Focus On
末永春菜
株式会社きゅんとふる  
代表取締役
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シリーズ「プロソーシャルな距離」について |
10代から内装職人として先人たちの背中を追いかけ、独立したのが21歳の時。会社経営について何一つ学んだ経験はなかったが、憧れを胸にがむしゃらなスタートを切った。
起業当初、飯田はどのように道を拓いてきたのだろうか。
「最初は結構自信を持って独立したんですけれども、実際独立したらそんなに仕事をもらえるわけもなく。本当に仕事をもらえるだけでありがたくて、当たり前のことなんですけど、人がやりたがらないような仕事でもがむしゃらにやってきましたね」
独立して初めて受けた仕事は、お台場のフジテレビ本社ビルの新築工事。任されたのは、その地下駐車場のとある一角の天井組み作業だった。建設現場でよくある下請けの下請け、そのまたさらに下請けと多重構造になっている仕事の一端である。
建設業は慢性的に人不足だ。ほかの人の仕事の手直しや、残された部分的な仕事なら比較的請けやすい。しかし、やはりやるからには多くの人を集めて現場を納めてみたかったと飯田は当時を振り返る。
「たぶん人のやりたがらない仕事を、かなり気違いじみたぐらいやってたかなと(笑)。そうするとものすごく『こんな奴がいるぞ』みたいな感じに言われるようになって。そこからどんどん大きい仕事をいただけるようになりました」
多くの職人を抱え、より大きな仕事を完遂したい。その一心で、人が避けたがる仕事でも異常とも言えるほど懸命にこなす。一見遠回りのようでもあるが、そんな姿は必然的に人の目に留まることとなり、思い描いた仕事への糸口となっていった。
「自分が職人さんで、上に番頭さんという管理者みたいな方がいるとするじゃないですか。番頭さんってたまにしか現場に来ないんですけれども、番頭さんの立場からするとこういうことをやってあげたらいいんだろうなとか、お互いにすごくメリットあるなとか、そういう仕事を結構ついでにどんどんやっていったんですよね」
たとえば、建設現場では役割分担がある。職人は現場でものを作り、工事管理者は材料の積算から発注までを担っている。発注が間違っていれば現場の職人からは不満が出てしまう。現場の人間が行った方が、高い精度で材料を発注できることもある。本来の仕事範囲ではなかったが、そうした業務を代理で引き受けていったという。
「飯田さんに任せておけば、本当に手放しで楽だとすごく言われますよね。そうすると勝手に仕事がどんどん大きくなっていって」
定められた仕事以外でも、お互いにメリットがあると思えることは自主的に引き受ける。それにより信頼を得ることで「次も任せたい」と思ってもらえるならば、裁量は自然と大きくなっていく。
多くの人はやらないことであっても、人に喜んでもらえることはやる。とにかくがむしゃらにやることを自分の中で当たり前にする。
そうして積み重ねた人とは違う当たり前が信頼へと繋がり、自ずとより大きな仕事へと導いてくれるのだろう。
POINT ・ 人がやりたがらない仕事もがむしゃらにやる・ 上の人を楽にするという視点で仕事をする |
02【苦難の時代】経営者として苦しんだ本当の理由
独立から10年。大きな現場を任されるようになり、会社組織でいう社員にあたる専属の職人も最大50名ほどにまで増えた。しかし、個の強い職人の集団をまとめあげるのは一筋縄にはいかなかった。上からはクレーム、下からは文句の嵐。当時は会社をたたむことを真剣に考えていたと飯田は語る。
「21歳の時に独立してがむしゃらに頑張って人が増えていったときに、大体10年後くらいですね。30歳の時に人間関係で悩んで。まぁ職人の集団で、1人でやっているような人たちをかき集めてやっていたので、ものすごくわがままな人が多くなってしまって。遠いから行かねぇとか、金もっとよこせとかっていうような人間がいたりとか。ぐちゃぐちゃになって。ほんとにその時はこんな会社ない方がマシだと思ったんですよね」
