持つユーザー同士、切磋琢磨できる環境をつくったところサービスとして軌道に乗っていった。
事業として組織としてさまざまなフェーズを経てきたが、実現したい価値は当初から変わらず一貫するものがある。
「勉強するうえでの1番の課題は、勉強を継続することが難しいということなので、勉強を継続するという課題を解決することができたらすごく多くの人を幸せにできるだろうと。この勉強の継続というテーマにフォーカスしてやっているような会社は世の中にないので、自分たちがそれをやるべきだ、やりたいという風に思ってきました」
廣瀬自身、誰より自由で主体的な学びを実践してきた人生がある。学びという概念を広義にとらえたとき、学び変化し成長していくことや、何より自分の世界を広げていくプロセス自体が楽しかった。
第一志望への合格や資格取得など、何かしら目的があり、手段として学びがあるのではなく、学ぶこと自体が喜びであるということ。そんな価値観を広めていけるようなサービスを創りたいと考えてきた。
「学ぶ苦しみ」がまん延する現代社会、スタディプラスは誰もが「学ぶ喜び」を実感できる、真に学習者中心の教育の在り方を提示しつづける。
大学在学中に起業してから10年以上、その過程では、ほかの経営者に負けないよう常に1つの意識が心にあったと廣瀬は振り返る。
「『学ぶことは変わること』という言葉をモットーにしているんですけれども、学ぶ喜びというところにもすごく通ずるのですが、学び変化することに対して柔軟であるとか、スピーディーであるとか、変化することに対しての躊躇の無さというんですかね。それがすごく大事だなと思っているんです」
起業当時は経験もなければ人脈もなく、お金もない、とにかく何も持っていなかった。度重なる失敗も経験してきたが、続けていけば成長し、変化していけると信じていたから走りつづけることができた。
「その言葉との出会いは、起業する少し前ぐらいですかね。東大の教育学の教授で佐藤学さんという方がいて、その方の本で見つけた言葉です。見た瞬間に『これは!』となって(笑)。これを自分の座右の銘にしようと思ったんです」
とはいえ、自分自身で自分の変化に気づくことは難しい。廣瀬自身、周囲の人の言葉で自分の変化に気づくことが多かったという。
「そもそも学ぶという瞬間、Aだったものが学びのプロセスを経てA‘になるとすると、Aの段階でA’になった時どう変わるのかは分からないんですよね」
たとえば、何か本を読もうとするとき、もしもその本から何を学べるか知っているとしたら、あえて読む必要はないだろう。その本から何を学べるか分からないこそ、未知の知識への好奇心や期待感とともに、人は新しい本を手に取るはずだ。そこから読了後、「読んでよかった」と思う瞬間こそが、学んだ状態ということになる。
「AがA’になるべきだと思ってA’になろうとするというよりも、むしろA’になった後、初めて自分は学んだなと事後的に知る。つまり、学ぶという行為はすごく時間的なプロセスなんですよね。だから、学ぶ前と学ぶ後では別人になっていなければいけないということであって。変化のプロセスを楽しめるということが、学ぶ喜びなのかなと思います」
起業する人のみならず、あらゆる人に成長が求められる瞬間は訪れる。そんなとき学び変化していく自分を楽しむことで、未来は変わっていくのかもしれない。
2023.12.1
文・引田有佳/Focus On編集部
いつも仕事を楽しげに語る父の背中を見て、子どもの頃から仕事に対して前向きなイメージを抱いていたと廣瀬氏は語る。
実際、仕事には「つらくて大変なもの」「我慢しなければならないもの」など、マイナスなイメージがつきものだ。しかし、仮に先入観も一切ない状態で自ら進んで取り組んでもらったら、誰しもそこに楽しさを見出していくものなのかもしれない。より正確に言うならば、「つらさ」も楽しさに変わるほど、意味を見出した状態となるのかもしれない。
自分で考えながら取り組むからこそ面白い。勉強でもスポーツでも、なんでもそうだろう。誰かに強いられたやり方や、義務感からは自発的な思考や面白さは生まれない。それを知らずに途中であきらめてしまったり、自分にはできないと可能性を閉じてしまう人が多くいる。そこにはきっと、計り知れないほどの社会的損失が生まれているはずである。
「学ぶ喜び」という切り口から価値を創出していくスタディプラスは、多くの人の可能性を拓くとともに、自立した個の意志が社会を前進させていく未来を創るのだろう。
文・Focus On編集部
スタディプラス株式会社 廣瀬高志
代表取締役CEO
1987年生まれ。東京都出身。私立桐朋高校卒業。2010年、慶應義塾大学法学部在学中にスタディプラス株式会社を創業、代表取締役に就任。