事務所に半ば引きこもり、鳴りやまない電話の音をひたすら聞く。現場へ行くのも心底嫌になっていた。
もう辞めるべきだ。何度もその選択が頭をよぎったが、真面目に頑張ってくれている社員を思うとそう簡単に踏み切れるものでもない。同時にそれは、自分の10年を否定するようなものでもあった。
そもそも会社経営とは一体何なのか。根源的な問いに立ち返らされる。毎日何をすればいいのかも分からず本を読んでいた当時、答えは偶然手に取った稲盛和夫氏の著書をきっかけに見つかったという。
「会社っていうのは、どういうものでなければならないか。企業経営のための人じゃなくて、人のための企業経営なんだということが書かれていたんです」
最初に手に取ったのは『アメーバ経営』だった。本屋で見つけ、何とはなしにパラパラとめくった時、稲盛和夫氏の名前は知らなかった。経営と書かれているからには経営の本なのだろうと、そのくらいの動機でしかなかったが、そこに綴られた教えに真っ直ぐ心を打たれた。
「なぜ感動したのかというと、祖父から小さい頃に教えられていたことと通じていたんですよね。祖父は結構熱心な仏教徒で、毎朝仏壇とかで般若心経とか、そういうような環境だったんですが。酔っぱらって帰ってくると、よく仏教の話とかしてくれていて。(稲盛さんも仏教観から影響を受けていますが、)そこがもう本当に一致したのか賛同して。すぐに盛和塾に電話して入れさせてもらったんですよね」
稲盛氏の経営哲学を学ぶこと。それは、自身の過去を振り返ることでもあった。
「それまでたとえば経営理念なんて、独立する時に税理士から作った方がいいですよと言われて作っただけで。経営理念って何なんだろうみたいな(笑)。もう意味も分からないでやっていて」
経営理念や企業の社会的意義なんて、当時は説明を受けても分からなかった。だが、改めて稲盛氏の話を聞くと、自然と思い出された記憶があったという。
「会社の忘年会で、職人さんから泣いて抱きつかれたことがあったんです。要はとにかく人が足らなかったので、仕事ができない人にも手取り足取り教えてあげてたんですね。その人は年配の人だったんですけれども、『この業界で職人として飯が食えるようになった』と。ありがとうって言われて。その時自分もものすごく感動して。本当に1人でもこういう人がいてくれたら、自分は100人のために頑張れるなってその時思ったんですよね」
仕事を通じて人に喜んでもらうこと。その体験は「会社を成長させ従業員を物心両面で幸せにする」という稲盛氏の教えと繋がった。
「会社っていうのは人の幸せのためにあるんだと。その話を聞いて、自分がものすごく苦しんだのは『自分のための会社』だったからなんだと気がついて。結局人が増えて苦しんだのも、自分が大きい仕事をやりたいから人を集めていたからで。そうじゃなくて、人のための企業経営なんだと気づいた。それが原点じゃないかなと思います」
人のための会社であること。企業経営とは世のため人のためにあるべきだということ。会社の在るべき方向性が見えてきた。
「20代の時だったと思うんですけども、祖父の葬式でうちの叔父が挨拶をして『うちの親父はもう本当に小さい頃から世のため人のためっていうことをずっと言ってきて、それを一生涯貫き通した』と。それでものすごくたくさんの人が泣いてたんですよ」
経営者という立場になると、葬式の場に赴く機会も多くなる。しかし、「こういう人になりたい」と思わされたのは、やはり祖父の葬式だった。そして今、自分は経営者としてまさに祖父のような人であろうと奮闘している。
「人生でいろんな点の経験があって、でもそれって企業経営なんかに全然活きなくて。職人さんが泣いたのも、祖父が死んだのも、その時は全然事業経営に結びつかなかったんですけども。稲盛さんに出会って、企業経営はこういうものだと教えられた時に、今までのいろいろな点が線になったという、そういう感覚はあります」
世のため人のために。考えてみればそれは、自分にとって必然とも思える到達点だった。そこにあることは知っていたにもかかわらず、不思議と意識したことはなかっただけのもの。苦悩の果てに限界まで追い込まれ、それでも歩みを止めなかったからこそ、点が線に繋がったのかもしれない。
人生の点が線となり繋がり、その先に会社がある。人生と経営が繋がるからこそ、そこにきっと人それぞれの使命が宿るのだろう。過去の人生があったから今の会社がある。人生と経営は繋がっていく。
POINT ・ 自分のためではなく、世のため人のために会社というものはある・ 悩みぬくことで人生の点が線に繋がっていく |
職人の集団から会社組織へ、変革を決意してから約15年。大手ゼネコンの下請け工事業を経て、現在は築古物件の不動産再生事業を主軸とする株式会社LOOPLACE。
2020年1月には、社名変更を伴うリ・ブランディング*を実施。事業の変遷とともに、従業員や取引先、社会へと掲げる経営理念の在り方にも変化が迫られていたと飯田は語る。(*今後の株式上場を見据え、ミッション・ビジョンの策定のほか、社名変更、シンボルマーク考案、CIツールの制作、既存事業の再整理などに取り組んだ)
「最初は本当に稲盛さんが言われるように、京セラの経営理念をそのまま自社に取り入れた理念を掲げていたんです。ただやっぱりこれからは伝わり方がすごく大事だと思っていて」
全従業員の物心両面の幸せを追求すること。それはつまり、お客様に喜んでもらうことであり、社会貢献でもあるということ。それが当初の経営理念に込められた思いだった。
「根底にあるものは変わらないんですが、要は『全従業員の物心両面の幸せの追求と……』とかそういう硬い言葉っていうのは、たぶん文面としては頭に入ったとしても、実感値として『このために頑張ろう』みたいなエネルギーが湧きづらいように思うんですよね」
現在、築古ビルの価値を再生し、そこではたらく人のための場づくりを手掛ける同社では、「従業員」とは自社だけでなくお客様である入居者も含めて考える。建物の入居者が幸せであることは、その地域の活性化にも繋がっていく。自分たちの幸せとはお客様の幸せであり、地域社会を幸せにすることでもあるという循環の発想がそこにある。
「『はたらく場を、好きな場へ』。自分たちではたらく場を好きにしていこうと。そういう伝え方なら、楽しそうだな、やっていきたいなっていう気持ちになりやすいかなと思うんです」
場や環境づくりから、そこではたらく人を幸せにする。
はたらく場を、好きな場へ。事業活動に込められた思いと繋がる同社の新しいミッションは、企業が世のため人のためにあるという礎の上に立つ。
2021.07.29
文・Focus On編集部
飯田 泰敬
株式会社LOOPLACE 代表取締役
一級建築施工管理技士。北海道出身。21歳で専門工事業者として独立、1998年に同社の前身である有限会社成和工業を設立、後に株式会社成和へ商号変更。大手ゼネコンや店舗内装などの下請け工事業を経験し、2008年にデザイン設計業務へと幅を広げ、2016年に不動産再生事業へ参入。gran+(グランプラス)シリーズの販売を開始し、2020年1月株式会社LOOPLACEへと商号変更、代表取締役として現在に至る。自宅にも作るほどのサウナ好き。
>>次回予告(2021年8月5日公開)
『後編 | サードプレイスとしてのオフィスという選択肢 — 築古ビルをおもしろい場に』
生活様式やワークスタイルの変化が叫ばれる昨今、最適なオフィスの在り方とは。建築不動産領域からこれからの社会を見据えていく飯田の視点を伺った。
連載一覧 前編 | 稲盛経営者賞受賞の起業家が語る ― 経営が世のため人のために変わる瞬間 01【独立起業】より大きな仕事をもらうための心構え 02【苦難の時代】経営者として苦しんだ本当の理由 03【リ・ブランディング】これからの理念の在り方 後編 | サードプレイスとしてのオフィスという選択肢 — 築古ビルをおもしろい場に |